教育基本法「改正」情報センター主催

緊急集会!  学校法、教免法、地教行法「改正」で教育はどうかわる?

―教育三法の批判的検討―

教育職員免許法改正案の批判的検討

2007.4.8 於:明治大学研究棟4階第一会議室

浪本勝年(立正大学)

 

 

政府は、2007330日、「教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案」などの教育三法案を国会に提出した。ここで検討するのは、そのうち教育職員免許法(以下、「教免法」という。)の「改正」案についてである。

今回の教免法「改正」案の主なねらいは、教員の免許状に「更新制」を導入することである。そこで、この更新制について考えるにあたって、教員免許状制度の歴史的経緯を押さえた上で、この教免法「改正」案を批判的に検討していくこととする。

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T 日本における教員の免許状制度の変遷

1 戦前の免許状

@許状制度の創設

1880(明治13)年1228日の教育令(改正)(太政官布告59)第38条は、次のように言う。

「小学校教員ハ官立公立師範学校ノ卒業證書ヲ有スルモノトス但本文師範学校ノ卒業證書ヲ有セスト雖モ府知事県令ヨリ教員免許状ヲ得タルモノハ其府県ニ於テ教員タルモ妨ケナシ」

戦前日本における教員免許状は、この教育令によって事実上創設されたといってよい。当時、官立公立師範学校の卒業証書が小学校教員免許状の代替物であった。これに基づき、1881131日、小学校教員免許状授与方心得が定められた。その第2条は、次のように言う。

「小学校教員免許状ノ効ヲ有スヘキ年限ハ五箇年ヲ過クヘカラス」

ここにおいて教員免許状の有効期限が「5年」とされた。

  A免許状主義の成文化

日本で免許状主義が成文化されたのは1886621日の小学校教員免許規則(文部省令12)による。当時は、文部大臣が授与する全国有効の普通免許状と府知事県令が授与する当該府県有効の地方免許状の2種類の免許状があり、地方免許状は5年の有期・無期に分かれていた。

すなわち、この小学校教員免許規則は次のように規定していた。

「第7条 有期ノ地方免許状ハ五箇年ヲ以テ一期トス 期満ル毎ニ勤務ノ経歴ニ依リ適任ノモノト認ムルトキハ更ニ免許状ヲ授与スルモノトス

第8条 有期ノ地方免許状ヲ有シ五箇年以上勤務ノモノニハ其経歴ニ依リ適任ノモノニ限リ無期ノ地方免許状ヲ授与スルモノトス」

 

B免許状主義の確立(終身有効)

有期の免許状が終身有効の免許状になったのは、1900年のことである。同3月31日の教員免許令(勅令1341947.3.31学校教育法で廃止)及び同820日の小学校令(勅令344)においては、教員免許状は教員養成を目的とする官立学校の卒業者又は教員検定合格者に文部大臣から授与され、普通免許状及び府県免許状が終身有効となった。その規定は、次のようであった。

教員免許令

第3条    教員免許状ハ教員養成ノ目的ヲ以テ設置シタル官立学校ノ卒業者又ハ教員検定ニ合格シタル者ニ文部大臣之ヲ授与ス

小学校令

第40条      小学校教員タルヘキ者ハ免許状ヲウクヘシ

免許状ハ普通免許状及府県免許状ノ二種トス

普通免許状ハ文部大臣之ヲ授与シ全国ニ通シテ有効トス

府県免許状ハ府県知事之ヲ授与シ其ノ府県限リ有効トス

 

C免許状の一本化

従前、免許状は普通免許状及び府県免許状との二種になっていたが、これが一本化されたのは1913716日のことである。同日の小学校令の一部改正(勅令258)第40条で普通・地方の2本建てを廃止し、以後免許状は府県知事が授与し全国で有効となったのである。

 

2 戦後日本における教員免許状

戦後になり、免許制度は1949531日公布の教育職員免許法(法147)に基礎を置くこととなった。その第1条(目的)は、次のように規定したが、この条文は今日まで一度も改正されていない。

   第1条 この法律は、教育職員の免許に関する基準を定め、教育職員の資質の保持と向上を図ることを目的とする。(制定以来、改正なし)

ここでは、教免法の目的を教員免許の「基準を定め、教育職員の資質の保持と向上」としている。「資質の保持と向上」と明記しているが、「資質」(『広辞苑』によれば、うまれつきの性質や才能。資性。天性。)を変えられるのかは疑問である。

そして、戦前と異なり教員養成は、大学で行い、一定の単位を修得したものに免許状を授与する開放制免許制度を導入したのである。

学校(大学を除く)の教員は各相当免許状が必要とされ、教育の専門性の確保が求めら

れたのである(違反者には罰則)。

この1949年の教免法では、教育の専門性を、単に教員のみに適用するのではなく、教育行政組織内にも導入することとし、校長免許状、教育長免許状及び指導主事免許状を創設したのである(校長・教育長及び指導主事の免許状は1954年に廃止された)。

          

U 今回の免許更新制の提案に至る経緯

今回の免許更新制の提案に至る経緯は、2000年にまで遡る。教育基本法改正のきっかけとなった小渕恵三首相(当時)の私的諮問機関である教育改革国民会議「報告」(20001222日)は、「免許更新制の可能性を検討する」とした。

その後、2002221日に中央教育審議会答申「今後の教員免許制度の在り方について」は免許制の導入に対し「なお慎重にならざるを得ない」と慎重論を打ち出したのである。そして同612日の教育公務員特例法の一部改正公布により、10年経験者研修(第24条)及び研修計画の体系的な樹立(第25条)を設けた。こうした教員の研修については、すでに1988年、1年間の初任者研修制度をも創設しているのである(1988531日公布の教育公務員特例法等の一部改正法)。

ところが、2004年には、河村建夫文科相が810日「義務教育の改革案」を発表し「教員免許に一定の有効期限を設け、更新時に教員としての適格性や専門性の向上を評価する。」としたことに続いて、中山成彬文科相は同年1020日、中教審に「今後の教員養成・免許制度の在り方について」諮問した。昨2006711日の中教審答申においては、「教員免許更新制の導入−恒常的に変化する教員として必要な資質能力の確実な保証−」などと述べ、教員免許更新制を推進する方向を打ち出した。

この直後、安倍晋三官房長官(当時)は、その著『美しい国へ』(2006.7.20文春新書)において「教員免許の更新制度の導入」(p.210)を主張していた。

同年926日、 安倍内閣が発足したが、安倍首相は、教育改革を最重要課題と主張し1010日、閣議決定による教育再生会議を設置した。

教育再生会議の第一次報告(2007124日)では、「真に意味のある教育免許更新制の導入」を主張した。

中教審が一度否定した免許更新制を、政治の力で中教審に再諮問までしてゴーサインを出させるというきわめて強引な立法経緯を踏まえるならば、今回の免許更新制は、十分な教育的、合理的な理由は見出し得ず、きわめて政治的理由が強い教育への「不当な支配」そのものといえる。

 

V 教育職員免許法「改正」案の問題点

今回国会に提出されている教育職員免許法「改正」案の問題点をあげるならば、次のような7点があげられよう。

1 免許更新制の導入は、免許制度の大幅な修正であり、1900年以来の終身制度の廃止となる重大なものである。

2 既に10年経験者研修を2003年度より導入済みであり、この免許更新制の導入は屋上屋を重ねるものである。

3 2002年の中教審答申における教員免許更新制の可能性の検討では、(a)「教員の適格性の確保」の観点から「免許状授与時に人物等教員としての適格性を全体として判断していないことから、更新時に教員としての適格性を判断するという仕組みは制度上とり得(ない)」ものとしている。すなわち、免許状授与時に適格性の判断を導入する際の客観的な適格性の判断基準作成の困難さから、導入以前に分限制度を有効に機能させることが不可欠としていること、及び(b)「教員の専門性の向上」観点から、「公務員制度全般との調整、人によって研修内容に差異を設けることにも一定の限界があり、専門性の向上という政策目的を達成するには有効な方策とは考えられない」として教員にのみ有効期限を設けることへの慎重な判断を求めているのである。

4 免許更新講習については、これを受け止める大学の態勢及び修了認定基準の設定をどうするのか、という問題がある。

5 Paper Teacherと回復研修については、研修内容が不透明であること。

6 免許更新講習には、莫大な費用と時間が必要であり、仮に毎年10人に1人が10万円の講習を受けるとすると、受講料だけで100億円を超す(東京新聞2007324日)とその問題が指摘されているように、労多くして功少なし、といえるのではないか。

7 以上のような問題を多く抱える教員免許更新制は、教員の身分のいっそうの不安定化に拍車をかけものである、といわなければならない。