0140GHQの押付けか自主制定か

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○町村委員 今小坂大臣言われたとおりでありまして、このパネルにもちょっと出しましたけれども、新しく文言として、文章として加わったのが、公共の精神をたっとぶこと、豊かな人間性と創造性、そして伝統を継承するという点であろうかと思います。
 現在の教育基本法は、個人というものがあり、それから普遍的な人類というものがあり、その中間をつなぐ、国家でありますとかあるいは家庭でありますとか郷土、こういったものがすとんと抜け落ちているわけであります。あるいは伝統というものも抜け落ちております。余りにもやはり個人中心主義というものが表に出過ぎている。それは、確かに戦後間もなくつくった、敗戦というもののまさにこういうところがあらわれている。伝統という言葉も、実は教育刷新委員会が原案をつくったとき入っていたけれども、GHQの指令で伝統という言葉が削られてしまったという経緯がある。したがって、今回、これを改めて日本国の教育基本法としてこうしたことを触れたことはまことに適切である、私はこう考えているところであります。
 次に、第一条、第二条、ここが言うならば法律の出発点としての、また極めて重要なところであろうと思います。第一条、教育の目的、第二条、教育の目標。そして、目標として五つのことが書かれているわけでございます。
 この五つの目標、それぞれ重要でございますが、特に、小坂大臣、この中で、特色といいましょうか、ここが大切なんだ、全部大切なんですが、特にまた大切なんだというところがありましたらば、大臣のお考えを承らせていただきたいと存じます。

○小坂国務大臣 町村委員の御指摘のように、第一条、第二条が、目的そして目標ということで、大変重要な部分でございますけれども、第一条の教育の目的を実現するために、今日重要と考えられる具体的な事柄を五つに分類して記述いたしているわけでございます。
 具体的に申し上げますと、第一に教育全体を通じて基礎をなすもの、第二に個々人の自身に係るもの、第三に社会とのかかわりに係るもの、また第四に自然や環境とのかかわりに係るもの、また第五に日本人として持つべき資質及び国際社会とのかかわりに係るもの、こう五つに分類をしているわけでありますが、これらは、現行法にも規定された普遍的な理念は引き継ぎ、その中で、公共の精神や先ほど申し上げたような伝統と文化の尊重など、今日重要と考えられる事柄を明示することによりまして、国民の皆さん全体の共通理解を図って、二十一世紀の世界を切り開き、また日本を切り開いていく、心豊かでたくましい日本人の育成を図る、このようにしたものでございまして、ただいま申し上げたような公共の精神、伝統と文化の尊重、こういった点は非常に重要な点だと思っているところでございます。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○大畠委員 …こういうその歴史的な背景を見ますと、文部大臣、現在の教育基本法というのがどれほど制約された中、あるいは国語でさえ、まあローマ字にしてしまおうじゃないかといういろいろな論議があった中で、軍部と官僚と学者、こういうものがいろいろ知恵を絞りながらこの教育基本法に成り立ち、そして、それをまるっきり政府は受けて、閣法として提出したんですね。
 だから、現在の教育基本法というのは、本来、部分改正とかなんかじゃなくて、もう戦後六十年たっているわけですから、独立国家として、どこからも圧力を加えられることなく、その当時の学識経験者の皆さんが、これからの日本を考えて、自由な立場で、そして論議をして、政党がいろいろ関与したり、あるいは政権がいろいろ関与したのではなくて、私は、そういう形で、全面的にというか、全く新しい教育基本法をつくるべきではなかったのか、この歴史的背景から考えますとそう考えますが、文部大臣はどのようにお考えでしょうか


○小坂国務大臣 大畠委員におかれましては、現教育基本法の制定に至る経緯を振り返っていただきまして、わかりやすく御説明をいただきました。
 その中で、今日の教育基本法が、占領下における連合軍の指示が色濃く反映したものだという御指摘の中で、廃案とすべきだという御提案でございます。そして、新たに制定をすべきものである、こういう御認識を示されたわけでございますが、現教育基本法も、御指摘をいただいたように、日本政府の発意によりまして、帝国議会の審議を経て制定をされたものでございます。
 そして、占領下ではありましたけれども、我が国の新しい教育の根本理念を示すものとして、日本政府の発意というものになされたわけでございますし、その審議の過程においては、議会での審議を経たりということにおいて、手続的にも、また正当性においても疑いのない中で制定をされたわけでございます。
 法令の内容を全面的に改める場合、全部改正でなくて現行法を廃止して、そして新たに新法を制定するという方法もあるわけではございますけれども、制度そのものの基本は維持するということをする場合には全部改正の方式をとる、そして、改正前と改正後の継続性を強調する必要がないときや継続性が比較的薄いときには廃止、そして新法制定の方式をとることが多いわけでございまして、今回の基本法案は、現行基本法に掲げられる普遍的な理念を今後とも規定していくことから、全部改正という方式をとらせていただきました。
 なお、国会に提出した法案についてどのような審議を行うか。これはもとより国会がお決めになることでありまして、政府としては、十分な検討の上政府案を提出したところでございまして、国会においての適切な御審議をいただき、速やかに御賛成を賜りたくお願いを申し上げるところでございます。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○笠井委員 …安倍官房長官に伺いますが、官房長官、自民党の幹事長代理当時に、昨年の自由新報の一月四日と十一日付ということで、新年合併号でインタビューに答えてこう述べておられます。「日本の連続性、日本が歩んできた道の上にしっかりと立って未来を見つめているのが自由民主党である。」そして「占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた教育基本法、憲法をつくり変えていくこと、それは精神的にも占領を終わらせることになると思います。」こう言われております。この認識というのは、今、官房長官としてもお持ちなんでしょうか。いかがですか。

○安倍国務大臣 歴史的な事実として、憲法も、また教育基本法が成立をした帝国議会も、当時は日本は占領下にあったという事実をたしか自由新報でも述べているんだろう、このように思うわけでありますが、戦後、教育基本法の理念のもとで構築された教育諸制度は、国民の教育水準を向上させ、我が国の社会発展の原動力となってきた、このようにも考えております。

○笠井委員 あれこれ言われましたが、現行の教育基本法を、占領時代の残滓、残りかすという形で、そういう認識を、今おっしゃったのは政治家個人ということでしょうけれども、官房長官が持っていらっしゃるということ自体が、制定当時の経過から見ても、また世界から見ても通用しない、驚くべき認識だと私は思うんです。
 教育基本法の制定の経過は、占領下であっても、先ほどの小坂大臣の答弁でも明確だと思います。また、五月二十四日に、当委員会の河村委員、元文部大臣も質問で言われておりましたが、当時の国会の議論の中には、まさに日本を教育によって興すために、あるいは、平和国家、文化国家のために、あるいは、日本再建のための最大の基礎をなすべき重要法案である、こういう言葉が至るところに出て、先輩議員の方々がみんなそういう共通の思いをなされていると言われて、紹介がされたとおりだと思うんです。ところが、官房長官は、そうした経過や先輩議員たちの思いがあったのに、インタビューで、そこには進駐軍の指示と影響が色濃くあったと思いますということも言われて、家族、地域社会、祖先、そして日本という国を挙げながら、これらを守るために自分は戦うという覚悟まで言って、それを再び取り戻すというふうに述べております。
 自民党の清和政策研究会、教育基本法改正に向けて五つの提言ということで、二〇〇二年にこういう本を出されて、その中にも出ております。私も拝見しました。冒頭に、構成員である国会議員一同、力を尽くすというふうにあって、官房長官御自身もこの本の中に寄稿されている。この提言を見ますと、第一項では「教育勅語が謳いあげている「目指すべき教育のあり方」が、けっして間違ったものではなかった」「「かつての教育勅語に相当する教育理念の制定を目指すべきではないか」と提案する。」と掲げられております。要するに、戦後の軍国主義の除去と一連の民主化の措置を、官房長官、当時の幹事長代理ですが、占領時代の残滓として見られて、それを一掃して、ポツダム宣言受諾前の日本、戦前の日本につなげるという、連続させるというのが、この流れを拝見しますと長官の主張で、教育基本法の改定もそうした文脈、コンテクスト、発想なんじゃないかと思うんですが、長官、いかがですか。

○安倍国務大臣 それはまさに委員の御解釈なんだろうというふうに思うわけであります。
 私が申し上げましたのは、事実として、憲法がつくられたときも、また教育基本法が成立したときも、日本が占領下にあったのは事実でありますということは、事実は事実として踏まえておきながら、当然、占領下にあったということは、その占領下において影響を受けるという可能性も全く排除できるわけではない。
しかしながら、先ほど申し上げましたように、現行の教育基本法、戦後の教育基本法の理念のもとで構築された教育諸制度は国民の教育水準を向上させ、我が国の社会発展の原動力となったのも事実であります。しかし、まさに戦後六十年を経て、制定から六十年を過ぎたわけでありまして、その中で、いろいろな社会情勢等々の大きな変化もある中において、我々は今回、この教育基本法を改正するという判断をしたわけであります。

○笠井委員 そうすると、教育基本法自体占領下ではあったけれどもいろいろ役立ってきた、しかし時代が変わったからというお話ですが、要するに、幹事長代理のときにおっしゃっていた占領時代の残滓であるというのは、それはやはり違うなということなんですか、それとも残滓と思っていらっしゃるんですか。

○安倍国務大臣 言葉のとり方でございますが、占領期間につくられたのは事実でありまして、その後、サンフランシスコ講和条約によって独立を回復したのでありますから、その後、やはり二十一世紀にふさわしい憲法あるいは教育基本法を私たちの手で書きかえていくんだという精神こそが大切ではないか、私はこのように思う次第であります。

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○鳩山(邦)委員 …日本文明の、すばらしい、いいものが全部魂を抜かれるような形で憲法ができ、教育基本法ができた。小坂文部大臣、同意していただけますか。

○小坂国務大臣 委員が御指摘なさいましたように、戦後の占領下で日本国憲法が議論をされ、また教育基本法も議論をされ、制定される経緯につきましては、過日の大畠委員の御質問、また、私どもも史料として勉強してきたわけでございますけれども、その経緯について、押しつけであったから日本には合わないものができたかといえば、必ずしもそうではないだろうと思います。また、日本人の精神というのは、憲法の改正及び教育基本法によって何か魂を抜かれるようなことになってしまったかといえば、日本の精神というのはそれほどやわなものではなくて、現行の教育基本法の中でも、人格の完成を目指し、国家、社会の形成者としての真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、こういった記述の中に我々は読み取ってきたわけですね。その失ってはならないものを必死に守ってきたと思うのでございます。
 ですから、そういう意味で、制定の経緯というものが、委員は押しつけられたもの、こういう御認識で提示をされ、多くの方々がそういう思いを持っていらっしゃることも事実であろうと思います。しかしながら、私は、押しつけられたものといって、押しつけられたという気持ちで法律を見ますと守る気がなくなってしまいます。むしろ前向きに、そういった経緯の中でみずからが制定したものという理解のもとに努力をしていくという立場でこの法律を読んでいるところでございます。

○鳩山(邦)委員 残念ながら、私とは大分考えが違うんですね。
 私が申し上げたいことは、不易と流行という言葉はもう釈迦に説法でありましょう。その不易な部分で、変えてはいけない価値あるもの、それは、愛国心だったり、社会に参画することであったり、公共の精神であったり、道徳であったり、あるいは家族、この間、兄もそう言っていましたけれども、まさにこの日本の家族制度とか、いわゆるゲゼルシャフトかゲマインシャフトかといえば、利益共同体でない、精神の結びつきのゲマインシャフト的な日本のあり方をGHQは粉砕したかった。それは、不易の部分ではないか。その不易の部分を抜かれて憲法もでき、教育基本法もできているのではないか。
 したがって、流行の部分はあるでしょう。それは、幼児教育の問題とかあるいは私立学校の問題等の規定が今度新たに入るのはわかるんですが、この間、土屋正忠委員が質問のときに、今度新しく入ったものをばあっと羅列した。その中に、流行のものはいいけれども、不易、本来入っていなくちゃいけないものが抜け落ちておったと。そういう認識を小坂大臣はお持ちにならないんですか。

○小坂国務大臣 文部大臣の先輩に私ごときが意見を申し上げるつもりもございません。先輩としての御見識は拳々服膺したいと思っておりますが、私は、現行の教育基本法の中でも、あえて記述しなくとも、日本人は一つの精神文化としてこれを受け継いでいくだろうと思ったがゆえに記述をしなかったという部分もあると思っているからなのでございます。
 それが、今日の社会情勢の変化の中で、そのような認識では済まなくなったのではないか、ここで新たに記述する必要があるのではないかということから記述を加えたというのが、今回の改正の中で盛り込んだ部分がそういった部分になってくる。それに加えて、新たな社会情勢の中で新たに生じた問題として記述した理念、これが、現行と今回の改正案の中での違いに相当する部分の一つの理由であろうと思っております。


 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 現行教育基本法をなぜ今全面改定しなければならないのか、また、現行法のどこに問題があるのかということにつきまして今もって納得のいく説明がされていないというふうに私は思っております。きょうは、そもそも、この現行基本法の成立過程についてまずお聞きをしたいと思っております。
 六月二日から東京新聞で、「教育の原点 基本法改正を検証する」という連載が始まっております。その一回目が「米国の押しつけはない」というものでした。
 学校教育法を立案された安嶋弥さんという方が、事基本法に関してはCIE、民間情報教育局主導で制定されたものではない、CIEは基本法については積極的ではなかったと思う、日本側の発想だったというふうに述べられ、また、文部省の元学校教育局長日高第四郎さんという方が、「多くの人は、アメリカ人におしつけられたものであると、考えているように思われます」「わたくしは、当時現場にいたもののひとりとして、誤解であることを知っていただきたい」と後に記していたということがこの記事で紹介されていました。文部科学省、当時文部省ですが、元役人の方がこのような証言を行っているわけであります。
 そこで、大臣に伺いたいと思うんですね。教育基本法は米国から押しつけられたものと思っているのですか、あるいは日本人の手によってつくられたという認識であるのか、お答えいただきたい。

○小坂国務大臣 今御指摘の東京新聞の記事そのものは読んでおりますけれども、この現行教育基本法の制定過程においてGHQのどのような関与があったか、あるいはなかったかについては、必ずしも明らかでございません。したがいまして、文部科学省としては、この問題についてお答えはできないと思っております。
 ただ、いずれにしても、現行の教育基本法は、憲法の精神に沿った教育の根本理念を示すものとして日本の政府の発意によって法案が作成をされ、そして帝国議会の審議を経て制定された、このことだけは明らかになっております。

○石井(郁)委員 この教育基本法の作成者たちがどのようにして立法したかということについては、いろいろ後にも証言集等が出されておりますよね。今、新聞でお名前を御紹介した日高第四郎さんですけれども、このように述べていらっしゃるわけです。
 この教育刷新委員会そのものには明白な自主性が認められている。アメリカのオブザーバーも、その代理としての日本人のオブザーバーも入っていない。委員は全く自由に討議した。また、一般に、法律案の形式にして国会に出す前には、すべて総司令部の検閲とか承認を受け取らなければならないが、その際、往々干渉があったことは事実である。しかし、教育基本法の場合には、実際上の干渉はなかったのでありますという文章がありました。
 それから田中二郎氏ですね。この方が実際教育基本法の作成の中心を文部省の参事として担った方ですけれども、「教育基本法の成立事情」では、あの前文にしろ、そこに盛るべき内容にしろ、また内容の書き方にしろ、田中先生、この方は田中耕太郎元文相のことですけれども、を中心にして文部省内で検討し、内部的に固めたもので、教育基本法は日本で自主的につくったものと言っていいでしょうというふうに書かれているわけですね。
 大臣、御答弁ありましたけれども、文部科学省として、教育基本法は日本人の手によって自主的、自律的に作成された、このことはやはり明確にしていただきたいと思いますが、いかがですか。

○小坂国務大臣 これは繰り返しになります。過日、大畠委員が民主党を代表されまして御質問された際にも、教育基本法の成立過程について、ファンダメンタル・ロー・オブ・エデュケーションという英文のドラフトもあるとか、いろいろと歴史的な資料等もひもとかれて見解を述べられました。
 私どもとしては、先ほど申し上げた答弁の繰り返しになって恐縮でございますけれども、その成立過程は必ずしも明確でない部分もございます。したがいまして、先ほど申し上げた、事実関係としての、日本政府の発意によって法案が作成され、そして帝国議会の審議を経て制定された、この事実だけを確認させていただいたところでございます。


164
国会 衆特別委 第12回(68日)

○臼井委員 …この教育基本法、現法は昭和二十二年に策定をされたわけでございますけれども、これは必ずしも日本の自主的な策定ではなかったというのは、既にいろいろな審議の中で明らかになっているわけでございます。GHQの教育改革というものを担当いたしておりました民間情報局の介入のもとでつくられたのでございます。終戦後の日本というものが、再び立ち上がってくることのないような環境をつくっていくということを目標にいたしまして、愛国心の排除、あるいは伝統尊重の排除、宗教的情操の涵養の排除、あるいは男女共学というものにつきましても、両性の特性を考慮しつつというような文言が削除される、こういったいろいろな介入があったわけでございます。
 また、当時は、敗戦の混乱の中で食べることに懸命であった私ども日本人、教育というものを決してなおざりにしたわけではありませんけれども、教育というのは学校で先生がしてくれるものというふうに考えておった、また、教育というのは学校だけでするものだというふうな考えであった。これはやむを得ないことでございますが、そうした当時の教育環境からいたしますと、現在では、教育というのは、学校はもちろんのこと、家庭あるいは地域社会共同の力でもって子供たちを立派に育てていく、そういう意識が当たり前のことになってきたというのが現代でございます。
 この基本法の改正案には、現代社会が青少年の教育のために当然行っている、しかし現教育基本法には記述されていない多くの項目というのが入ってきております。このことは極めて私は大切なことで、ようやっとそういう時期が来たのか、よく六十年間そのままやってきたものだというふうに思うわけでございます。
 例えば、前文中にございます公共の精神、伝統の継承、あるいは道徳心、環境に対する態度、伝統と文化の継承、日本国土を愛するというふうな気持ち、あるいは生涯教育に対する考え方、障害者への教育支援、家庭教育、先ほど申し上げました学校、家庭、地域住民の連携協力、国、地方の役割、そして教育振興基本計画の策定。今まで実際にやってきたこともございますけれども、この教育基本法の中に盛り込まれていなかったもの、これをまさしく今度は盛り込むことができるというのは、大変うれしいわけでございます。