0103政府法案における「国」の意義(民主案も含む)

 

 

164国会 衆特別委 第7回(61日)

○糸川委員 …今度は文部科学大臣にお尋ねしたいんですけれども、我が国と郷土を愛する態度のこの規定につきましては若干私もまだ不安があるわけで、この我が国という文言の解釈についてお尋ねをしたいんです。
 一般に、国には、主権ですとか領土、国民、こういう三要素があるというふうにされておるわけでございます。私は、この規定の我が国には、この三要素のうちの主権は含んではいけないんではないかなというふうに思うわけでございます。
 そこで、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」、この対象には、主権、すなわち統治機構というものは含まない、こういう理解でよろしいのでしょうか。

 

○小坂国務大臣 ただいま委員も読んでいただきましたように、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた」ということで、歴史的に形成されてきた国民、国土、そして伝統、文化から成る歴史的また文化的な共同体としての我が国ということをあらわしているわけであります。今おっしゃったように、国ということは、すなわち、そこに国土、国民、統治機構というものが入るわけでございますが、ここで言う我が国というのは、そういった説明を付することによって、統治機構は含まないということを明確にしたわけでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○鷲尾委員 おはようございます。民主党の鷲尾英一郎でございます。
 このたびは、このような貴重な機会をお与えいただき、まことにありがとうございます。国家百年の計は教育にありと言われるところでございます。教育は国にとって基礎となる大変重要なものでございます。本日、教育基本法という国家の命運を握ると言っても過言ではないその質疑に立てますことを、うれしく、喜ばしく、そして大変身の引き締まる思いでございます。文部大臣、答弁者の皆様と、この時間、今後さらに日本の発展に寄与すべく、実りある議論をしてまいりたいと思います。何とぞよろしくお願い申し上げます。
 では、質問に入らせていただきます。
 今の教育基本法の前文には、「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。」とあります。改正案では、「たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させる」とあります。この改正案で言う国家というのは、どのような国家を言うんでしょうか。大臣の御見解をお示しいただきたいと思います。

○小坂国務大臣 現行の教育基本法は、日本国憲法の精神にのっとり、新しい国家の建設に向け教育の目的を明示した、教育の根本法ともいうべきものでありまして、この性格は改正後も変わらないものでございます。したがいまして、今回の法案の前文におきます、現行教育基本法が目指すこれまで築いてきた民主的で文化的な国家を、さらに発展させようとする趣旨であります。
 なお、我が国は、長い歴史のもとで、さまざまな文化や伝統をはぐくんできたところでありまして、これらの我が国の伝統を継承し、新しい文化を創造することを目指す教育を推進することも、あわせて宣言しているところでございます。
 したがいまして、民主的で文化的な国家という現行教育法と、今日の改正の教育基本法に述べられている、築いてきた民主的で文化的な国家というものは、同じ流れの中に継承してきた国家という理念でございます。

○鷲尾委員 新しく建設するんだか継承するんだか、ちょっとよくわからなかったんですけれども。
 この教育基本法で申し上げたかったのが、我々は、長い歴史の中で継続するものとして国家をつくり上げてきたわけですよね。これは要するに、戦後成立した教育基本法の前文には、民主的で文化的な国家を建設してと、あたかも新しいものを建設するかのような文言が入っているわけです。これを改正案では、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家をさらに発展させるとあるわけですよ。我々が目指しているのは、今まで、伝統文化も含めて国家をなしてきたそのものを引き継いでいくのか、それとも、戦後の教育基本法の理念でうたわれております、まるであたかも新しくつくられたものをこれから発展させていくのか、その点をちょっと明らかにしていただきたいんですけれども。

○小坂国務大臣 委員は御理解の上で御質問になっていると思いますが、日本という国が戦後建設されたわけではなくて、長い歴史の中で培われてきたものでございますし、また、現行の教育基本法が述べる、日本国憲法を確定し民主的で文化的な国家を建設というのは、従来の国家をすべて捨ててしまって、新たな国家を建設するということではなくて、従来からある日本という国を民主的で文化的な国家として建設していくという趣旨でございますから、従来からある日本という長い伝統の文化を引き継いでくる、そういう国家であって、戦後建設された新たな国という意味ではないことは御理解いただいていると思うわけでございます。

○鷲尾委員 大臣からそのようにお答えいただきまして、大変ありがたいと思っております。
 ちょっとこれは自説を開陳させていただきますけれども、日本国憲法も現行の教育基本法も、結局は敗戦の混乱と占領による圧力のもとで成立したのでありまして、そこにはまだやはり歴史の浅いアメリカという国の国家観とか個人観が充満しているものであります。
 皆さん御存じのように、アメリカは、イギリスの税制を嫌ったピューリタンがゼロからつくった国でありまして、アメリカ式で見れば、国家とは、当然自立した個人が新しくつくるものであります。しかし、日本にはやはり悠久の歴史があるわけで、私は、新しく国家を建設すると言われると非常に生理的な嫌悪感を覚えるわけです。むしろ、国家とは、祖先から受け継いで、子孫にしっかりと受け渡すものである、しかも、よりよくして受け渡すものである、私はそう確信しております。それが、今を生きる我々の世代の責任であるというふうに思っております。
 と考えるのであれば、今の民主的で文化的な国家をさらに発展させるというよりも、むしろ、民主党案にあるように、祖先を敬い子孫に思いをいたしながらという、そういう文言に素直にあらわれているように、教育は受け継ぎ受け渡すという認識に立つことを明確にされている。巷間、政府・与党の案と民主党案というのは、何か、同じようなものであるというふうな、そういう報道もありますけれども、基本的な設計の考え方というのはこの一点でもって違うというふうに私は思うわけでございます。
 そこで、民主党の提案者にも御質問いたしたいと思います。前文にある、祖先を敬い子孫に思いをいたすというのは、具体的にどういうことなんでしょうか。

○藤村議員 今、鷲尾委員の憲法及び教育基本法に関する御自身のお考えを伺いまして、我々も同感するところは多いんでございますが、我が国が、二千年以上の長きにわたる、海に囲まれた地形で、そういう影響もあったとは思いますが、他の国々あるいは他の文明とは相当異なる、固有の文化、伝統をはぐくんできた、このように考えています。
 さらに、私ども、特に日本語という言葉にちょっと注目をしておりますけれども、これは外国の人、何カ国の人からも、非常に美しい言葉というふうに聞かされたことがあります。みずからはよくわかりませんが。そういう日本語を使う国というのも、またこれ日本唯一であります。そんなことから、私ども、日本語のことについては少しこだわりを持ち、我々の日本国教育基本法第十七条の二項で、国語力を身につけると条文にも盛り込ませていただきましたように、教育の分野での日本語の大切さを本法で提起しているところでもあります。
 さらに、風土、気候、気象、四季に恵まれ、本当に気候に恵まれてはぐくまれてきた緑多い自然もございます。これらは日本固有の文明というふうにとらえ、これを発展させてきた我々の祖先に対して敬意を払うこと、あるいはこの貴重な文明を後世にしっかりと伝えていくことは、これは教育の大きな使命である、このようにかんがみまして、先祖を敬い子孫に思いをいたしという理念を前文に盛り込ませていただいたところでございます。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○小泉内閣総理大臣 …今日あるのは、我々生きている人だけじゃない、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、先人があるから現在我々があるんだ、そのような先人が残してきた歴史を振り返りながら、伝統、日本国、日本社会、家族、お互い尊重し合い慈しみながら、この住んでいる国を愛するということも大事なことであるということから、すべてをこの六十年間振り返ってみますと、大きな変化であります。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○町村委員 …今小坂大臣言われたとおりでありまして、このパネルにもちょっと出しましたけれども、新しく文言として、文章として加わったのが、公共の精神をたっとぶこと、豊かな人間性と創造性、そして伝統を継承するという点であろうかと思います。
 現在の教育基本法は、個人というものがあり、それから普遍的な人類というものがあり、その中間をつなぐ、国家でありますとかあるいは家庭でありますとか郷土、こういったものがすとんと抜け落ちているわけであります。あるいは伝統というものも抜け落ちております。余りにもやはり個人中心主義というものが表に出過ぎている。それは、確かに戦後間もなくつくった、敗戦というもののまさにこういうところがあらわれている。伝統という言葉も、実は教育刷新委員会が原案をつくったとき入っていたけれども、GHQの指令で伝統という言葉が削られてしまったという経緯がある。したがって、今回、これを改めて日本国の教育基本法としてこうしたことを触れたことはまことに適切である、私はこう考えているところであります。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○池坊委員 …私、これからも何度か質問に立たせていただけると思いますので、きょうは、このクローズアップされております「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」、このことについてお伺いしたいと思っております。
 言うまでもなく、国には三つの要素がございます。国民であり、領土であり、統治機構でございます。私が我が国と思いますときすぐ思い浮かべますのは、四季折節に移り変わる美しい日本の自然、そして、どんな困難なときにあってもそのものの意義と価値を見出し、それを次の世代に受け渡していきたい、その強靱な意思と深い情熱によって支えられ今日まで受け継がれてきた日本の伝統文化、そして、私は京都に住んでおりますから、比叡山や鴨川に抱かれて生きる一人一人の人々の共同体、私はそういうふうに感じております。
 私は、ケネディの、国が何をしてくれるかを問いたまうな、みずからが何ができるかを問いたまえという言葉が本当に好きなんですね。私は今、日本の教育に欠けているのは、日本の社会に欠けているのは、人や国に何かをしてほしい、自分はしないでということではないかと。自立した人間というのは、個人は、やはり自分が何をできるか考えるべきだというふうに思っておりますけれども、この言葉、これはフォー・ユア・カントリーというふうになっております、フォー・ユア・ネーションステートではございません。国をそういうふうにとらえていいのかどうか、総理の御所見を伺いたいと存じます。

○小泉内閣総理大臣 国を愛するということは、その国の歴史、伝統、文化、人々、家族も含めて、全体、自分が生まれ育ったところに対しては、私はだれもが愛着を持っていると思うのであります。
 そういう面において、国家というものは、それぞれの人の考えがあるかもしれませんけれども、だれもが自然に愛着心なり愛国心というものが芽生えてくるような、教育なり日ごろの生活の中ではぐくまれていくものじゃないかなと思っております。


 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○松本(剛)委員 … あとは国民の皆さんに御判断をいただきたいというふうに思っております。これは、私どもとしては、そして、先ほども説明がありましたのでもう繰り返しをしませんが、まさにアイデンティティーを大切にして、そして、次の時代を担う、本当に今の我が国の現状を憂えたときに、私たちは、ある意味では世界に先駆けて日本が新たな文明をしっかりと築いていく、そういう人を育てるということを教育の使命にしていきたい、そしてそれには、日本ということについてのアイデンティティーをしっかりと我々が固めていくことが大切だ、こういう思いでこの文章をつくらせていただきました。ぜひ、国民の皆さんにも見ていただいて、どういう形が次の時代の子供たちにふさわしいかということを承っていきたいと思います。
 総理、御意見ありますか、特にありませんか。

○小泉内閣総理大臣 「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求すること」、なかなかよくできているなと思っております。

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○小泉内閣総理大臣 …やはり、個人の権利と同時に、個人としてそれぞれの社会に役立っている、自分を律する精神、そして他者を尊重する精神、ひいては自分が生まれ育った郷土に対する愛、国に対する愛、こういうものを涵養していくことが他国を尊重することにつながる。それぞれ歴史や伝統や文化は国によって違う、そういう中で、自分たちは教育を受けてきた、また生かされてきたという感謝の念を持つ。

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○岩屋委員 言葉というのはいろいろな言い方ができるものでございますが、郷土や国を愛するというのと他国を尊重するというのは併記しているから、言葉遣いとしては態度ということじゃないか、こういう御説明でございました。
 深掘りをする前に民主党さんの方にも聞きたいことがあるんですけれども、民主党案が、国を愛する心、国と言わないで日本というふうに言ったのはなぜですか。

○笠議員 今、岩屋委員の方から御指摘があったように、私どもも、いわゆる愛国心をめぐるこの表記について、党内でもやはりさまざまな議論がございました。
 そうした中で、結果として、国を愛するではなくて日本を愛するという形にさせていただいたわけですけれども、これは当然ながら、日本という言葉の中には、我が国の伝統、文化、さらには郷土、自然など、その社会的な実在としての日本を愛する心がやはり必要じゃないかということで、単に国ということに限らずに、これまで二千年にわたって連綿としてはぐくまれてきたこの日本を愛する心の涵養ということこそが大事なのではないかということで、前文の中に盛り込ませていただいたわけです。
 そうした心がはぐくまれることによって初めて、他者を慈しみあるいは他国を理解するというこうした共生の精神というものも醸成をされるのではないかということで、そのことで日本を愛する心の涵養とした次第でございます。

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○稲田委員 自民党の稲田朋美でございます。
 いよいよ、戦後六十年を経て、教育基本法の全面改正という時期に来ました。私も、昨年当選したばかりの新人議員ではございますが、この時期にこの場所で、自由民主党の一員として、また立法府の一員として、教育基本法の全面改正の議論に参加できることの責任と使命を果たしたいと考えております。
 さて、今なぜ教育基本法を改正しなければならないのか、一体、現行教育基本法に何が欠けていたのかということでございます。私は、この問題を考えるに当たって、戦後体制をどう見るかという観点を避けて通ることはできないと思います。
 御承知のとおり我が国は、戦後約七年間、連合国の占領下にありました。その占領政策の目的は、二度と日本が連合国の脅威にならないということにありまして、言いかえますと、日本弱体化政策であったわけです。そんな中で制定されましたのが日本国憲法であり、その日本国憲法の精神を生かすための教育基本法であったわけです。そこでは、むしろ日本の伝統的な価値ですとか美徳などはすべて悪もしくは要らないものとされて、西洋的な価値観、個人の尊厳ですとか人権などといったものにのみ価値を置かれて、すべての法制度の改革がなされたと思います。
 戦後六十年たって、では何が起きたのか。六十年前に我が国は原爆を二つも投下されて廃墟になっても、そのときにはあって、こんなに豊かな日本になって失われたものは何だったのか。子供が子供を殺す、小学生が小学生を殺す、親が子供を殺す、子供が親を殺す、高校生が中学生を殺す。それから、人の命を犠牲にしてまで耐震偽装をするような建築士があらわれてしまう。日本人は、昔は建築基準法がなくても、自分がつくった建物に誇りと責任を感じて立派なものをつくっていた、そういった民族だったと思います。ですから、私は、この教育基本法の改正に当たっては、失われた日本人の心もしくは日本人の美徳、伝統、そういったものを取り戻す改革でなければならないと思います。
 占領は、昭和二十七年の四月二十八日にサンフランシスコ平和条約を受け入れて、我が国は主権を回復いたしました。その三年後に我が自由民主党も立党いたしました。その自民党の立党の「党の使命」でどう書かれているかと申しますと、占領下強調された民主主義、自由主義は、新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が主として我が国の弱体化に置かれていたため、憲法を初め、教育制度その他諸制度の改革に当たり、不当に国家観念と愛国心を抑圧していた。党の政綱の一条では、「正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革する」というふうに立党の宣言ではなっていたわけです。
 私たちはこの場におりますけれども、ここの場にいる私たちだけではなくて、教育改革に取り組んでこられた先人の意思を受け継ぎながらこの教育改革に取り組まなければならないと思っております。
 こういった歴史的な背景から見ましても、教育基本法の改正は、憲法の改正と並んで、戦後体制のゆがみを是正して、失われた日本の伝統と美徳を取り戻す、そういった改正でなければならないと考えております。
 そこで政府にお伺いいたしますが、今のような観点からいたしますと、政府の前文の中に、「ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、」という言葉が入っていることに私は若干の違和感を覚えるわけでございます。なぜ今、日本国憲法の精神なのか。日本国憲法の精神を生かした現行教育基本法を改正するに当たって、なぜ日本国憲法の精神なのか。その日本国憲法の中には日本の伝統、文化というものの観点は全く入っていないわけですから、この文言を前文に入れるその趣旨についてお伺いいたしたいと思います。

○小坂国務大臣 現行の教育基本法は、日本国憲法に定める理念を教育において具体化するための規定を多く含んでおります。現行の日本国憲法と密接に関連している法律であることから、「日本国憲法の精神にのっとり、」と規定されているわけでございます。改正後も、基本法は、日本国憲法と密接に関連しているというその性格そのものは変わらないわけでございます。
 委員いろいろと御指摘をいただいた中での、日本の美徳として今日我々が認識していたものが失われてきた、そういう御指摘は私も共感する部分もあるわけでございますけれども、今日、日本国憲法の精神と言われる中で、国民主権、それから基本的人権の尊重、平和主義、これらは、日本国民それぞれがやはり尊重すべきものとして重要な認識を持っているわけでございますから、この基本法案におきましても、「個人の尊厳を重んじ、」ということは前文で規定をし、そして、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」「国民の育成」という、第一条にもこれを盛り込んだところでございます。
 憲法の精神を具体化する規定をそのように設けて、この「日本国憲法の精神にのっとり、」という文言を入れたわけでございまして、私は、このような中で、この新しい教育基本法にのっとり、今委員の御指摘があったような、家族としての相和する心とか道徳観の育成というものに努めてまいりたいと存じます。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○稲田委員 …官房長官にお伺いいたします。
 官房長官はいらっしゃらなかったんですけれども、冒頭に述べましたように、私は、この教育基本法の全面改正は、戦後体制の是正という意味があると思います。すなわち、占領下に制定された、個人の尊厳を第一に置いた憲法、教育基本法によって制定された戦後体制のゆがみということなんですけれども、官房長官はこの点はどのようにお考えでしょうか、戦後体制について。また、そのような観点から今回の教育基本法の改正の意義についてどのように評価されているか、お伺いいたします。

○安倍国務大臣 いわゆる戦後体制の中において現行憲法もこの教育基本法も一定の意義を持ってきた、このように思うわけでありますが、戦後六十年経過して、社会情勢も大きく変化をしてきたわけでございます。
 また、その中で、例えば、これは政府としての見解ということではなくて私の政治家としての考えでありますが、自由民主党も、まさに結党の精神というのは、占領体制においてつくられた基本的な枠組み、憲法であるとか教育基本法というのはやはり自分たちで考えてつくっていこうということを、自民党は結党の際にこれは高々と掲げたわけでございますが、しかし、それはずっとこの五十年間、結党して以来後回しにされてきたのも事実ではないか、こう思うわけであります。そして、戦後六十年たったこの際、しっかりとした決意を持ってこの教育基本法の改正にも臨んでいるということであろう、こう思います。
 その中から、この教育基本法におきましても、例えばこれは、町村筆頭理事が冒頭の質問でも指摘をしておられましたように、個人の尊厳、個人の権利、個人についての言及、そして人類普遍の原理については言及があるけれども、そのまさに真ん中の胴体部分である、例えば家族とか、郷土に対する誇り、国に対する思い、あるいは伝統や文化、歴史、そういうものへの言及がないではないかという観点から、今回、前文にも、あるいはまた教育の目標の中にも、公共の精神あるいは伝統を継承等々の文言が入ってまいるわけでございます。
 そういう意味におきましては、まさにこれは、私どもが新たな未来を創造していくにふさわしい基本法の改正ではないか、こう思っているわけでありますし、それはやはり、この六十年間を今まである意味では反省した中においての結論でもあるんだろうと、こう思っております。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。
 いよいよ本委員会で一昨日から審議が始まりました。新しい人づくり、国づくりを目指して、本当に心も体も引き締まる思いでございます。どうかよろしくお願いをいたします。
 私は、まず、現行の教育基本法につきまして、公明党としてはこれを高く評価してまいりました。昭和二十二年、あの当時、いわゆる個の尊厳ということを高らかに掲げて、社会、国のための教育ではなくて、個人の人格の完成、幸せのための教育、教育のための社会、こういう新しい価値観を現行教育基本法は持ち、新たにしたわけでございまして、その法律がこの六十年間大きな意義を持っていたということを否定するものではございません。
 その上で、しかしながら、社会の変化がございました。この六十年間、私たち人類として、また日本国民として新たな価値観も得てまいりました。また、この現行教育基本法につきまして蒸留水という批判もありまして、どこの国の基本法かわからない、もう少しいわゆる土着性、地域というものの文化ということを考えた基本法にしてもいいのではないか、これも至極もっともなことでございます。
 そういう観点から今回基本法を改正するに至った、基本的な我が党の姿勢はそういう姿勢であるということをまずお話しさせていただきたいと思います。
 それから、非常に広範にわたっておりまして、今まで、一昨日、きょうと比較的少ない論点で議論されてきたように思いますが、ほかの論点を話したいんですけれども、少なくとも、これまでの論議で少し問題になった点についてきょうは質問をさせていただき、そのほかの論点についてはまた別の機会をいただきたいと思います。
 まず、国を愛する態度、我が国を愛する態度ということでございます。
 この間の新聞報道等で、与党の中で自民党と公明党が対立している、公明党が愛国心に反対している、このような報道がございましたけれども、これは正確ではございません。私どもも愛国心の大切さについては十分理解をしているつもりでございます。
 しかしながら、国を愛する心、国を愛する態度ということについて大変敏感に考える方もたくさんいらっしゃるということも、これも厳然たる事実でございまして、だからこそ中教審の答申にも、「国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならないことは言うまでもない。」ということが最後にきちんと書かれているわけでございます。この点を明確にするためにはどのような表現がいいのかという視点から我々意見を申し述べてきたということを御理解いただきたい、このように思います。
 国には三つの要素がある。国土、国民、この国土、国民の中には伝統、文化ということも含まれているかと思いますが、そして統治機構、この三要素があります。国という言葉が今回の改正案の中にもたくさん出てきておりますが、第二条以外の国という言葉はすべて統治機構という意味で使われております。国や地方公共団体はこれこれこれこれしなければならない、この場合の国はすべて統治機構という意味でございます。
 そういう意味で、同じ国という言葉を同じ法律の中で使う上で、統治機構ということではないんだということをどのように表現するか、どうしたらそれが明らかになるかということでございますけれども、今回規定される「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」というこの国の中に統治機構が入っていないというふうに我々は解釈をしておりますけれども、文部科学大臣の答弁を求めます。

○小坂国務大臣 斉藤委員には、教育基本法の改正に向けて、いろいろな場で御意見を述べるなど、御協力、また、それぞれの御見識を表明していただいていることに敬意を表したいと存じます。
 今委員がお話しになりましたように、我が国を愛するという言葉には、その前に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国」というふうに書いてございますように、歴史的に形成されてきた国民、国土、そして伝統と文化から成る、言ってみれば歴史的な、あるいは文化的な共同体としての我が国というものを愛していくという趣旨でございまして、その中には、統治機構、すなわち今日の政府や内閣、こういったものを愛せということは含んでおりません。
 したがって、統治機構は含まないということを明確にしたつもりでございます。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○山口(壯)委員 民主党の山口壯です。
 教育基本法に関して幾つも議論がありますけれども、いいお医者さんというのは、まず症状を見立てて、そしていい判断をして治療していく。そういう意味では、今の日本の教育にかかわることの何が問題で、それは一体何が原因で起こったのか、こういう見立てを間違わないように我々はしなければいけないと思うんです。そういう意味では、なぜ今出すのかという話もいろいろありますけれども、私は、さらにさかのぼって、少しリベラルという言葉を考えてみたいと思うんですね。
 私、本会議でも、米軍の再編のときに吉田茂さんの話をさせていただきましたけれども、吉田茂さんというのはリベラルな保守と言われている。何でリベラルだったのかな。リベラルは、もともとはキリスト教用語で、神様からの自由。どういう信仰をするかは、リベラルに自分の信仰を貫いていく、そういうこともあったようです。さらにそれが、国の強制からの自由、そういう意味も持ってきました。
 当時、吉田さんが外交官としてイギリスの大使をやっておられたときに、英米との戦争は絶対反対だと。当時の国はいかにも英米との戦争に向かうような雰囲気の中で、それにリベラルに反対していった。それが戦後、憲兵隊にとっ捕まったということが今度はマッカーサーに評価されて、こいつはリベラルなやつだから追放しないでおこうということで総理になった。人間の一つの皮肉な運命ですけれども。だけれども、リベラルで、なおかつ、吉田茂さんは天皇陛下にお会いするときは臣茂と言い、日本であることということを非常に大事にした。
 戦前から戦後にかけて国体の護持という言葉があります。日本が日本であり続けることを国体の護持という。そういう意味では、民主党の案に「日本を愛する心」、これを入れたのは、まさに日本が日本であり続けること、国体の護持、こういうことにもある意味でつながっていく、長い歴史のスパン、あるいは伝統のスパンを念頭に置いた発想なわけです。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○保坂(展)委員 この点が、多分、三年かかった与党内の協議でも一番多くの時間を費やした部分かなと思うんですが、もう一度官房長官に伺いたいんです。
 こういった協議がどうだったかということについて、我々はぜひ資料を出してくださいと求めていますけれども、これはなかなか出てきていないんですが、説明によると、我が国という表現は統治機構を含まないんだ、これは何回も説明されています。統治機構を含む国、つまり、統治機構を愛するということは問題があるという政府の認識だと思いますが、どういう問題があるのか、お答えいただきたいと思います。

○安倍国務大臣 統治機構を含むということになれば、そもそも自民党も、統治機構を含むということにおいて国という言葉は使っていないわけでありますが、統治機構を含むということになれば、例えば今の与党政権、小泉内閣を含めて愛せよということでございまして、これは、例えば保坂議員にそれを求めても、そもそもそれはあり得ない話でございますが、つまり、私どもは、統治機構としての国ではなくて、日本という、この日本が織りなしてきた歴史、そして文化、伝統も含めた、そして、ある意味では私たちの抱いてきたいろいろな理想等々も含めて、こういう国のあり方を愛する心という意味で私たちは使っているわけであります。

 

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○中井委員 …民主党の方にお尋ねをいたします。…民主党は、統治機構を思わせるような国という言葉を使わずに、日本、こういう言葉を使って、涵養するという言葉を後ろにつけて、そして前文に入れるという大変な工夫をされているわけであります。…

○藤村議員 …私どもは、日本としたのは、まさしく我が国の伝統、文化、さらには郷土、自然など、社会的実在としてのこの日本を、単に国というだけでなく、これまで二千年にわたって連綿としてはぐくまれてきたこの日本を愛する心ということを言いたかったということで、使わせていただいたところでございます。