0630戦前の愛国心教育との違い

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○保坂(展)委員 官房長官に今の点についてやはりお考えを伺いたいんですけれども、つまり愛国心教育と愛国者との関係ですが、私どもの先輩議員、例えば田英夫議員がそうですけれども、戦争当時、ボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりするという特攻隊員として敗戦を迎えたということで、お話を聞いていますと、やはり軍国少年であり、あるいは社民党土井前党首も、軍国少女、戦争に必ず勝つというふうに信じて、そしてそのことを疑うこともなかったと。
 戦後、例えば戦前の教育が、愛国心を強調し、愛国少女だったり愛国少年だったり、軍国少年だったり軍国少女をつくり出したということを踏まえて、やはりこの愛国心の教育を教育基本法に掲げることに危惧を覚えるという点でずっと議論させていただいているんですけれども、戦前の教育の愛国心教育と、今回の、今掲げられている、政府が提出しているところの、我が国と郷土を愛する態度を養う、こういう部分とどう違うのか、お考えを聞きたいと思います。

○安倍国務大臣 私の印象では、むしろこの戦後六十年間、自分の国に対していとおしく思う、あるいは、自分が生まれた国を誇らしく思うという感情が否定される風潮が強かったのではないかという気がいたしているわけであります。
 つまり、国を愛する態度を涵養していく、あるいは国を愛する心でもいいんでしょうけれども、それはどういうことかといえば、日本という国の歴史や文化や伝統に対する知識を深めていく、そして自分をはぐくんできた郷土であり、そしてまた、それは文化、歴史の連続性の中にあるわけでありますから、それを総体的に、自分はその一部の中ではぐくまれてきたという認識のもとにいとおしく思っていく、そしてその中で、もっとその地域をよくしていきたい、その国に住む人たちに連帯を感じ、そういう同じ国に住む人たちのために力になっていきたいという気持ちではないだろうか、そして、そういう行動をとっていく人たちのことを愛国者と呼ぶのではないかと、こう思うわけでございます。ですから、それは人それぞれなんだろうというふうに思いますし、その発露の仕方はいろいろあるんだろうと、このように思うわけでございます。
 そこで委員は、いわば戦前と戦後、また、我々がこの改正案の中で表現したものの違いは何か、こう指摘をしておられるわけでありますが、国を愛する気持ちということについては、果たしてその違いがあるかどうかということを私はここで申し上げることはできないんだろうというふうに思うわけでありまして、それは教育の仕方には違いがあるんだろうと、このように思うわけであります。

○保坂(展)委員 決定的に違っていてほしい、違っていなければいけないと思いますけれども、国を愛するといっても、そのときの政権、戦前であれば、軍部がやろうとしていることに対して批判や疑念やあるいは不信を持ったりするのは、やはり愛国心が足りない、国民としてだめだ、こういう教育だったんじゃないですか。
 これから日本は、そういう教育、まかり間違っても目指すというふうにはあってはならないと思いますが、その点はいかがですか。つまり、愛国心ということにおいては戦前も今の政府提案も変わらないんだ、こういうことですか。

○安倍国務大臣 今、私どもは、自由と民主主義、基本的人権がまさに確保された世の中に生きているわけであって、それは大切な価値観として私たちが守ってきているわけでございます。その中にあって我々は、民主的な投票によって誕生する政権そのものを、また、その政権が行っている政策を含めて愛せとは、全くこれは考えるということはあり得ないわけでございまして、民主主義というのは、これは、国民の意思によって政権を選びそして政策を選んでいくわけでありますから、それぞれが自由に発言することが担保されているわけであります。
 保坂委員の党が政権をとって保坂総理が誕生したときに、我々自民党の党員に、保坂党首がやっていることをすべて愛して、それを無条件に受け入れろと言っても、だれもそれは従わないだろうと。これは当然のことであって、我々も皆さんにそれを強制するということは根底から考えられない。というのは、もうこれは、常識としてむしろそれは議論する必要すらないんだろうと、こう考えた次第であります。

○保坂(展)委員 今、後段の例えというか、そんなことはないでしょうねということで、当然そんなことはありませんという答弁をいただいたわけですが、とすると、そこが戦前の教育は欠けていたという認識でよろしいですか。戦前の教育の問題点というのは、どこが問題だったんですか、官房長官。

○安倍国務大臣 今、突然の質問でございますから、それでは、戦前のどの教育について御指摘をされているかということなんだろう、このように思うわけでございます。
 つまり、教育とそのときの社会的風潮あるいはそのときの政権の施策等々について、これはしっかりとここが問題であったと分析をしなければならぬだろうと、このように思うわけでございます。
 つまり、基本的には我々は、愛国心を内面に入っていって強制するということは全く考えていないということだけははっきりと申し上げておきたい、このように思います。

○保坂(展)委員 文部科学大臣に伺いますけれども、愛国者というようなことをイコール今回の法案で目指しているわけではないということなんですけれども、いわゆる偏狭なナショナリズムということを心配する向きの中から、やはり愛国心が不足しているということを、これは現行の指導要領によって通知表があるわけですね。教育の目標ということで今回の法案が掲げられたときに、この指導要領も変わるかもしれない、また、その通知表を含めた評価のあり方というのも変わってくる可能性があるというときに、その愛国心というのは、それぞれの人がそれぞれの形で持つべきものであって、だれが足りないとか、持っていないからよくないとか、あるいは、それが全体的な評価に結びついたりというようなことがないのかどうかというのをずっと問いかけてきましたけれども、こういうことで、例えば今回の法案によって、愛国心教育とは愛国者を育成することだと非常に狭義に狭く解釈をして、学校現場でそういった教育を始めるというようなことが心配されると思うんですが、そういうときにはどういう指導を、意見を文科省として出すのか、お答えいただきたいと思います。

○小坂国務大臣 愛国心というものをどのように教育するかということでいえば、それは、たびたび委員にも御答弁したと思いますが、郷土の歴史や伝統、そして民族的な行事やいろいろなものを自分たちで調べてみるとか、また、そういった偉人について勉強して記憶するとか、また、世界で活躍している日本人について学んだり、その人の人生というものをなぞってみたり、そういったことをする中で、日本人ってすばらしいな、自分の郷土ってすばらしいな、自分の郷土とともに日本という国そのものがやはりすばらしい国なんだなというふうに誇りを感ずる、そういった形の中からその愛する心というものははぐくまれてくるわけですので、具体的に愛せ愛せと言えば愛するかというと、そういうものではないわけでございますので、そういった教え方をするようなことはないと思っております。また、そういったことのないように指導もしていくつもりでございます。