0540男女平等の意義(男女共学の削除の問題)

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○保坂(展)委員 …猪口大臣にも伺いますが、先ほども少し出ていたんですが、男女共学という部分が削除されている。これについては、二条三号で男女の平等と書いてある、大変重い、こういうことなんですが、文字数でいうと五文字ですね。しかも、列挙された中で態度を養うことという言葉で受けている表現である。
 この男女平等の原則については、この六十年間を振り返りますと、国際社会でも、あるいは日本国内でも、やはりかなり問題意識が進んだ分野ではないかということで、例えば、男女共同参画社会基本法というものもでき、また、担当大臣をされているわけだと思います。
 女性差別撤廃条約では、男女の定型化された役割に基づく偏見や慣習あるいは慣行の撤廃を実現するために、男女の社会的及び文化的行動様式を修正するというようなことをうたわれていて、この六十年間を振り返れば、やはりここはより強化されるということは必要だと思うんですが、男女共学が削られてこの五文字が入ったということでよしとするのか、ここは率直な感想を述べていただきたいと思います。

○猪口国務大臣 保坂先生にお答え申し上げます。
 私は、先ほど答弁申し上げましたとおり、男女の平等ということは積極的な趣旨を持って規定しておりますので、そのことの重さ、重要性ということを申し上げたいと存じます。
 この男女共学について定めている現行法の五条のところでございますけれども、これは先生よく御存じのとおりで、戦前の教育制度におきます、性別によります制度的な差異があったことにかんがみまして、これを解消し、男女がともに学ぶことを推奨するという趣旨から現行法は規定されているというふうに考えております。
 今日においては、もう大多数の学校が共学校として設置されていますし、歴史的な意義を、この男女共学を認めなければならないという考え方につきましては、果たし終えたんじゃないかと考えております。
 政府提案のこの法案につきまして、男女の平等を重んずる態度、これを、先ほども答弁申し上げましたけれども、正義と責任、そして自他の敬愛、あるいは公共の精神、そういう文脈において列挙する中に入れておりますので、その積極的な趣旨を御理解いただければありがたいと思います。
 また、男女共同参画担当の責任者といたしまして、引き続き教育現場におきます男女共同参画の推進につきまして、積極的に施策を推進してまいりたいと考えております。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○石井(郁)委員 …中教審答申では、新たに規定する理念として、男女共同参画社会への寄与というのを挙げられておりました。ところが、政府提案の法案にはその文言はなく、男女の平等、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参加し、その発展に寄与する態度を養うということになっております。
 この男女共同参画社会への寄与ということが男女平等ということに置きかえられただけなのかどうか、なぜそうなったのか、その議論の経緯をお聞きでしょうか。

○猪口国務大臣 石井先生にお答え申し上げたいと思います。

 まず、男女の平等という表現ですけれども、これは非常に重要、そして非常に積極的な趣旨で規定したものでございます。政府提出の法案におきまして、第二条第三項、これはまず正義と責任、あるいは自他の敬愛と協力、あるいは先生もおっしゃってくださいました、主体的に社会の形成に参画、このような態度とあわせて、男女の平等を重んずる態度、そういう表現にしております。ですから、これは私としては非常に積極的な内容と考えております。
 言うまでもなく、男女共同参画社会の実現が求められていて、その観点も踏まえていると考えております。大変に積極的かつわかりやすく重要な表現、男女の平等でございます。

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○斉藤(鉄)委員 …次に、第三号についてでございます。これは、猪口大臣と、それから民主党案に質問をさせていただきます。
 男女の平等というのが政府案には入っております。中教審の答申では、男女共学という項目はもう外してもいいのではないか、削除することが適当と書いてございますが、同時に、男女共同参画社会への寄与という理念を明確にすべきだとございます。この項目について、猪口大臣に、御感想といいましょうか、趣旨をお伺いいたします。

○猪口国務大臣 政府案におきまして、二条の三号におきまして、男女の平等を重んずる態度と、明白に教育の目標として規定してございます。先生御存じのとおり、正義と責任の後に男女の平等を入れているわけでございまして、非常に重い扱いをしていると考えております。
 ここに申します平等とは、男女が互いにその人権を尊重しつつ責任を分かち合う、そういう文脈でございまして、そもそも憲法十四条におきまして、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」、性別により差別されないということが明記されているわけでございますので、男女平等の実現がこのように掲げられているところであり、この憲法の思想、そして教育基本法案におきます男女平等の趣旨は非常に重要なものと考えております。

○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。
 民主党案には、中教審の答申である、いわゆる男女共同参画社会への寄与という理念を明確にせよということが盛り込まれていないように見えるんですが、この点いかがでしょうか。

○高井議員 お答え申し上げます。
 我が党案では、第二条に何人に対しても学ぶ権利を保障し、加えて、第三条二項において、「何人も、人種、性別、言語、宗教、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。」というふうに定めており、この項目で男女の平等を含むものであると御理解いただきたいと思います。
 恐らく女性の方はほとんどが経験があるのではないかと思いますけれども、教育の世界では、男女の平等という価値はほぼ実現されていると思っています。しかし、社会に出るときに初めて男女は平等でないという事態に直面することが多うございまして、やはり労働面や雇用面で男女の差別を是正しようということが実際的に大事であるというふうに思っております。
 そういう中で、現在、男女雇用機会均等法という法律がもうすぐ衆議院にかかり、審議がされるわけでございますけれども、慎重なる審査の上、適切な運用を望みたいというふうに思っております。我々は、教育の目的の一つとしてここにこうした形で羅列するよりも、実社会における男女の平等ということが大切であるというふうに考えておりまして、関連法制の整備に努力したいと思っております。

 

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○戸井田委員 …それでは、第二条の教育の目標のことでちょっとお伺いしたいんですけれども、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」というふうにあります。
 ここに、私は、いつもこの議論をするときにひっかかる言葉があるんです。それは男女の平等という言葉でありますけれども、私は、男女の平等という、平等というのはあり得ないんじゃないかなというふうに思うんですね。男女間の公平というのはわかるわけですけれども、男女が平等であり得るわけがない。男と女は違うんだ、お互い相足らざる部分を補い合いながら生きていく、そういう関係にあるんだというふうに思っております。
 自民党の勉強会の中でも、この言葉の持つ危険性、すなわち家庭の崩壊を招くジェンダーフリー思想ということで、猪口大臣にも随分いろいろなことを言わせていただきました。そして、あらゆる機会を通じて私は警告というか御意見を申し上げて、軌道修正をしていただいたと思ってきました。
 しかし、もう既に男女共同参画基本法のときに、この言葉のゆがんだ解釈によって、末端でどんなひどいことが行われてきたか。もうこの言葉の危険性は私は証明されているんじゃないかなと。ジェンダーフリーのプロジェクトチームのときにも、随分大勢の方が末端で、曲解というか誤解というか、曲解でしょうかね、そういうふうにしてやられてきていた。そういうことを言われているのを御記憶だと思うんですね、猪口大臣。
 にもかかわらず、またここの教育基本法でこの文言が入ってくるということは、何か目的があるのかな。この文言を入れた理由というものを両大臣にお聞きしたいなというふうに思っております。

○小坂国務大臣 今回の法案の第二条、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」
 すなわち、ここで言っている男女の平等というのは、憲法において、その第十四条で、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定をされておるわけでありまして、男女が互恵の精神によって互いに敬って、そして互いの存在を認め合った上で、その協力により豊かな社会を築いていく、このことはだれもが否定をしないと思うんです。それが間違ったとらえ方をされたときに、委員が御指摘のような問題が発生する。
 したがいまして、教育を通じて必要な能力や資質を養うということにおいて、今日においてそれは大変重要なことであって、そして、それは今回の法案において、第二条の教育の理念の一つとして、憲法の規定を引いて、男女の平等を重んずる態度を養うように規定をしたところであります。そこで言っている平等というのは、男らしさ、女らしさというものがあることを認めながら、社会的あるいは経済的な取り扱いその他において平等でなければならないという理念を掲げて、それに対する理解をする力を養っていく、私はそういうことだと思って、そのためにあえて憲法の規定を引いてこれを規定していくことが必要、こう考えたところです。

○戸井田委員 猪口大臣はどうでしょうか。

○猪口国務大臣 戸井田先生にお答え申し上げます。
 今文部科学大臣がお伝え申し上げたとおりでございますと思いますが、憲法十四条においては、性別により差別されない旨が明記されております。また、憲法二十四条において、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」このように憲法に示されているわけでございます。夫婦が、男女平等に立脚し、同等の権利を有して相互に協力すること、これと幸せな家庭観というものは当然ながら両立することであり、また必要なことであろうと考えております。
 先生がおっしゃるとおり、もちろん男女は生物学的には違うわけでありますけれども、法的、社会的、経済的、全般的にわたりまして、男女の基本的な平等について、憲法、そして男女共同参画基本法、そしてそれに基づきます基本計画は決定しております。その中での考え方として、男女の役割分担を性別によって固定化していく、そのような考え方は克服しなければならない考え方として政府としては考えております。
 例えば性別による固定的な役割分担というのはどういうものか。その中には、例えば男性は外で働き、女性は家を守るというような考え方もそうでありますが、さらに、例えば重要な仕事は男性が行い、女性はむしろ補助的な業務を行う、こういうものもそのような固定的な性別による役割分担。あるいは、女性は例えば政治家や科学者には向いていないというような考え方、こういう固定的な性別による役割分担ということについて、これは克服しなければならず、男女の個性や能力が十分に発揮される社会、そして男女平等、そして男女共同参画社会の形成を目指していかなければならないというのが政府の立場でございます。

○戸井田委員 それでは、もう一度確認したいと思うんですけれども、これは、生物学的性差を無視して男女ごちゃまぜの教育をよしとする、そういう教育を目指しているのではないということですね。

○猪口国務大臣 まず、生物学的に男女が違うということは、これは議論の必要のないことでございますが、男女が、今申し上げましたとおり、固定的な性別による役割分担を認めていくということはないような観点からの平等教育は必要であると考えておりますし、今回、政府提案の教育基本法におきまして、第二条第三号で掲げています男女の平等ということを明記しておりますことは、そのことの教育におきます重要性を示したいということでございます。

○戸井田委員 それでは、これは、同じ命を生きる命のとうとさという意味で平等であって、生物学的性差を認め、家族や男女の役割意識の重要性をも尊重し、その違いを積極的に評価するということを教育の目的としていると解釈していいんでしょうか。

○猪口国務大臣 生物学的な違いはありますけれども、そこで、例えば家庭において女性だけが育児を行うというような考え方はとっていないわけです。男女ともに子育てについて協力して子供のために時間を割いていく必要もあり、出産は女性ですね、それから母乳育児も女性ですね、しかし、その他の保育、育児、子育て、子供の安全を見守る、子供が育っていく過程においては、就学前から、そして就学期を通じて、保護者のさまざまな温かい手が必要でございます、また関心が必要でございます。
 そのようなことにおきまして、男女いずれもが大きな責任を持つというのが平等の基本の考え方であり、私が先ほど答弁申し上げましたとおり、固定的な役割分担については克服していく、いわゆる社会的性別、ジェンダーは平等でなければならない。バイオロジカルな違いはあります。しかし、社会的につくられる性別、これをジェンダーと考えますけれども、これは平等でなければならないというのが男女共同参画基本法に示されている考え方でございます。

○戸井田委員 やはり男には子供は産めませんよね。ただ、末端に行くと、石が流れて木の葉が沈むというような現象も多々見られる部分があるんですね。ですから、そういう意味で、その考え、男女は生物学的に違いはある、お互い相補って生活していくというその基本をきちっと末端にまで浸透させていただきたい、そんなふうに思います。

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○保利委員 …男女共学というのを、今度は政府案ではそこを削除しております。男女共学というのは、戦後まさにこれは男女共学をやるべしということで取り入れられた文章だと思うんです。ところが、男女共学はずっとやってきましたので定着をしているという考え方から、もうそこまで述べる必要はないだろうということで外してあるわけです。しかし、世の中には女子校というのがあります。それから、男子だけの学校もあります。むしろ、男女共学は当然なんだけれども、女子校あるいは男子校というものを認めてもいいのではないかという議論もあったわけです。
 教育基本法に書くことかどうかわかりませんけれども、そういう議論について女性の大臣としてどういうふうにお考えになるか、ちょっと御所見をお伺いさせていただきます。

○猪口国務大臣 保利先生にお答え申し上げたく思います。
 保利先生、今御指摘されましたとおりのことではないかと思います。
 そもそも現行法五条におきましては、戦前の教育制度におきます男女の制度的な教育面における差異を解消するということがあったと考えられまして、その歴史的な意義は果たし終えたという観点から今回規定しておりませんが、今日におきます基本的な考え方は、男女の共学については基本とした上で、別学を決して否定するものではないということではないかと思います。個々の学校におきます共学とするかあるいは別学とするか、これは、地域の実情、あるいは住民の意向、あるいは学校の特色に応じて設置者が適切に判断するべきものではないかと私は考えております。
 私自身は、今先生が議論されました中等教育は、女子校においてその教えを受けたわけでございまして、その学校の女子教育に人生をささげるという先生方のお姿、それによってしっかりと教育を受けたという思いも今思い出しているところでございます。