1160日教組の教師の倫理綱領について

 

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○保利委員 一時間いただいて、時間がもうなくなってまいりました。最後に、私は教師論を申し上げたいと思うんです。
 私は教師論を考えるときに、またこれも私の気持ちの中に、ぐさっと刺さっているように大きく響いている言葉があります。
 それはソクラテスの言葉でありますが、ソクラテスは、教育は拒否に始まると言っております。あなたはもう勉強する必要ありませんよ、私のところなんか来なくていいですよと言って一遍断る。二回、三回、四回と熱心に教えてくださいと言ってきた者が本当の生徒である。これはソクラテスの考え方です。この説が正しいのかどうか私はよくわかりませんけれども、確かに先生と生徒の関係の本質をついているところがあると思うんです。やはり先生というのは教えてあげる、だから、それだけに先生の立場というのは非常に貴重な、大事な立場であろうかと思うわけであります。
 次の質問者もおられますが、私は最後に申し上げたいのは、長い間、教師の倫理綱領というのがありました。川上委員長は、これは歴史的な資料であって今日用はないんだというようなことを言われたことがあります。しかし、長い間、日本の教育界で先生方の一つの指針としてこの教師の倫理綱領というのは存在し続けたわけであります。
 そして、それに賛成された方もいらっしゃるだろうし、場合によっては反対された方もあるだろうと思います。そういうものが支配をしてきたと言ってはちょっと過言ですけれども、根底にそういう理念があったということを私はだれも否定し得ないと思うのであります。
 その内容というのを今ここで御紹介はいたしませんが、やはり、これから先生方はどうあるべきかということについては、相当な議論をしなきゃいけませんし、また我々も考えていかなきゃならないと思っております。
 このことについて、文部科学大臣の御所見を伺って、私の質問を終わりたいと思います

○小坂国務大臣 委員が御指摘になりましたように、日教組の教師の倫理綱領は、昭和二十七年六月に開催された第九回定期大会で決定された。しかしその後、今御紹介のありましたように、川上委員長、当時ですけれども、平成八年七月二十三日付の文書で、永久不変なものではなく、時代状況に規定された歴史的な文書であるということ、また、運動路線を確定する際の基準としてはこなかったことを通知したというふうに承知をいたしておりまして、このように、日教組として、教師の倫理綱領を過去の歴史的な文書として位置づけている、このことを私どもも認識させていただいて、そのように対処をさせていただきたいと思っております。