教育基本法に関する特別委員会会議録 第5号 平成18530日(火曜日)より抜粋

 

○市川参考人 御紹介いただきました市川でございます。

 

 本日は、教育基本法の改正法案につきまして、私見を述べさせていただく機会を与えられましたことを大変光栄に存じております。

 

 早速でございますが、教育基本法改正問題に関する私の考え方を率直に申し上げ、先生方の御批判を仰ぎたいと存じます。

 

 教育基本法の改正に関する私の基本的な考え方を一言で申し上げますと、改正するには及ばないというものでございます。その理由は極めて簡単でして、改正をする必要がないからでございます。

 

 私とても、教育基本法が神聖不可侵な不磨の大典であり、絶対に改正してはならないと思っているわけではございません。改正しなければならない理由があれば、できるだけ早く改正すべきであることは言うまでもございません。しかし、これまでのところ、各方面の御意見を聞き、いろいろな方のお書きになったものを拝見いたしましたが、改正しなければならない理由は見出せませんでした。

 

 と申しますのも、我が国教育の根本を定めております法律である以上、それを改正するにはそれなりのしかるべき理由がなければなりません。ところが、これまでのところ、どこからもそれが示されていないわけでございます。例えば、これからの国民を育成する上で現行法の教育理念では不十分だという証拠、今後の教育施策を進めていく上で現行法の規定が邪魔になる、障害になる、そういった根拠などが具体的に示されてはおりません。

 

 時代の進展や社会の変化に対応してしかるべき教育の進展が必要だということは、そのとおりでございます。しかしそれは、教育基本法以外の法令の改正や教育関係の政策や施策、そういったものによって行うことが可能であります。急速に変化してやまないその時々の政策課題を恒常的な理念法であります教育基本法に規定することは、適当ではありません。それに、そうした理念や政策の多くは既に現在の基本法にも見出せますし、ほかの分野にも三十ぐらいの基本法があり、その中に教育に関する規定も多々ございます。それから、無論、教育基本法を根本とした教育関係のさまざまな法律にも書かれております。そうしたことから、改正する必要は認めないと考えるわけでございますが、これは決して私の独断ではございません。

 

 ここに中央教育審議会の鳥居会長がおられますが、中央教育審議会で三年前に教育基本法改正について審議しましたときに、私は、文字どおり、その末席を汚しておりました。私は、そのとき、文部科学大臣から改正について諮問される以上、改正しなければならない事情があるだと思いました。そこで、審議会の席上、教育基本法を改正しなければならない理由、例えば、教育政策の展開あるいは教育事業の実施、あるいは現場の教育活動などに何か困ることがあるのでしょうかとお尋ねしました。ところが、教育審議会におられた並みいる委員の方々からも、また事務局を務められました文部科学省の方からも、特に支障があるという御返事はありませんでした。このことは、当時の審議会の記録をごらんいただければおわかりと思います。

 

 ただ、その折、ある委員から、別に教育基本法が現在のままで困ることはないけれども、しかし改正してもいいじゃないかという御意見はございました。

 

 確かにそのとおりであります。しかしそれは、教育関係の仕事、教育行政の仕事、教育者の仕事は非常に暇で、文部科学省の方々が何もすることがないというようなお暇がおありであれば、これは現在のものよりもよいものにするために改正を検討されても結構でございますが、私が存じ上げる限り、文部科学省の方は大変お忙しくていらっしゃいます。また、国会の先生方も日々国事に奔走されているわけでございまして、早急に支障がないような法律の審議をされるという必要は余りないのではないか、こんなふうに考えるわけでございます。

 

 先生方におかれましては、現在の教育基本法が余りにも抽象的過ぎるとかいった御不満もおありでしょうし、これも規定したい、これも盛り込みたいというようないろいろな御希望もお持ちであろうかとは存じます。そういった御不満や御希望はもっともとは思いますが、そうした具体的なことは教育基本法以外の法令に規定すべきものだと考えます。

 

 と申しますのも、具体的な内容を基本法に規定しようとしますと、どうしてもさまざまな不都合が生じます。それは、なぜAということを規定しながらBについては規定しないのかといった反論を招くことになりますし、また、類似の規定が既に関係法令にあるではないかといった疑問も生じることは避けられません。

 

 一例だけ挙げますと、例えば、障害者に対する教育上の支援というのは、政府案にも民主党案にも書いてございます。これは大変結構なことでございますけれども、障害者基本法に既に同じような規定がございます。一例だけ挙げましたけれども、ほかにもこういったことはたくさんございます。

 

 その点、現在の教育基本法は、日本国憲法に関連する事項に限って規定するという原則がございました。これは、当時文部省の参与をしておられまして教育基本法草案の作成を指導されました田中二郎先生、この方が教育刷新委員会で説明されていることでございまして、この原則に基づきまして、現在の教育基本法に盛られております条項はすべて日本国憲法に関連する事項に限って規定するという基本原則がございます。

 

 ですから、例えば、科学教育、芸術教育、徳育、体育などということは規定しておりません。一方で、政治教育、宗教教育は規定してございます。これは、科学教育が政治教育よりも重要でないということではございませんで、憲法に関連する条項があるかどうかということでございます。

 

 この日本国憲法と教育基本法の条項との関連につきましては、当時の第九十二帝国議会に法案が提出される前に、当時は明治憲法下でございますから枢密院の審議を経ておりますが、この枢密院の記録に、日本国憲法と教育基本法の対照表が残っております。

 

 こうした法案構成の基本的原理がありませんと、あれも必要だ、これも大事だ、これが足りない、あれが欠けているといったことが限りなくふえてくるわけでございまして、議論が尽きることがございません。ですから、あえて改正しようとするものでありましたならば、現行法をより長い文章にするのではなく、より簡潔にすべきだと思います。

 

 私ども子供のころに教わりました教育勅語は、小学生のときには大変長いと思っていたのでございますが、戦後になって数えてみましたら、四百字ない、原稿用紙一枚ない短いものでございます。極めて簡潔に要を得た書き方をしております。現在の基本法はそれよりも長いわけでございますが、それをさらに長くする。中教審で審議しましたころに日本PTAが調査した結果が発表されましたけれども、国民のほとんどの方は現在の教育基本法など読んでおられない。現在の教育基本法でも読んでおられない方が、さらに長い改正法案をお読みになるであろうか、こう考えますと、もし改正されるのであれば、現在よりも短くしていただきたい、こう思います。

 

 その点で、与党協議会の報告が、教育基本法は教育の基本理念を示すものであって、具体的な内容についてはほかの法令にゆだねるという御方針を示しておられますが、私は全く賛成でございます。特に教育目標などは、法律で定めるにしましても、学校教育法で規定するのが適当であります。それも義務教育あるいはそれに準ずる教育に限られます。

 

 現在の学校教育法で教育目標を定めているのは幼稚園、小学校、中学校、高等学校などに限られ、大学、大学院、高等専門学校、専修学校などについては定めておりません。教育目標の中でも徳目のようなものは、学習指導要領で定めるべき事柄であります。現に、今回提案されておりますさまざまな徳目は、そのほとんどが現在の学習指導要領に書かれております。学習指導要領に明記されていることを教育基本法に重複して規定しなければならない理由は明らかではありません。

 

 無論、文部科学大臣による教育基本法の提案理由説明あるいは民主党の日本国教育基本法案の趣旨説明にもございますように、時代の進展、諸情勢の変化とともに、今日充実を図るべき教育政策は数多くあります。しかし、新しい時代にふさわしい教育を実現するための政策や施策には、教育関係の法律に必要な条項や文言を追加することで対応できるものですし、その方がはるかに容易であります。

 

 と申しますのも、同じく大学の役割なり私学の振興なりを法律に規定するにしましても、原理的な教育基本法に盛り込むということになりますと、大学あるいは私学の本質的な概念規定が不可欠になります。したがって、そもそも大学とは何か、一体私学とは何ぞやから始まって、掘り下げた議論が必要になります。その点で、実務的な行政施策法に規定する方がはるかに適切です。

 

 例えば、生涯学習の理念は生涯学習振興法に、学校教育や大学の役割は学校教育法に、私学の振興は私立学校振興法に、学校、家庭、地域住民等の連携協力は社会教育法に、幼児期の教育は少子化社会対策基本法に、教育振興基本計画の策定は文部科学省設置法あるいは内閣府設置法などにというあいであります。一例を申しますと、生涯学習の理念を、生涯学習振興法じゃなくて教育基本法に規定する理由もまた明らかではありません。

 

 そういう施策の実現を期するためには、何よりも文教予算の充実が不可欠であります。ところが、最近の我が国における公教育費の貧困は極めて嘆かわしい状況にあります。それは、我が国の国内総生産に対する教育費の割合が、近年、諸外国と比べまして問題にならないくらい小さくなっていることです。これでは、文部科学大臣がおっしゃったような我が国の未来を切り開く教育の拡充などは到底望むべくもありません。

 

 私は若いころ、教育財政の歴史を少し勉強したことがありますが、昔の我が国は全く逆でして、政府も国民も、貧しい中にありながら教育には熱心であり、他国には類を見ないほどの割合で教育投資をしておりました。それが、経済の高度成長が続いた一九六〇年代に入ったころから格別目立たなくなりましたし、七〇年代以降になりますと下位グループに位置するようになり、最近ではついに大きくおくれをとるようになりました。皮肉にも、我が国が豊かになるにつれて米百俵の精神が失われてしまったのであります。

 

 その点で、民主党案が、国民の教育を受ける権利や生涯学習の権利を具体化するための公的支援の強化や学校教育全般に対する漸進的無償化、それを実現するための教育費の確保をうたっておられるのはまことに時宜を得たものと存じます。しかし、前に述べましたような理由から、それは具体案でございますから、これは教育基本法とは別のところに規定するべきだと考えます。

 

 そうした考え方から、私は、教育基本法の改正を審議しました中教審において、教育振興基本計画策定法とでも呼ぶべき法律の策定を提案しました。環境基本法や循環型社会形成推進基本法のように、同じ行政分野で基本法が二本制定されるという前例もございます。ですから、これは教育についても可能だと思いますが、残念ながら、提案は賛成を得られませんでしたけれども、私は、国会議員の先生方には、ぜひこういったことについて御検討をいただければと存じます。

 

 以上で私の意見陳述を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)