2009年4月


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「体罰」最高裁判決 線引き論にとどまるな

 注意しても言うことを聞かない子どもに、どう対応すればいいのか。思い悩む学校現場に一石を投じる最高裁の判決だ。児童の胸ぐらをつかんでしかった行為は「体罰」には当たらない、と一、二審の判断を覆し、損害賠償の請求を退けた。

 体罰は学校教育法で禁止されている。争点となったのは熊本県天草市の小学校での出来事が、それに当たるかどうかである。休み時間に人をけるなどの悪ふざけを繰り返した男児。臨時講師の男性は胸元をつかみ、壁に押し当てて大きな声で「もう、すんなよ」と言ったという。

 胸ぐらをつかまれることは大人でもあまりない。男児側は、大きなショックを受け、夜に泣きだしたり食欲がなくなったりして治療を受けた、として市を訴えた。熊本地裁と福岡高裁は「教育的指導を逸脱した体罰」と認定し、賠償を命じた。

 ところが最高裁は「指導であって、罰として肉体的な苦痛を与えるためではない」とした。二審まで認めた児童の「恐怖心」には触れなかった。指導する側の視点を優先したといえよう。保護者からのクレームを恐れて厳しい指導を控えがちな教育現場への配慮もあるのだろうか。

 「学級崩壊」が言われて久しい。小学校でも子どもが注意を聞かず授業が成り立たないことがあるという。毅然(きぜん)とした態度を示すために体罰を容認せよ、という声も少なくない。

 文部科学省もおととし通知を出した。放課後に居残りをさせたり、授業中に立たせたりは体罰に当たらない―などの基準である。ただ、自分を守ったり、他の子をかばったりする場合以外には、体に触れるような体罰を認めたわけではなかった。

 そうした中での最高裁の判断である。「目に見える力」を子ども相手に使ったとしても、場合によっては違法ではない―という解釈もできよう。

 しかし懸念はぬぐえない。教員がつい感情的になって子どもに手を上げることはないだろうか。「される側」への配慮に欠けたまま「指導だった」と理由を後付けすることはないだろうか。

 広島県内では昨年度、体罰を繰り返したり、けがをさせたりして懲戒処分された教員が十一人いた。体罰は心の傷にもなりかねない。子どもの立場から歯止めはしっかりとかけねばなるまい。

 何が体罰であるかは一概には決めにくい。立場によって受け止め方も違おう。といって法廷の場で線引きを争うのは幸せとはいえまい。今回の訴訟から、学校と子ども、保護者の信頼関係が薄れつつあることが見えてくる。

 家庭のしつけの力も落ちて、生活指導は学校に丸投げ。負担に耐えられない教員が対応できず、それが保護者の不信につながる。こうした負の循環を断たねばなるまい。判決を単なる体罰論とせず、子どもへの指導の在り方を考え直すきっかけにすべきだろう。

中国新聞 2009年4月30日

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体罰逆転判決  教育力が問われている

 教師が子どもをしかる際、どこまでが教育的指導で、どこからが違法な体罰なのか。

 熊本県の市立小学校で教職員が児童の胸元をつかんでしかった行為の是非が問われた裁判で、最高裁は体罰と認めて市側に賠償を命じた一、二審判決を破棄し、原告側の請求を棄却する逆転判決を言い渡した。

 教育的配慮があれば、教職員が児童生徒に有形力(物理的な力)を行使しても違法といえない場合がある、との判断を示した形だ。

 判決は、校内暴力などの問題行動に対する教職員の毅然(きぜん)とした指導を促すものとも評価できるが、もちろん児童生徒に精神的、肉体的苦痛を与え、人格を否定するような体罰を容認するものではない。

 教育現場での力の行使は、あくまで限定的であるべきだ。

 二審の高裁判決によると、男性臨時講師が二〇〇二年の休み時間中に廊下で女子児童をけっていた児童らを注意して職員室に戻ろうとしたところ、そのうちの一人の二年生男子児童に背後から尻を二回けられた。

 講師は、この児童の鎖骨付近の洋服を手でつかみ、壁に児童を押しつけて「もうすんなよ」と怒った。

 一審判決はこの行為を体罰に当たると判断、心的外傷後ストレス障害(PTSD)との因果関係も認め、市側に賠償を命じた。二審も体罰と指摘して、慰謝料の支払いを命じていた。

 いじめや校内暴力など教育現場の問題行動は、極めて深刻な状況にある。我慢がきかず「キレやすい」子どもたち、無理難題の抗議を繰り返す親たちの存在も社会問題化している。

 〇七年度に教職員が児童生徒から暴力を受けた事例は、全国で約七千件に上る。一方で体罰で懲戒や諭旨免職になった教職員は一九九〇年代から増え、〇七年度は三百七十一人だった。

 学校教育法が禁じる体罰の定義は戦後間もなく規定されたが、文部科学省が〇七年二月に出した通知でその解釈、運用が大きく変わった。

 授業を妨害した児童生徒を退室させたり、学習課題や当番を課すことも体罰には当たらないとした。教職員自身や他の児童生徒を守るための力の行使も体罰ではないと明記している。

 ここというところで教職員の厳然とした指導徹底に迷いが生じたり、将来に本人が後悔するような児童生徒の放逸、暴走が許される教育環境は、双方にとって不幸で不毛だ。

 教職員と児童生徒との健全な人間関係があれば、行き過ぎた力の行使に至るケースも少なくなるに違いない。

 トラブルの根本的原因であるしつけ教育は一義的には家庭の責任だが、役割分担は難しい。体罰問題が問うているのは、教職員の全人的な教育力だ。

京都新聞 2009年4月30日

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「体罰」判決 毅然たる指導こそ必要だ

 教師が児童の胸元をつかんで叱責(しっせき)した行為が体罰かどうか争われた訴訟の上告審判決で、最高裁は「体罰に当たらない」とする初めての判断を示した。1、2審は体罰と認め損害賠償を命じていた。これを見直した最高裁判決は妥当であり、評価したい。

 訴訟となったのは平成14年に熊本県の小学校で起きた事案だ。臨時講師の男性教師が悪ふざけをしていた小学2年の男児を注意したところ尻をけって逃げたため、男児の胸元をつかんで壁に押しつけ、しかった。

 最高裁は体罰にあたるかどうかは目的、態様、継続時間などから判断されるとし、今回のケースは「教育的指導の範囲」とした。

 言うことを聞かない子には、ときには、力をもって厳しく指導することは必要だ。学校現場は判決も参考に、自信を持って毅然(きぜん)とした指導を行ってもらいたい。

 学校教育法では教育上必要がある場合、児童生徒に懲戒を加えることを認める一方で、体罰を禁じている。

 体罰禁止は、殴る、けるなど肉体的苦痛を与えることを禁じたものだ。これが曲解され、暴れる子を制止することも「体罰」とし、教室で騒ぐ子を立たせるといった当たり前の指導にも「苦痛」「人権侵害」などと子供や親が文句をいう例が目立っている。

 いじめ問題でも加害者への指導が行われず、出席停止などの厳しい対応をとることが少ない。

 こうした現状が批判され、政府の教育再生会議は一昨年、体罰基準の見直しなどを求めた。文部科学省は放課後の居残りや教室で立たせるといった指導は体罰に当たらないとする通知を出している。こんな通知を出さざるを得ないのも、学校の指導が苦情や問題化を恐れて萎縮(いしゅく)しているからだ。

 厳しい指導に待ったをかける教育委員会の例もある。今回の判決を契機に、そうした事なかれ主義も一掃してほしい。

 犯罪や非行の低年齢化が深刻で、小学生の暴力行為が急増しているという統計も出た。あいさつや服装、きまりを守るなど日常から規範意識を高める指導の重要性が増している。

 指導では親と教師、教師同士が連携することが重要だ。親が教師の悪口をいったり、誰かが甘い顔で規則破りを許したりしては子供から信用されない。厳しいしつけや指導は子供のためである。

産経新聞 2008年4月30日

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宇宙基本計画 軍事利用には歯止め必要

 政府の宇宙開発戦略本部の有識者らによる専門調査会は、宇宙基本法に基づく初の国家戦略となる「宇宙基本計画」の原案をまとめた。

 日本の宇宙政策を研究開発から利用重視へ転換するのを基本方針とした。今後十年程度を見越した上で、二〇一三年度まで五年間の取り組みとして、地球環境観測・気象衛星や有人宇宙活動など、九つの開発利用計画を盛り込んでいる。

 計画では五年間で三十四基の衛星を打ち上げる。アジアの災害時に衛星の観測情報を提供して国際貢献するほか、小型衛星の打ち上げ機会を増やして宇宙産業の振興も狙う。日本得意の二足歩行ロボットによる月面探査を実現し、有人活動との連携も検討するなどだ。

 内容はあまりに総花的で、予算の裏付けもない。計画をそのまま実行すると五年後には現在の二倍以上の予算が必要との指摘もあり、実現は難しかろう。

 問題は非軍事を原則としてきた宇宙開発に、宇宙基本法の施行によって防衛目的の宇宙利用が解禁されたことだ。計画の柱の一つとして安全保障目的の衛星が挙げられ、現在三基の情報収集衛星を五年以内に四基に拡充し、早期警戒衛星のセンサー研究の推進も明記された。

 しかし、衛星自体の保有の判断は今年末にまとまる新しい防衛計画大綱や次期中期防衛力整備計画に委ねるとした。まだ正式に決まっていない衛星について、基本計画で先走るのは、順序が逆ではないか。

 既に運用されている情報収集衛星についても、本当に役に立っているのか、検証作業がなされていない。巨額の税金が投入される宇宙開発は納税者の理解と支持が欠かせない。防衛機密に隠れた宇宙の軍事化を進めてはなるまい。歯止めが必要だ。

山陽新聞 2009年4月29日

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宇宙基本計画 軍民共用の推進が合理的だ

 宇宙開発を安全保障に役立て、外交ツールとしても活用する方針を明確に示した。

 政府の宇宙開発戦略本部がまとめた宇宙基本計画案は、向こう10年程度を目標に据えて、今後5年間に取り組む宇宙開発の具体策を盛り込んだ。

 これまでタブーだった防衛目的の宇宙利用では、将来の早期警戒衛星の導入を念頭に、早期警戒機能のためのセンサーの研究の推進を明記した。

 現状は米国の早期警戒衛星の情報に全面的に依存している。北朝鮮の核とミサイルの脅威に対し、自前でミサイル発射の早期探知が可能になれば、迎撃できる確率も増すに違いない。

 だが、技術面で課題も多い。センサーは静止軌道から熱感知できる性能を求められる。ミサイル発射時の熱を火災の熱などと誤認しないためには、さまざまな熱源の情報を蓄積したデータベースの開発も必要になる。

 計画案は、具体化には防衛とほかの目的の機能を併せ持たせるデュアル・ユース(軍民共用)の検討を進めるべきだとした。

 センサーやデータベースは、火山や山火事の早期警報、都市部のヒートアイランド現象の解析などにも利用できる。軍民共用の運用を想定した開発が合理的だ。開発コストの抑制も期待できる。

 日本の宇宙開発は従来、「平和利用」を「非軍事」と誤って解釈し、この種の議論を避けてきた。計画策定を機に、世界に例が多いデュアル・ユースを積極的に推進すべきだろう。

 計画案は「宇宙外交」の推進も掲げた。中国が、アフリカで資源確保と引き換えに衛星開発に協力するなど先行してきた分野だ。

 日本も近年、衛星画像を活用して、アフリカ南部のボツワナで鉱物資源探査の技術協力を進め、インドネシアで穀物の収穫予測に協力している。こうした取り組みを強化し、これまでの遅れを取り戻さねばならない。

 ただ、どんな宇宙活動も、前提となるのは確かな技術力だ。その涵養(かんよう)が欠かせない。

 計画案は、今後10年間に政府が開発する衛星や宇宙探査機を一覧表に掲げた。切れ目なく経験を重ねることで、産業競争力も培うことができる、との判断からだ。

 独自の有人宇宙活動でも、政府として初めて、ロボットと人による月探査の実現に触れた。1年程度で具体案を検討する。

 計画案を、日本の宇宙開発の総合力強化につなげたい。

讀賣新聞 2008年4月28日

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全国学力テスト 「毎年」「一斉」必要なのか

 今年で三回目になる文部科学省の全国学力テストが行われた。これまで不参加だった愛知県犬山市が加わり、公立校だけでいえば、初めて全部の学校が参加した。しかし効果について多くの疑問も挙がっている。六十億円も使って毎年やり続ける意味があるのか。そろそろ原点に返って考えなければなるまい。

 背景にあったのは子どもの学力低下だ。全国データをとることで、国や教育委員会、それぞれの学校が、取り組む課題がつかめるはず。それをよりよい指導につなげようというのが、テストの目的だった。目的は達せられているのだろうか。

 過去二回のテストでは、例えば「知識の活用に難がある」といった共通の課題が浮かび上がった。「早起きの子どもは成績が良い傾向」といった生活と学力のかかわりも確認された。ただ「巨額の金と労力を使わなくても分かる当たり前のこと」との声も出ている。

 ではテスト結果が一人一人の学習指導にきめ細かく役立てられているのだろうか。対象となっているのは小六と中三。九月ごろに結果が発表され、卒業までに「成績アップの工夫をしろ」と言われても、先生がすぐに対応するのは難しかろう。

 確かに、都道府県の順位が一覧となれば序列が分かる。大阪府知事が「教育非常事態」を宣言したように下位の自治体に危機感を持たせる「効果」はあるに違いない。

 しかし都道府県ごとの全国的な位置付けは、数年に一度のサンプル調査で十分把握できる、と専門家は指摘している。全国の小学校長を対象にした調査でも、ほぼ半数は抽出方式でいいとしている。

 正答率など数値や順位にばかり注目が集まる「一斉」ゆえのデメリットも広がっている。市町村別の結果を知事らが公表する動きもある。このままでは、テストの点数を上げる「工夫」が広がり、競争が過熱して中止になったかつての学力テストの二の舞いにもなりかねない。

 テストの結果で文科省が注目すべきは二年続けて成績の良かった秋田県だ。独自の基準で、小学校低学年と中一で少人数学級を導入している。日本の国内総生産(GDP)比の教育予算は、経済協力開発機構(OECD)諸国でも最低クラスだ。限られた予算の中だからこそ、一斉テストより優先順位の高いものはないか考えるべきだろう。

中国新聞 2009年4月26日

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私学助成:栃木県が10年度から廃止 財政悪化で

 栃木県が2010年度から、私立学校に出していた補助金を廃止する方針を固めたことが23日分かった。これまでは児童、生徒ら1人当たり年1万1500円を県単独の補助金として計上し、09年度は約6億円を支給する。自治体の中には財政悪化に伴い、私学への補助金を削減する動きが出ているが、日本私立中学高等学校連合会は「廃止は聞いたことがない」と話している。

 県によると、同県内の私学204校・園が09年度に受ける助成費は、国庫支出金と地方交付税相当分を含め総額約131億5100万円。県単独分の6億円は全体の約4.5%にあたる。だが、景気低迷などに伴う財政悪化で、同県は09年度以降、毎年300億円以上の財源不足が生じる見通しで、補助金廃止を決めたという。

 県は「財政健全化のためには聖域なく見直すことが必要。(補助金廃止は)やむを得ない」と話し、反発が予想される私学側と本格的な調整に入る。【葛西大博】

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毎日新聞 2009年4月24日

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全国学力テスト 授業向上こそ最大の狙い

 小、中学生の全国学力テストが行われた。復活して3回目で、これまで参加していなかった愛知県犬山市も加わった。成績は8月にも公表されるが、市町村や学校別も積極的に公表し、学力向上に生かしてほしい。

 成績の市町村別公表には依然、賛否がある。秋田県の佐竹敬久新知事は「あえて公表する必要はない」との方針だが賛成できない。

 本来、教育委員会や学校は自らが積極的に成績を公表し合うのが筋である。近隣の自治体や学校などと比べることで弱点が分かり、より良い指導法を学べる。

 大阪府の橋下徹知事や秋田県の寺田典城前知事らが昨年、市町村別公表に踏み切ったのは、各教委が自らの成績を明らかにしない消極姿勢に業を煮やしたからだ。

 学力テストは入試問題と違い、難問が出るわけではない。きちんと授業を受けていれば、大半はできていい問題が出題される。「序列化や過度の競争を招く」と心配する性格のテストではない。

 昭和30年代に行われた学力テストでは、教師への勤務評価などを嫌う日教組が激しい反対闘争を展開し、全国規模で学力を把握する手段がなくなった。

 学力テストの再開は、ゆとり教育による学力低下への批判が背景にある。だが評価を嫌い、横並びを好む体質は日教組だけでなく、いまも教育界には根強く残る。全国学力テストを不要だとする意見もあるが、競争や評価を嫌うだけでは問題は解決しない。

 過去2回の結果をみると、都道府県別で上位と下位には差があった。市町村や学校によっても平均とかなり離れている例がある。

 授業のやり方に問題はないか、教委や学校の取り組みは十分か、比較・分析しなくては改善策も生まれてこない。家庭との連携も欠かせない。市町村別の結果などは保護者も知りたい情報だ。

 秋田県の例では、大都市と違って塾のない山間部の学校が学力向上に成果をあげ、指導法が注目された。これも市町村別成績の公表で分かったことである。

 今回は、実生活を題材にした文章から情報を読み取り、考えを書く問題が目立った。新学習指導要領でも重視される内容だ。

 日本の子供たちの弱点とされてきた思考力や表現力をいかに育てていくか。教師は授業のやり方をいま一度見直し、指導力も競い合う中で工夫してほしい。

産経新聞 2009年4月23日

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学力テスト 全校参加というけれど

 小学六年と中学三年を対象にした文部科学省の全国学力テストは、初めてすべての国公立小中学校が参加する形で行われた。

 文科省は、実施三回目で学力テストへの理解が浸透したと肯定的に受け止めているが、果たしてそうだろうか。

 私立校の参加率を見ると、初回は62%だったが、年を追って離脱組が増え、今回は48%と半数を切った。私立がテスト実施による学力向上の効果に疑問を持っていることを如実に表している。

 過去二回の不参加から、参加に転じた愛知県犬山市教委も、「参加した立場から学力テストに問題を提起したい」と表明した。

 学力テストをめぐっては、成績公表のあり方についても、混乱が続いている。

 文科省は、競争激化を避けるためとして、都道府県教委に市町村別や学校別の結果公表を禁じているが、一部の知事がこれに反発。文科省や教委と対立する事態になったことは記憶に新しい。

 今回のテストの平均正答率は八月にも発表されるが、公表をめぐる混乱が繰り返されることは目に見えている。

 点数アップに向けた補習に取り組ませる学校も登場している。テスト結果に基づいて地域や学校のランク付けが進み、過度な競争意識を招くことは当初から懸念されていた。

 学校や市町村ごとの平均値を比較して、学力が高いとか低いとか一喜一憂することに、どれだけの意味があるのか。

 一九六〇年代に、競争過熱で廃止になった旧学力テストの失敗の教訓は生かされていない。

 大切なのは、一人一人の子供が学習を通じて、自らの限界を乗り越えていく喜びを実感することだろう。

 得点競争に目を奪われれば、学習についていけない子供たちを見過ごすことにもつながりかねない。

 全国連合小学校長会が昨年行った意識調査では、全国の学年全員を対象とする現行方式のテストが望ましい、と回答した校長は48%にとどまっている。

 学力の推移を把握するためなら、何年かに一度のサンプル調査で足りるとの専門家の声は根強い。

 テスト実施には毎回五十億円以上かかる。教員増や校舎耐震化など他にやるべきことはいくらでもある。

 現場から声をあげたい。市町村教委や学校は、参加の是非について保護者や地域住民とあらためて話し合ってみてはどうだろう。

 子供たちにとって望ましい教育はどうあるべきか。横並びではない答えを導き出す時期にきている。

北海道新聞 2009年4月23日

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小学校の英語 学びたい環境づくりこそ

 小学校で五、六年生を対象にした「外国語活動(英語)」が四月から始まった。二〇一一年度から本格導入される英語授業に備えての予行演習的な意味合いを持つ。必修化までに課題を洗い出して体制を整えられるかどうか。取り組みが問われる。

 新しい学習指導要領では、小学校での英語学習を必修として週一時間の学習を義務付ける。外国語に親しみ、「聞く」「話す」というコミュニケーション能力の素地を養うのが狙いだ。

 英語の必要性が増していることは疑いがない。小学校段階で英語教育を実施する国が増加していることがそれを裏付ける。非英語圏のアジアでも一九九六年にタイ、九七年には韓国、二〇〇五年には中国も必修化した。

 県教委と新潟市教委によると、本年度から県内ほぼすべての小学校五百四十六校が自主裁量で英語学習に取り組むとみられる。既に各校には「英語ノート」や、音声教材や画像で見られるデジタル教材が配布されている。

 各教委は教師の研修も重ね、準備を整えてきたと強調する。だが、それだけで現場の不安が解消されるかといえば疑問符が付く。

 大手教材会社による全国調査では半数以上の小学校が「課題があり、不安が残る」と回答している。全国連合小学校長会の調査でも、指導の課題として英語が最も多く挙げられた。

 中学校教師を対象にした別の教育会社の全国調査では、小学校での英語教育の必要性には理解を示しながらも「中学校での英語指導がスムーズにいく」との回答は約四割にとどまった。

 小学校での指導がばらつき、中学校での授業展開に支障が出かねないとの心配があるからだ。

 小学校にとっては初めての経験となる。英語教育を専門とする先生はごく少数だ。英語への興味を引き出し、どう教えていくか。教師が不安を抱くのは当然である。英語学習導入を前に、負担を苦に教師を辞めるというケースさえ出ているという。

 県内初の「教育特区」に認定され、英語学習で先行する南魚沼市では本年度、市内の全小学校で「国際科」授業を開始した。注目されるのは英語指導を行う担任教師へのサポート体制だ。中学校の英語教師や外国人指導助手と連携する授業は、指導力の向上と中学校への円滑な移行に効果があろう。

 先行実施で学校現場からは教師の負担感のほか、指導時間をどう確保するかという戸惑いの声が上がる。

 小学生のうちから英語嫌いが増えるようでは困る。子どもも教師も英語を楽しく学べる環境をどう整えるか。二年間の試行期間で
、これを見極め、支援体制をつくることが欠かせない。

新潟日報 2009年4月23日

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全国学力テスト そろそろ見直し必要では

 文部科学省の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が一斉に行われ、小学六年と中学三年の計約二百三十四万五千人がテストを受けた。岡山県内では計約三万七千人が参加した。

 学年全員を対象に、国語と算数・数学の二教科で行われるテストは二〇〇七年から始まり、今年で三回目だ。これまで不参加だった愛知県犬山市が加わり、国公立は初めて100%参加となった。一方、私立の参加率は昨年を約5ポイント下回り、約48%と半数を割り込んだ。

 文科省は、実生活と関連させたり文章での表現力をみるなど、知識の活用を目指す新学習指導要領を念頭に置いて出題したという。分析結果は九月をめどに公表する予定だ。学校間の序列化や過度な競争などを防ぐため、文科省は都道府県教委に対し、市町村別や学校別の結果公表を実施要領で禁じている。

 しかし、昨年は大阪府や秋田県が一部を公表し、混乱が表面化した。今年は鳥取県教委が市町村別・学校別成績の開示を決めるなど、結果の扱いが再び論議を呼びそうだ。結果発表の仕方によっては、テスト重視の教育が再び過熱する懸念もぬぐい切れない。

 全国学力テストは、子どもの学力低下が指摘される中、全国的な学習状況を把握し、課題を明らかにする狙いで始まった。過去二回とも「知識の活用に課題がある」との分析結果が公表されている。学力の実態、課題を浮き彫りにするという意味では、一定の役割は果たしたといえるのではないか。

 テスト結果を客観的なデータとして活用することで教育指導や授業改善などに生かすことが求められるのは言うまでもない。しかし、県別の正答率など数値や順位が独り歩きしているのが実情で、「指導に生かす」といった目的はお題目にすぎないとの指摘もある。

 学力テスト実施に当たっては今回も昨年同様、約五十八億円の費用が計上された。文科省は今後も全国一斉方式を続ける方針だが、膨大な予算と労力をかけて毎年継続する必要があるのだろうか。抽出調査に切り替えたり、全国調査は数年おきにするなど、そろそろ見直しが必要なのではないか。

 全国連合小学校長会が昨夏、八百五十四校長を対象にした意識調査でもほぼ半数が全国一斉方式に疑問を呈した。求められるのは、教育現場が抱える学習環境状況の問題点や苦悩を解消するための有効な支援策を打ち出すことではないのか。

山陽新聞 2009年4月23日

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学力テスト 実施3年もうやめてはどうか

 全国学力テストが今年も実施された。四十三年ぶりに復活した二〇〇七年当初から節目としてきた三回目を迎えたが、実施方法や成績公開をめぐっては専門家や現場から異論が噴出している。保護者のあいだでも賛否が渦巻く。

 今年は全国の小学六年と中学三年の二百三十五万人が対象だ。二十一日のテストには唯一不参加だった愛知県犬山市が加わり、「国公立校100%参加」が実現したとのふれこみである。県内では、国公立の四百六十三校と私立中学の全六校が参加し、約二万六千人がテストに臨んだ。

 参加人数が多いほどデータの客観性が高くなるのは確かだが、そのために費用は大きく膨れあがる。過去二年で百三十五億円
、今回も五十七億円をつぎ込む。期待するだけの学力向上効果が上がっているかどうかが問題だ。
 実のところ、文部科学省がこだわる「全国一斉」は立て看板にすぎない。全国的には私立の学力テスト離れが進んでいる。初回の〇七年は参加が六割を超えたが、今回は48%に下がった。学校行事などで実施を延期した公立校もあり、これらの児童生徒の成績は文科省が夏ごろに公表する結果に反映されない。

 全国一斉にならないのは、どこまでも目的が定まらないからであろう。テストを受ける児童生徒が毎年変わるため個々の指導にどれほど役立つのかどうか疑問だ。現場からは結果が届くのが遅くて活用しにくいとの声も聞こえる。

 膨大な費用と労力を考えれば、対象を限定した抽出調査の方が合理的だろう。民間の模擬試験でも十分だとの指摘ももっともである。

 国主導のテストのはずが、指導改善の対策づくりは現場任せなのが実態だ。「活用力に課題がある」「学力と学習時間の関係性は高い」との分析は自明のことであり、全国一斉の一大事業の検証としてはあまりにも貧弱すぎる。

 当初の懸念通り、成績の数値順位ばかりに関心が向いているのも気がかりだ。旧学力テストの弊害を避けるため、文科省は市町村別、学校別の成績公開を禁じている。それが学力向上効果の検証の足かせとなっているとの声が出ても不思議ではない。

 公開を高らかに主張する知事も現れ、地域による対応の差が出ている。テスト参加や成績公開が政治問題化し、首長選挙の結果を左右するまでになっている。地域や学校の序列化を助長しかねない現状は見過ごせない。

 テスト実施そのものが目的化してはいないか。もとをたどれば、国際学力調査の成績下降を受けて台頭した学力低下論に押されて見切り発車した政策だ。学力向上効果が明確に示せないのであれば、思い切ってやめてはどうか。

愛媛新聞 2009年4月23日

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法科大学院改革 教育の質向上を急ごう

 法科大学院の認証評価機関の一つ「日弁連法務研究財団」が、2008年度下期に審査した7校の評価結果を発表した。鹿児島大、成蹊大、姫路独協大の3校が、基準を一部満たしていないとして不適合になった。

 これで法科大学院74校のうち04年春に開校した68校すべてが同財団などの評価を受け、不適合は約3分の1の22校に上ることが明らかになった。設立当時から「教員数などからみると、30−40校しかつくれない」といわれていた環境面の不備が裏付けられた格好だ。

 04年の創設に当たっては、文部科学省が基準に達した法科大学院のすべてに認可を与えたため、当初から教育内容について「社会的な期待に応えるだけの質を維持できていない」という批判があった。不適合とされた法科大学院は評価を真摯(しんし)に受け止め、質の向上に向けて思い切った対策を打ち出す必要があろう。

 法科大学院は法曹人口の拡大という社会的要請に応えるため、質量ともに豊かな法曹を養成しようという理念の下に導入された。しかし、修了生を対象にした3度目の08年新司法試験では、6261人の受験者中合格者が2065人にとどまった。合格率も33%と初めて40%を切り、法務省が事前に定めた2100人の下限を割り込んでいる。

 文科省によると、07年には1125人の学生が留年・退学などで必要な課程を修了できなかった。もともと実力不足の学生も多いとされ粗製乱造の感は否めない。法科大学院の質向上策を検討している中教審の法科大学院特別委員会が昨秋、各校の自主的な定員削減や統廃合を推奨する提言をまとめたのは当然だ。

 鹿児島大は基本科目の1分野の専任教員がおらず、基準を満たしてないと判断されたことが不適合の理由で、今月新たな教員を任命した。さらに、司法試験の合格実績低迷で入学志願者が減少していることから、10年度以降定員を削減する方向で検討を始めているという。

 だがこれで十分とはいえまい。法科大学院特別委員会が近くまとめる改善策の中には、入学試験に全国一律の最低基準点を設定することなどが盛り込まれる方向だ。法学未修者の基礎力を高めるため、1年次で履修する法律基本科目を増やすことも検討されており、教育環境の整備は急務である。将来的には近隣の法科大学院との連携・統合を視野に入れた改善策も考えるべきだろう。

南日本新聞 2009年4月23日

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全国学力テスト 序列化よりも質の向上を

 小学校6年と中学校3年の全員を対象にした文部科学省の全国学力テストが一斉に行われた。過去二回とも「知識の活用に課題がある」と分析されたことから、今回は実生活や他教科と関連させるなど、出題に工夫の跡が見える。日常での思考力を問うことは「生きる力」を培うことにもなり、大切な取り組みだ。

 しかし、課題はこれだけではない。実施方法や成績開示方法に関して配慮が足りず、疑問符が付く。

 第1に、知識の活用は全国一斉・一律のテストでなければ高められないのかという点だ。地域の実情に応じ、多様な観点から分析して教えることも必要ではないのか。現状は、学ぶ目的をはき違えているように思えてならない。

 2点目は、文科省が実施要領で都道府県教育委員会に求めた「市町村別・学校別の結果公表の禁止」の形骸(けいがい)化である。一昨年のテスト復活時から懸念されたことだが、過度な競争や学校間の序列化が現実味を帯びてきた。

 文科省は、調査で測定できるのは学力の特定の一部分であり、学校における教育活動の一側面にすぎないとし、結果の取り扱いに十分配慮するよう求めている。

 実際はどうか。昨年、大阪府や秋田県が一部を公表した。今年は鳥取県教委が市町村別・学校別成績の開示を決め、埼玉県教委も自治体名を伏せた上で市町村別の結果を開示する。「配慮」通知など、どこへやらである。

 確かに、要領には「教育事務所単位での結果公表など個々の市町村名・学校名が明らかとならない方法で公表可能」ともある。これが紛らわしい。公表したい側からすれば抜け道を示唆されたようなもので、序列化を助長しかねない。

 沖縄を例に挙げるまでもなく、基礎学力の底上げは重要だ。一定水準の学力があってこそ、子どもが持つ無限大の可能性も伸ばせるというものだ。ただ、テストだけで学力が測れるわけでもない。いじめ問題、学級崩壊問題などへの対応を抜きにして教育は語れないだろう。

 少なくとも、現行のテストは点数至上主義に陥る危うさをはらんでいる。一度のテストで自治体や学校の順位が付けられても困る。学習環境をどう整えるか。子どもの可能性をどう見いだし、はぐくむのか。教育の質を高める取り組みこそが求められている。

琉球新報 2009年4月23日

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学力テスト 全員一律一斉は無用だ

 スクールバスの遅延で開始20分遅れが○校。強風のため繰り下げが○校……。文部科学省での記者発表はこんな報告から始まった。21日に一斉に行われた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の実施状況である。予定通りできなかった学校・学年・学級の件数などが挙げられた。この細かさ。「一律一斉」の堅苦しさを象徴しているかのようだ。

 小学6年生と中学3年生全員を対象に国語と算数・数学で毎年行われるこのテストは3回目。「理念に合わない」と過去2回参加しなかった愛知県犬山市が加わり、国公立100%実施となった。文科省は喜色を禁じ得まい。全自治体が「例外なく受ける」形が実現した。

 だが一方で、私立は「必要ない」などと次々に離脱し、参加率は5割を切った。結果(成績)の扱いについては地域で差異があり、序列化の懸念やそれをめぐるあつれきも起きている。そして何より、今回だけでも50億円以上かけて実施するこの全員参加方式の一律テストに、実際どれほどの学力向上効果があるのか。

 全国の子供たちの学力水準や傾向、改善ポイントについては抽出調査で十分解析できると専門家は指摘する。全員参加方式(悉皆(しっかい)調査)だと、受ける子供の数が膨大(今回は計234万5000人)になり、ぶれのない採点処理のため複雑な設問はしにくくなる。また、今回、時間不足による無解答を減らすことを理由に設問や文章も量を減らした。

 当初懸念されたように、全員・全学級・全学校参加のため成績(正答率)が全体の中に位置づけられ、数値順位に強い関心が向いている。1960年代に競争過熱で廃止になった旧テストの弊害を避けるため、文科省は市町村別や学校別成績の公表を禁じている。だが、都道府県や地域によっては、知事らが公表をバネに競い合って学力向上を図るべきだとして教育委員会などと対立、一部公表に踏み切るところも出てきた。

 学力テストの主目的は実態を解析して全国の学校現場に伝え、学力補強や勉強嫌い解消のポイントを見いだすことにある。これで序列づけをする意味は本来ない。そして、序列化の不安を抱かせたり、テスト前の練習問題解きなど準備を促すような全員参加方式ではなく、抽出調査の方がより合理的だ。

 子供たちに、知識、思考、判断、想像、表現の力と情操豊かな真の学力向上を望まぬ人はいない。全員参加規模ゆえの制約やあつれきのない方式に切り替えることに、ためらいは無用だ。その結果の活用にこそ腐心すべきではないか。既に各地で行われている独自の学力テストと組み合わせる工夫もその一つだろう。

毎日新聞 2009年4月22日

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全国学力テスト 授業改善に結びつくのか

 文部科学省の全国学力テストがきのう、小中学校約3万2000校で一斉に行われた。

 過去2回は不参加だった愛知県犬山市が参加し、公立校は初の全校参加となった。半面、「学習進度が違う」などとして自主路線を行く私立校の参加率は50%を割り、過去最低だった。

 「このテストでは生徒の力を測ることも、高めることもできない」。そう主張し続けた犬山市の場合は、市長が変わり教育委員に参加賛成派が増えたための方針転換。市教育長は「抽出調査で十分なのに」と、今も参加に懐疑的だ。
 全国学力テストは、本当に児童生徒のために役立っているのだろうか。問い直されるべき課題は多い。

 結果公表のあり方も国と知事らの意見が分かれたままだ。文科省は今回も、過度な競争や序列化につながる恐れがあるとの理由で、都道府県教委に市町村別、学校別の平均正答率を公表しないよう求めている。
 昨年度は、秋田県の寺田典城前知事が「県民の利益になる」として県教委の反対を押し切って市町村別データを全国で初めて公表、論議を呼んだ。大阪府も一部を除く市町村を公開。鳥取県は本年度以降、市町村と各校のデータを開示する。

 一方、自主的な判断で公表が認められている市町村教委、各学校の対応はまちまち。文科省の調査では昨年度は約4割の市町村教委が公表か、公表の意向だった。自分の地域や学校がどの位置にあるかは、保護者も住民も知りたいデータだ。この流れは今年も加速するだろう。
 ただ、強権的なやり方で無原則に公表が進めば、文科省の言うようにランキング競争をあおりかねない。それによって、地域の教育がゆがめられるようなことになっては元も子もない。

 公表は、都道府県教委と市町村教委、各学校が、どんな学習カリキュラムでテスト結果をフォローしていくか。その態勢づくりとセットで考えるべきだ。
 昨年、教育関係者グループが全国の教師を対象に行ったアンケート(1200人回答)では、結果を授業改善に活用した教師は44%にとどまった。結果がどれだけ生徒の指導にフィードバックされるかは、テストの本質のはずなのに、心もとない。

 ゆとり教育を見直し、2011年度に完全実施される新学習指導要領は、学力向上が主眼になる。これまで3度のテストでも、知識を問う旧来型の設問と、活用力を見る新しい問題とを配して、「自ら学ぶ力」の育成に取り組む意図がうかがえる。
 しかし、結果が出るのは4カ月も先の8月末。返送される個人票は各設問の「正誤」が記されただけのもの。どこがどう弱いかを指導したり、授業の改善に生かしたりする最も肝心な部分は、現場の教師の意欲任せになっている。

 犬山市は、独自に採点してすぐに指導に生かす方針という。このテストが、生徒の学ぶ力を引き出す授業につながっていないとしたら、毎年数十億円の巨費を投じ、全国総参加型で実施し続ける意義は薄い。

河北新報 2009年4月22日

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全国学力テスト これなら抽出で十分だ 

 二〇〇七年度の「復活」から三回目となる全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が一斉に行われた。

 拒否してきた愛知県犬山市が加わり初めて公立校100%実施となった。

 急速な景気悪化によって世帯間の経済、社会的格差が広がる中、子どもたちの学力水準と格差の状況をテストで監視する意義は小さくない。全国的な位置づけを把握する必要もあろう。

 ただ、これなら抽出でも可能だ。

 約五十八億円という巨費を一斉調査に投入するよりも、三年分のテスト結果を詳細に分析し、格差是正につなげる教育課程の設計などに反映させ、教員の数と質の向上にも回すべきだ。

 そもそも「個々の生徒の指導に生かす」という目的だが、正答率などが夏休み明けに返されても、教育効果には限界がある。子どもたちや学校それぞれの課題克服は、独自にテストを実施している地方に委ねてはどうか。

 「学力低下」が叫ばれたのは〇四年だ。経済協力開発機構(OECD)が公表した「生徒の学習到達度調査」(PISA)で、日本の高校一年の読解力などが大きく順位を落とした。

 このため、基礎的な知識に加え、PISAを意識した知識の活用力を調べるための一斉テストが導入された。

 過去二回のテストでは、都道府県別の平均正答率の順位に固定化傾向が見られた。しかし、正答率と学級規模、指導方法などとの関係について、文部科学省は十分な分析を示せていない。

 他県からの視察が相次ぐ成績上位県でさえ、何が奏功したのか、決め手となる施策を言い切れないのが実情だ。

 その結果、平均正答率が独り歩きする。テストを想定した問題集など「対策」も散見される。新学習指導要領が「知識・技能を活用し、課題を発見して解決する力」を目指すのに、だ。

 わが子の学力を知りたいという保護者ニーズは高い。文科省や教委は非開示情報としたい考えだが、今回も「異議」が相次ぐだろう。昨年は秋田県が全市町村別の正答率を公表した。今年は鳥取県が学校別も含め開示できるよう情報公開条例を改正している。

 学力テストとともに実施された生活習慣調査で、学力との相関関係が指摘されている。家庭を巻き込まねば効果は上がらない。そのためには、教委が開示に知恵を絞る必要もあろう。

 子どもたちが知識を活用し、生きる力につなげる。そのための授業改善が何よりも大切なはずだ。

 活用力とは思考の過程を重視するものであり、答えは一つではないこともある。子どもの学習意欲を引き出せるかどうか、教員の腕の見せどころだ。

 ベテランが大量退職する一方、「教育改革」のメニューが膨らみ、現場の負担感は増している。教員の数と質の向上のために投資は欠かせない。

京都新聞 2009年4月22日

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高校無償化法案など可決=参院

 参院は24日午前の本会議で、国公立高校の授業料相当の就学支援金を支給する「高校無償化」法案など3法案を民主党など野党の賛成多数で可決、衆院に送付した。自民、公明両党などは反対した。3法案はいずれも民主党などが提出していた。

時事通信 2009年4月21日

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全国学力テスト「調査事業の再編が必要では」

 小学6年と中学3年を対象にした文部科学省の全国学力テストが、きょう実施される。今年度で3回目となる。過去2回は不参加だった愛知県犬山市が参加を決め、初めて国公立校すべてが参加する予定だ。

 全国レベルで児童生徒の学力を分析し、教育政策の改善に資するのが目的の調査事業だが、文科省のねらいとは裏腹に、学校や地域間での過剰な競争や序列化の懸念も出始めている。

 昨年度は自治体による市町村・学校別成績公表の是非が議論となり、学校現場では戸惑いも見られた。今年度は私立校の参加率が5割を切り、テスト自体を疑問視する声も少なくない。

 テスト1回に掛かる予算は初年度が約77億円、昨年度は約58億円にも上っている。文科省は当面は毎年実施する意向を示しているが、一時この学力調査事業のあり方を精査してみる必要があるのではなかろうか。

 テストは国語、算数・数学の2教科で、学習習慣を問うアンケートも実施する。文科省は8月中の結果返却を目指しており、併せて都道府県別の平均正答率など全国の状況を公表する。

 このテストをめぐり疑問の声が根強いのは、文科省の調査趣旨を外れた学校や地域間での点数競争が行われ、点数によって学校の序列化が進むのではないかといった懸念が現実化し始めているからである。

 過去2回のテストでは、教師が答案を指さして誤答に気付かせる不正を行ったり、教委が独自の問題を作成してホームページに掲載するなど、テストで好成績を得ようという競争意識から生じた弊害も見られた。

 文科省の実施要領では、各教委や学校はそれぞれの正答率などを公表できるが、過度の競争を招く恐れがあるとして教委に域内の市町村・学校別の成績公表を行わないよう求めている。

 しかし大阪府は昨年度、自主的に結果を公表していた市町村の正答率をまとめて開示し、秋田県も全市町村の正答率を公表した。鳥取県は情報公開条例を改正し、今年度から市町村・学校別の成績を開示できるようにした。

 成績開示に関しては都道府県教委と市町村教委の間でねじれ状態となっているところもあり、文科省も要領順守を訴える一方で地方の判断をある程度尊重する姿勢も示し、玉虫色だ。

 過去2回のテストでは、学力格差が激しかった1960年代の学力テストの結果に比べると成績は平準化し、都市部と町村部でも大きな差は見られないことも分かっている。

 参加率が5割を切った私立校の中には、テストが学校の授業進度に合わないことや、結果から得るものがないことなどを理由に
、調査の意味を疑問視する声もあるという。文科省はいま一度学力調査事業のあり方を精査し、事業の再編を検討すべきと考える。

陸奥新報 2009年4月21日

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学力テスト 一斉の目的が見えない

 二十一日の全国学力テストは愛知県犬山市が参加に転じ、国公立は全校で実施される。だが、私立校の参加は減る一方だ。文部科学省がこだわる「一斉」にならないのは、目的が見えないからだ。

 小学六年と中学三年が対象の全国学力テストは今年で三回目だ。全国の自治体が初回から参加したなかで、犬山市は「競争で学力向上を図ろうというテストは教育理念に合わない」と過去二回とも不参加だった。

 しかし、三月の市教委で今年は参加を決めた。不参加に批判的な田中志典市長は教育委員を増員し、任期切れとなる参加反対派委員を賛成派委員に入れ替えた。多数派工作が実った結果といえる。

 保護者のなかには「なぜ犬山だけが不参加なのか」「テストを受けさせ、結果を知りたい」といった疑問や反発があった。市長はそんな声に耳を傾けたのだろう。

 市教委が不参加を貫いてきたのは、瀬見井久教育長の強い個性と指導力もあったろうが、独自に進めている教育改革への自信と自負があったからにちがいない。

 点数ばかりに注目が集まる学力テストを教育現場でどう役立てるのか。学校別の成績公開はしないとみられるが、市としてデータをどのように活用していくのか。

 ここで参加に転じるなら、そこまで踏み込んだ議論をしてほしかった。犬山市の努力は全国から注目されていただけに、「横並び」と落胆させてしまう。

 国公立は全校参加となるが、私立はテスト離れが進む。参加校は一昨年62%、昨年53%だったが、今年は48%とさらに下がる。

 不参加の理由はいくつかある。結果が届くのが遅くて活用しにくい▽学校の学習進度と合わない▽学校や生徒の客観的な学力は民間の模擬試験で十分−などだ。

 いずれも児童生徒にとって役立たないという判断だ。文科省はテストの目的を「全国規模で結果を分析し、学力向上に活用する」というが、私立の減少傾向はテストがその目的に合致していないことを裏付けているのではないか。

 義務教育なのに公私間で対応に差があれば「一斉」の意味は薄い。国公立実施校も半分程度の抽出調査に変えてはどうか。一回五十億円以上の費用も削減できる。

 学力テストは競争原理による学力向上が図られ、結果を通じて各教委を監督できる。国が一斉に固執するのはそんな狙いと思惑があるのでは、と勘繰ってしまう。

中日新聞・東京新聞 2009年4月21日

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全国学力テスト 本当に全員、毎年必要か

 文部科学省による全国学力テストがきょう、一斉に実施される。テストは国語と算数・数学の2教科で、対象は小学6年生と中学3年生の全員だ。

 2007年にテストが復活して今年で3回目だが、これまで公立で唯一不参加だった愛知県犬山市が参加へ姿勢を転換した。これで、文字通り公立校の対象児童生徒の全員参加が実現した。

 文科省は、テストの目的が理解された結果だと胸を張りたいであろう。

 国や市町村教委、学校が子どもの学力状況や課題をつかんで、学力向上に向けた指導改善につなげる。これが、文科省が言う一斉学力テストの狙いだ。

 確かに理念としてはうなずけるし、わが子の学力水準に関心を持つ保護者からすれば、その成果に期待もする。

 犬山市教委は少人数授業など独自の教育改革に取り組み、教育委員全員が「全国一律のテストは不要」としてきたが、市長が変わって参加派の委員が多数を占め、方針が覆った。臨時教育委員会で参加派委員は「せっかくあるのだから活用した方がいい」と主張したという。

 私たちは全員参加のテストが毎年必要なのか、と訴えてきた。考えはいまでも変わらないが、その理由の1つは、犬山市の参加派教育委員が言う「テストの活用」に重大な懸念があるからだ。

 テストを受けるのは小6と中3だ。来年は、いまの小5と中2が受ける。毎年出てくるのは別人の成績である。

 文科省は9月ごろに市町村や学校ごとの結果を返し「指導に生かせ」と言う。だが、その子の学力が前年より上がったか下がったかが分かるテストではない以上、数カ月後に判明する一度だけの成績が個々の指導にどれほど役立つのか。

 国が学力の全体状況を把握して指導改善策を探るのなら、抽出調査を充実させれば十分だろう。子ども一人一人の学習状況を点検して日々の指導に結び付けるのであれば、学校や自治体が工夫を凝らして独自のテストに取り組めばいい。

 一方で、市町村別や学校別に成績の比較が可能になったことから、結果の公表圧力は強まるばかりだ。慎重だった福岡県教委も自治体に公表を要請した。

 大分県教委は今春、「平均正答率を△%上げる」といった数値目標を掲げ、結果公表を約束した8市村に教員を増やした。県全体の教員数は増やさず、いまの人数内でやりくりしたという。学力水準の低い学校、自治体に教員数を手厚くするのなら分かる。結果公表を教員配置に直結させる手法が学力向上にどこまで通用するのか、はなはだ疑問だ。

 自治体も学校も、現状では新学期早々のテストをこなすだけで精いっぱいのように見える。文科省は今回も57億円を投じるが、ここらで立ち止まってはどうか。今後も継続すべきかどうか、今回までのテスト結果を詳しく分析・検証したうえで、再検討を求めたい。

西日本新聞 2009年4月21日

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更新講習、10万人以上の受入れ確保=文科省

 文部科学省は20日、4月から始まった教員免許の更新制で、大学などが文科相の認定を受けて2009年度に開設する更新講習の第4回認定状況を発表した。第4回までに認定された講習数の累計は、456大学などの8886講習。更新制では毎年、約10万人の教員が受講する見込みだが、今回の認定で必修・選択両分野の講習とも全体としては10万人以上の受け入れ態勢を確保した。

 更新制は教員の資質向上が目的で、無期限だった教員免許に10年の有効期限を設けた。更新には大学などが開設する講習を必修、選択両分野の合計で30時間受講する必要がある。

 認定された講習の累計内訳は、必修が285大学などの850講習で受け入れ予定数は10万6453人(通信講習などを除く)、選択が444大学などの8036講習で受け入れ予定数は12万7930人(同)。(了)

時事通信 2009年4月20日

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全国学力テスト、教員が独自に採点=犬山市

 愛知県犬山市教育委員会は20日までに、2009年度全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)について、業者とは別に全14校の小中学校の教師が独自に採点する方針を固めた。生徒の解答用紙をコピーして、各校ごとの方法で担当教師が採点、授業改善に生かすという。

 採点結果が文科省から送られるまで約4カ月かかるため、授業改善に生かすには、担当教師が早期に採点すべきだと判断。抽出か全員かも含め、採点方法や授業改善への生かし方などの具体的な方策は、各校に任せる。

 同市教委は、学校間の競争や序列化を招くことなどを理由に、07、08年度は全国の市町村で唯一、学力テストに不参加だったが、今年度は参加を決めた。

 市教委は「参加する立場から全国学力テストの有効性について検証したい」と話している。(了)

時事通信 2009年4月20日

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21日の学テ、受験者235万人=文科省

 小学6年と中学3年の約234万5000人を対象にした文部科学省の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が21日、行われる。昨年は自治体による市町村・学校別の成績公表の是非が議論となった。塩谷立文科相は3回目となる実施に当たって、「地方の判断はある程度尊重しなければならない」との考えを示しており、自治体の対応が注目される。
 テストは国語、算数・数学の2教科で、学習習慣を問うアンケートも行う。採点、分析などに掛かる予算は約58億円。今回は愛知県犬山市教育委員会が初めて実施を決め、対象学年のいる国公立校すべてが参加する予定だが、私立校の参加率は5割を切った。

 文科省は8月中の結果返却を目指しており、併せて都道府県別の平均正答率など全国の状況を公表する。同省の実施要領では、各教委や学校はそれぞれの正答率などを公表できるが、過度の競争につながる恐れがあるとして、教委に域内の市町村・学校別の公表を行わないよう求めている。

 しかし、大阪府は昨年、自主的に結果公表していた市町村の正答率をまとめて開示し、秋田県も全市町村の正答率を公表。鳥取県は情報公開条例を改正し、今年度から請求者に市町村・学校別結果を開示できるようにした。

 塩谷文科相は17日の記者会見で「公表しないという約束でやっている」と要領順守を訴えた。一方で「地方の判断はある程度尊重しなければならないし、条例への対抗策はない。仮に公表がいい結果を生めば、一つの事実として受け止めなければならない」と柔軟な姿勢も示した。(了)

時事通信 2009年4月19日

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学力テスト 半端な公表」何のため

 全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を県内6カ所の教育事務所ごとに分析し、限定的に公表することを県教育庁は考えている。学力テストは一昨年にスタートし、今月21日に3回目が実施される。テスト自体の効果が疑問視される中、過去の結果を限定開示する県教育庁の手法に違和感を覚える。

 文部科学省が約60億円をかけて実施する全国一斉テストは、小学6年、中学3年が対象で、過去2度とも沖縄は全国最下位だった。県教育庁は事務所ごとの限定公表は学力向上対策の一環としている。

 公表について金武正八郎教育長は、国頭、中頭、那覇、島尻、宮古、八重山にあるそれぞれの教育事務所管内の学校平均が、県平均より「かなり上・下」「少し上・下」との例を示した。あいまい過ぎるのではないか。

 なぜ限定的な公表なのか、どのような効果が得られるかについて、説明責任があるのは当然だ。

 学力テストの成績開示については、学校の「序列化」につながる、との懸念がある。他方、行政の透明性を確保する情報公開制度との兼ね合いもあり、二律背反的な問題をはらんでいる。

 文科省は実施要領で、学校名を明らかにした公表は行わないよう求めている。ところが大阪府、秋田県、埼玉県などが市町村別データを全部あるいは部分開示したほか、自主的に公開する学校もあり、文科省の要領は実態とそぐわなくなった。

 「少し上・下」という半端な公表は、かえって行政の姿勢を問われかねない。

 公表できない行政データを持って、教育施策につなげようとすることにそもそも難があったのではないか。都道府県が結果に一喜一憂するだけになっている感が否めない。具体的な施策が見えてこないからだ。

 43年ぶりに全国学力テストが復活したのは、経済協力開発機構(OECD)学力調査の国際比較で応用力の弱さが判明し、一気に学力低下への批判が高まったのがきっかけだった。実施3年目ともなれば、その成果とコストを比較考量し、事業評価を行うべきだろう。

 自民党「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」は昨年、「目的とコストが見合わない」との評価を下している。

 教育行政側はテストで子供たちを試してきた成果、あるいは反省点をそろそろ納税者に説明すべきだ。試されているのは、学力テストの実施者であることを忘れてはならない。

 全国の学力達成度や傾向をチェックするのなら抽出方式でやればいい、との指摘もある。費用対効果が明らかでない以上、毎年多額の予算を投じる必要があるのか疑問だ。

 学力テストでも有効性が確認されている少人数指導の授業をもっと広めるべきだ。そのためには必要な教員の数の確保と質の向上が不可欠となる。

 最近、20年以上も勤めた臨時教員の雇い止め問題があった。子供のテスト以上に教育行政こそ点検が必要だろう。

沖縄タイムス 2009年4月19日

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私大納付金、過去最高の131万円=08年度入学者−文科省

 私立大に2008年度に入学した学生が初年度に支払った納付金の平均額が2年ぶりに増え、前年度比0.8%増の130万9061円となったことが、文部科学省の調査で分かった。データが残る1995年度以降の最高額を更新した。

 調査では、4年制の私立大560校について昼間学部の授業料、入学料、施設整備費を集計。入学定員に応じて平均し、1人当たりの納付金額を算出した。

 内訳は、授業料が1.6%増の84万8178円、入学料がほぼ横ばいの27万3602円、施設整備費が1.6%減の18万7281円。学部別では、医学部(保健学科は除く)が最高の514万9584円、神・仏教学部が最低の112万6430円だった。

時事通信 2009年4月11日

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学校給食 国は無料化を考えたい

 物が豊かでなかった小学校時代の思い出に給食がある。母親たちが副食を作るために交代で調理場に立っていたと記憶する。においで昼食の献立がおおよそ分かった。

 学校給食の光景も変わったようだ。給食センターのような広域共同調理場方式が県内でも八割を超す。完全給食の実施率は小学校で95・2%、中学校で80・2%を占め、ミルク給食はかなり減った。

 今、子どもの肥満や朝食抜きが学校現場で指摘される。

 昨年、盛岡市内で開催された食育推進交流シンポジウムで紫波町日詰小の栄養教諭が自校児童の9・9%が肥満度30%以上に該当、朝食抜きは7・4%だったと実践発表して注目された。おそらく他の学校でも同じような傾向が見られると思われる。

 大人の世界でも「遅寝、遅起き、朝ごはん抜き」が増えている。子どもには「早寝、早起き、朝ごはん、テレビを止めて外遊び」が大切との報告があった。体調が悪く保健室に来る子どもの九割が朝、うんちをしていなかった。それでは授業に集中できない。

 入浴、排便、朝食などの生活習慣がしっかりしてこそ、学力や体力が伸びるとの指摘であった。大人自身がまず手本を示して子に接することだろう。新学期を機に保護者は子どもと約束したい。

 学校給食はまさに「食育」を考える機会であり、地元産の食材一つを話題にしても学校、地域、家庭を結びつける。文部科学省が二〇〇六年に決定した食育基本法の狙いもそこにあったはずだ。

 食育推進基本計画では一〇年度までに学校給食の地場産物使用割合を30%、朝食抜きの小学生ゼロを目標としている。地場産物の利用割合は全国平均が23・3%に対して本県は34・5%で10ポイントほど高い。米飯給食も本県は週平均三・四回で全国六番目にある。さらに安全、安心な地元産食材を「地産地消」のためにも給食に広く活用したい。

 学校給食で気になるのは、保護者の給食費未納問題だ。

 文科省によると〇五年度、全国の小中学で未納額は二十二億二千九百万円に上る。県教委の調べでは〇七年度、三千六百五十万円である。

 給食費は月額約四千−四千五百円だが、複数の小中学生を持つと、それなりの金額になる。全国の未納者数は約十万人、県内は約千五百人。およそ百人に一人の割合で未納の児童・生徒がいる。

 不況による親の経済的な負担は小さくない。国は子育て支援策として学校給食費の総額約五千億円(県分五十五億円)を全額無料化してはどうか。農水省が検討中の「減反選択制」の農家への所得補償一兆四千億円に比べれば三分の一程度で済む。

 市長選公約で給食費無料化に踏み切った北海道三笠市のような自治体もある。

 食育の立場から農林業や漁業の現場で子どもと親が一緒に学ぶのもいいだろう。規格外の野菜を出荷する地元農業団体のメリットも含め、各分野でさまざまな可能性が広がるはずだ。

宮沢徳雄(2009.4.11)

岩手日報 2009年4月11日

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教科書検定 事実誤認も見逃す杜撰さ

 事実誤認が甚だしい教科書が文部科学省の教科書検定で合格した。

 誤った歴史が後世に事実として教授される。これは放置できない。検定制度の不備を早急に是正する必要がある。

 検定に合格しながらも、「欠陥」教科書と指摘されているのは「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆し、自由社が発行した中学歴史教科書だ。

 事実誤認は例えば、第2次大戦での硫黄島の戦い。それに続く沖縄戦の開始時期だ。

 同書は「(1945年)4月、米軍は沖縄本島に上陸し、ついに陸上の戦いは日本本土に及んだ」と記述している。

 だが、国内での地上戦は沖縄ではなく硫黄島が最初だ。これでは硫黄島は日本ではないことになる。

 地上戦の開始も米軍が沖縄本島に上陸した4月と読める。だが、米軍は実際には3月26日に慶良間列島に上陸している。慶良間列島はまぎれもなく沖縄だ。そこで起きた住民の悲劇に触れないというのも解せない。

 さらに同書は、琉球王朝が「沖縄県」になった「琉球処分」について、多くの教科書が触れてきた新政府が軍隊や警察の力を背景に「強制」した事実を省略している。

 「琉球処分がスムーズにいったような書き方」に、事実に大きな間違いがある、沖縄の立場を無視しているとの批判が出ている。

 そもそも同書は、最初の検定段階で516カ所も「検定意見」が付き、不合格になった。

 それが、訂正・再提出され、さらに136カ所も再修正されている。その上での今回の「合格」だ。

 修正個所があまりに多すぎて事実関係の誤記や記述漏れを教科用図書検定調査審議会(検定審)が見逃したというわけではなかろう。

 むしろ最初に516カ所、2度目も136カ所も検定意見を出したほど徹底検証したはずだ。

 だとするならば、沖縄戦や琉球処分などで同書が犯した「事実誤認」は、執筆者らのみならず合格とした検定審にもある可能性もある。

 「歴史を歪曲(わいきょく)し、戦争を賛美する危ない教科書」と批判される教科書に国がお墨付きを与え、学校現場に送り出す。

 一方で、国は沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)での軍関与の史実をゆがめ、記述復活にも応じない。検定制度の不備と杜撰(ずさん)さ、危険性はもはや明白だ。

琉球新報 2009年4月11日

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脱ゆとり教育 消化不良にさせないために

 約40年ぶりに学校で教える内容が増える。詰め込み教育に戻って子どもを勉強嫌いにさせないよう、学校や教員の力量が問われることになる。

 学習内容を増やした小中学校の新学習指導要領が、理科と算数・数学について今年度から先行実施された。授業時間も増える。

 全面実施は小学校が2011年度、中学校が12年度だが、国際学力テストなどで理数の学力低下が目立つため、繰り上げられた。小学5、6年生の英語も必修となるのは11年度からだが、今年度から取り組むところが多い。

 理数は文部科学省が教科書会社に委託して補助教材を用意し、小学校英語は同省が自ら教材と教員用の指導資料を作成した。

 教材は、身につけた知識を使って考え、表現する力などを養うため、記述する欄が多い。どう生かすかは教員の腕次第だ。独自のエピソードを交えたり、子ども自身に考えさせる時間を十分与えたりするなど工夫してほしい。

 教員が互いに授業を見て批評し合い、わかりやすい授業に改善していくことも重要だ。保護者や地域住民が気軽に参観しやすい雰囲気づくりも大切だろう。校長が指導力を発揮し、学校一丸となって取り組まねばならない。

 文科省や各教育委員会には、一層の環境整備が求められる。

 科学技術振興機構の昨年度調査によると、理科の観察や実験で障害になっているのは、「準備や片付けの時間不足」「設備備品の不足」と回答した教員が多い。

 事実、観察・実験を補助する理科支援員が配置されている小学校は約2割だ。教材費を自費で負担した教員は、小学校で5割前後、中学校では4人に3人に上る。

 小学校英語には、学校現場の不安が強い。旺文社が昨年実施した調査では、英語必修化に不安を抱く小学校は約5割で、教委の約2割に比べてかなり高かった。

 国の教員研修センターと各教委は、07年度から教委の指導主事らに、昨年度からは各小学校の中核となる教員に対し、研修を実施している。研修の効果を見極めながら進めることが大事だ。

 教材や指導資料を使うかどうかは、各小学校に任されている。

 指導資料の内容は盛り沢山(だくさん)だ。児童のレベルに応じ、英語に興味を持たせる授業でなければ、慣れ親しませるどころか、中学校入学前に英語嫌いを生みかねない。

 指導資料の使い方を研修などで周知すべきだ。小中学校の緊密な連携も欠かせまい。

讀賣新聞 2009年4月8日

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塩谷立文科相・会見

 本日の閣議で、ラグビーワールドカップの日本招致の閣議了解を頂いた。
 今年を基礎科学力強化年と位置付けて取り組みを進めていたが、さらに強化のために必要な取り組みや課題について提言を頂くために基礎科学力強化委員会を設置することになった。第1回会合を明日(8日)開催する。提言を踏まえつつ、基礎学力強化推進本部で総合戦略を策定したい。

Q、東京地区私立大学教職員組合連合の調査で、奨学金を希望または申請した人の割合が過去最高になったが、今後の奨学金制度の在り方について。また、高等教育への支援についての考えは。

A、大変、経済状況が厳しい中で、学生が経済的理由で学業を断念せざるを得ないことのないように、日本学生支援機構の奨学金の充実を図っている。卒業後の奨学金返済に不安を感じ、奨学金を申請しない人がいるとすれば、大変憂慮すべきことと考えている。
 文科省としても、学生生徒が安心して就学できるように奨学金事業について十分周知するとともに、同機構の相談体制の強化を図っていきたい。
 (学費の)家計負担が高いことについては、わたしどもも当然考えていかなければならない。経済状況も踏まえて今後検討していく一つ(の課題)と考えている。
 補正(予算の追加経済対策で)も(負担軽減策を)検討しているが、直接、私大の生徒(の学費)を減免するのは方策として難しい。私大の融資などの増額を図って(負担を軽減する方法の実施に向け)今、最終段階に入っている。事業団からの無利子融資とかを増額し、大学独自でやるものに対し、融資の形で(支援することを)検討している。

Q、学力テストについて見直したらどうかとの意見も出ているが、どう考えるか。

A、今年で3年目。(見直しは)少なくても5年ぐらいはやってからだと思っている。わたし個人としては、子どものためにある調査だと思っている。自分たちが学力の状況を把握する。何よりも子どもたちが活用してもらうのが一番の目的と思っている。
 (実施)経費は考えなければならないが、できれば毎年、毎学年ぐらいやるのが一番学力に対しての正確な位置付けがはっきりするので、そういった調査を基に次への努力を促すことができればということを主な目的として考えている。これから何年かやって、その結果、検討しなければいけないことは検討すべきだと思う。

Q、多額の利益が問題になっている財団法人日本漢字能力検定協会に対し、改善策を15日までに報告するよう求めているが、理事長らの責任についての考えは。

A、まだ答えが出てきていないので。責任の所在を明確にするように求めた局長名での指示に対し、その答えが出なければ、当然、改めて何らかの措置を取る必要があると思う。例えば、もう1回(責任の所在を)明確にしろとか。他にもいろいろ改善指示したことへの回答の全体を見ながら判断すると思う。

Q、一部報道で6月の漢字検定試験の検定料を値下げしないまま、受検者の募集を始めているということだが。

A、3月1日から申し込みが始まっていて、その時点では値下げしていない状況で、今後どうするのか直接聞いていないので。われわれとしては、あれだけ膨大な収入があるなら値下げも当然だと思っている。その答えも含めて15日までにどういう内容で報告が来るか、それによって改めて対応を検討したい。(了)

時事通信 2009年4月7日

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小学校英語 必修化まで準備に万全

 新学期を迎え、小学5、6年生の英語学習が九州を含めて一部で始まる。小学校高学年の英語活動は新しい学習指導要領で必修化され、2011年度に全面実施されるが、学校の裁量で09年度から先行して実施できるためだ。

 授業時間数は週1コマ(45分)で、年間35コマを確保する。教科とはせず、成績は付けない。これが新指導要領に盛り込まれた骨格である。積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成と、英語の音声や基本的な表現に慣れ親しむことを狙いとしている。

 すでに小学校の英語活動は「歌やゲームなど英語に親しむ活動」「あいさつなど簡単な英会話の練習」など、総合学習の時間を中心に実施されている。07年度は全国97%の学校が取り組んでおり、6年生では月平均1コマ強のペースだ。後は時間数を増やすだけであり、必修化の前倒しは容易なように見える。

 しかし、現状の延長線上で考えるべきではない。何をどう教えるか、必修となれば、その質が問われるからだ。

 実際、旺文社の調査では53%の小学校が英語の授業には「課題があり不安」と答えている。外国語指導助手(ALT)は十分か、英語指導経験がある教員はいるかなど学校現場の不安感は強い。先行する教育委員会は支援体制を整えているのか、あらためて点検を求めたい。

 理想論から言えば、英語を学び始める時期は早い方がいいだろう。中学校に入って初めて英語に接するより、小学校高学年から学習する方が「純粋に楽しみながら英語を吸収できる」という指摘もある。それも体制があってのことだ。

 文部科学省は遅まきながら「英語ノート」という児童用教材を作り、各学校に配布した。使用単語数は5年で130、6年で150程度である。コミュニケーション体験を重視する立場から内容は会話に主眼を置き、イラストも多用している。先生向けに指導資料とノートの進行に合わせた音声入りCDも配った。

 ただ、いずれも届いたばかりで、使いこなすのはこれからだ。授業計画作りや指導方法をどうするか、現場は試行錯誤で模索することになりそうである。

 完全必修化まで、あと2年ある。慌てて前倒しする必要はないが、この間の準備が大事だ。ALTの配置や教員研修を充実させることはもちろん、先行する学校や自治体の実績に学ぶ必要もある。

 小中連携の一環として近年、中学校の英語教員が小学校の教壇に立つケースが増えている。英語指導の実際を知っている中学校教員の活用を、もっと考えていい。小学校教員には刺激となり、子どもにとっても中学校での英語学習に抵抗なく進めるのではないか。

 そもそも、小学校教員で中学の英語免許を持っているのは約4%といわれる。英語教育に素人の教員が必修授業を担うには万全の備えが不可欠である。

西日本新聞 2009年4月7日

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新指導要領 生きる力引き継げるのか

 県内小、中、高校の新学期シーズンを迎えた。新学年がスタートするのに伴い、今月から「ゆとり教育」を修正した新学習要領が実施される。完全実施は2011年以降ながら早期定着につなげようと先行実施するもので、算数・数学、理科は授業時間や内容が増える。が、「ゆとり教育」以前の「受験戦争」をあおった学歴主義や詰め込み主義に戻りはしないか、との懸念もある。

 「ゆとり教育」は1996年7月、「ゆとりある教育環境で、ゆとりある教育活動を展開し、教員や仲間と楽しく学び合いの活動をし、生きる力を身に付けていく」を目標に中央教育審議会が答申、学校5日制、授業の3割削減が導入された。そうした学習要領を、10年余で見直す背景には日本の児童・生徒の学力低下がある。

 経済協力開発機構が06年に57カ国・地域の15歳を対象に行った「国際学習到達度調査」の結果を翌07年に発表した。日本は数学が前回03年調査の6位から10位に、科学は2位から6位に後退した。時の渡海紀三朗文部科学相は「科学的応用力の順位が下がったことは残念。理数教育の充実に向けた学習指導要領改定に取り組む」と発言している。

 「技術立国」日本にあって、理数系の学力低下は日本全体の大きな課題ともいえようが、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で2年連続全科目全国最低だった本県にとっては、より深刻な問題といえる。

 県は同調査で2年連続首位の秋田県との教員相互派遣を昨年度から実施、同県の基礎力定着システムを学ぶなど学力向上を重点課題としている。1日に就任した金武正八郎県教育長も「学力は子どもたちが社会の中でたくましく生きる上で欠かせない力。学校、家庭、地域が一体となった対策を推進したい」とし、11年度までに学力テストの平均正答率を全国水準の70%に引き上げる方針を示した。

 子どもたちの学力アップに向けた県の対策強化は重要であり、本県の現状をかんがみれば最重要施策であることは理解できる。しかし、「ゆとり教育」以前の学力偏重主義に陥ってはならない。学力もさることながら、体力や感性も「生きる力」をはぐくむ。子どもたちが大きく育っていく環境づくりこそが肝要と考える。

琉球新報 2009年4月7日

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新指導要領 現場にはゆとりが必要だ

 「ゆとり教育」路線を修正した新しい学習指導要領が新学期から小中学校で先行実施される。

 学習指導要領は、学校が児童・生徒に教えなければならない学習内容などをまとめた教育課程の最低基準だ。前回の改定で掲げた理念「生きる力」は引き継ぐが、主要教科の授業時間数全体が約一割増える。授業時間数が増加に転じるのは約三十年ぶりのことだ。

 完全実施は小学校が二〇一一年度、中学校は一二年度だが、算数・数学や理科は〇九年度に前倒しで実施される。国内外の学力調査で理数系の応用力の低下が指摘されたことを受けた。小学校では英語の授業も可能になった。

 削減されていた学習内容の大半が復活する。「伝統色」が強くなるのも大きな変化だ。教育基本法の改正を受けて、中学体育では武道が必修となる。生徒の安全に十分配慮した指導ができるかどうかも大きな課題だろう。

 問題は、質量ともに現場に高い次元での目標達成を課しながら、それに見合うだけの条件が整備されていないことだ。

 全国連合小学校長会の調査でも、先行実施に対し、公立小校長の73%が「児童の負担が増え、授業や生活が忙しくなる」と回答、「教員の負担が増す」も80%に上っている。

 「ゆとり教育」という言葉とは裏腹に、開かれた学校づくりや保護者対応など、学習指導以外の仕事は増え続けている。教員を取り巻く環境の厳しさは、病気休職の主要因が精神性疾患であるという事実が物語っている。

 教員の増員が思うように進まない以上、現場はこれまで以上の負担を覚悟しなければならなくなる。教員からは「授業についていけない子どもが増えるのでは」「丁寧に教える余裕がなくなる」などの不安が出ている。これらの懸念は保護者にも共通するものだ。

 本来なら一人一人の子どもへの目配りが欠かせない状況だ。ゆとりにほど遠い現状では、授業をこなすだけで精いっぱいという事態も考えられる。

 かつての「詰め込み教育」へ逆戻りするようなことになれば、そのしわ寄せは子どもたちに集中する。

 新要領の高い目標を達成するには、教員が本来の指導に集中できる環境を整えることが不可欠だ。保護者も教員が置かれている現状に対する理解を深めたい。

高知新聞 2009年4月6日

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法科大学院評価 なぜ「不適合」が多いのか

 法科大学院のほぼ三分の一が評価機関の認証基準を満たしていない「不適合」と判定された。授業が司法試験対策に偏っていることなどがその理由である。

 評価機関と大学側の認識に食い違いがあるとはいえ、尋常な数字ではない。このままでは法科大学院全体の信用が失墜する恐れがある。各大学の猛省を促したい。

 現在設置されている法科大学院は七十四校に上る。二〇〇四年に六十八校、翌〇五年に六校が開設された。五年に一度、評価を受けることが義務付けられており、三月で〇四年開設校すべての評価が終了した。

 日弁連法務研究財団など三つの評価機関は、六十八校のうち二十二校を「不適合」とした。とりわけ〇八年下期の評価では不適合が続出、日弁連財団は八校中三校、大学基準協会は十四校中九校に「ノー」を突き付けた。

 不適合の理由は次のようなものだ。(1)授業時間が足りない(3)専門科目の教員がいない(3)資格のない講師が単独で授業をしている(4)成績評価に問題がある(5)法律基本科目の割合が多い−。

 「適合」と評価された大学院でも、成績評価が甘かったり、法律基本科目に偏った授業を行っていたりするなどの問題点が指摘されている。

 どうしてこんな結果になるのか。法科大学院の数と定員は多いのに、司法試験合格率が伸びないためだ。各校とも試験対策に力を入れ、入学者を確保しようと躍起なのだ。

 大学院が司法試験予備校化しては、当初の目的から大きく外れる。受験技術重視を排し、全人格的な法曹教育を目指したのが法科大学院ではないか。

 法科大学院の数が多すぎるとの懸念は制度発足前からあった。しかし、法学部を持つほとんどすべての大学が大学院開設に走った。これでは定員割れや教員不足が生じるのも無理はない。

 百人を超える司法試験合格者を出す有力校がある一方で、開設以来一人も合格していない大学院もある。

 法科大学院修了者を対象とした新司法試験の合格率が三割程度にとどまっているからである。当初見込みの七−八割など、夢のかなたといえよう。

 法律学既習者にとどまらず多様な経験を持つ人材を法曹に迎え入れようという法科大学院は、その存在理由を問われる事態に直面している。

 学生の質を向上させるため、法科大学院入学適性試験に最低基準を設けることが中教審の部会で検討されている。一案ではあるが不十分だ。

 問題の本質は法科大学院の乱立にある。しかも、法曹人口の拡大にはブレーキがかかりそうな状況だ。入学定員の適正化など思い切った手を打たないと入学者が迷惑するだけだ。

新潟日報 2009年4月5日

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学校の雇い止め 臨時教員の雇用見直せ

 20年余りも教員をアルバイトで雇い続ける教育現場のひずみは早急に改めるべきだ。

 那覇市と浦添市で長年臨時教員を続けてきた女性3人が突然契約を打ち切られた。2人は60歳と58歳の超ベテランだ。世界的な不況で雇用不安が広がる中だけに、学校での雇い止めは衝撃的である。

 ほかの職種よりも病休が多いといわれる教員の補充として重宝がられる臨時教員だが、本採用の教員に比べ労働条件に不平等な面がある。

 県教育庁によると、昨年度の小中高校、特別支援学校の教員数は、本採用が1万994人、臨時・非常勤1600人(14・5%)。公立幼稚園は教員786人中235人が臨時で、実に全体の3割を占めている。

 ベテランの臨時教員は研究主任をこなすほど、現場で中核的な役割を担う人もおり、学校経営には不可欠な存在になっている。

 ところが、身分保障はあいまいで待遇も悪い。基本的には半年契約で、夏休み中は“解雇”される。

 その間も職員会議に出るし、教材研究を怠らず、担任する児童・生徒の宿題を見てあげる。すべて休職中のボランティアというのだ。

 不規則雇用が常態化していることを教育庁はもちろん承知しているはずだ。臨時教員問題を長年放置し、予告なしに雇い止めにするのは非常識と言わざるを得ない。

 病休、産休の欠員を補充する臨時教員。「臨時」の状態で20年以上も雇い続け、行政の都合で切り捨てるのは不合理だ。

 行政による臨時雇用は全国で40万人いるとされ、平均年収が200万円以下の「官製ワーキングプア(働く貧困層)」といわれる。

 昨年、東京都港区が勤続年数に応じた昇給制度を導入しようとした。総務省と都から「非正規職員の継続雇用を認めていない地方公務員法に抵触する可能性がある」と指摘され、実施を見送った。

 自治体の非正規職員は、昇給がなく、1年程度の短期雇用が建前となっている。しかし、財政改革によって自治体も職員を減らさざるを得ず、その穴埋めに長年働く臨時職員が増えている。地公法が実態とかけ離れてきた。

 学校では臨時がクラス担任をし、本職同様に、あるいはそれ以上に責任を負わされる現状がある。教育現場で合理主義を優先させ、雇用格差を生じさせるべきではない。

 雇い止めされた58歳の女性教員は「次世代のためにどうにかしてほしい」と訴えている。

 ユネスコの教員の地位に関する勧告(1966年)は、教員を「学校において生徒の教育に責任を持つすべての人々をいう」と規定する。

 その労働条件は「効果的な学習を最もよく促進し、教員がその職業的任務に専念することができるものでなければならない」としている。

 クラスも担任する臨時教員は児童・生徒の教育に責任を負い、職業的任務に専任できる労働条件が保証されなければならない。

 教育庁は是正措置を講じるべきだ。

沖縄タイムス 2009年4月5日

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犬山市教委、独自採点へ 全国学力テスト

 21日に実施される文部科学省の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)に初めて参加する愛知県犬山市教育委員会が、答案用紙を学校でコピーして教師が採点し、結果を独自に授業改善や指導に生かす方針であることが分かった。

 同市教委は「調査結果が返却されるのは数カ月後で、どのように解答したのかを子供たちが忘れているなど検証に役立たない。採点を業者が行うため、教師が各児童、生徒の学力や学習状況を把握するのも困難だ」と、独自に採点する理由を説明している。

 本年度については、市内の10小学校、4中学校からそれぞれ少なくとも1校をモデル校とし、教師が集団で採点。速やかに調査結果をまとめる。児童、生徒に対して採点結果は公表しない。

 モデル校での取り組みを通し独自の体制整備を進めるため、評価委員会(仮称)の組織化も検討している。

 文科省初等中等教育局学力調査室は「各学校で答案用紙をコピーして採点することは問題ない。全国でどれだけの学校が独自採点をしているのかは分からない」としている。

 犬山市は2008年度まで全国で唯一、2年連続で学力テストに不参加だったが、市教委は3月23日の臨時会で09年度の学力テストへの参加を決めた。

中日新聞 2009年4月4日

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憲法世論調査 改正論議を再活性化すべきだ

 このままでは、憲法改正に対する政治の怠慢に国民がしびれを切らすのではないか。

 読売新聞の世論調査で憲法を「改正する方がよい」と思う賛成派は51・6%へ増加し、3年ぶりに過半数となった。「改正しない方がよい」という反対派は36・1%に減った。

 「ねじれ国会」に象徴される政治の混迷の中、憲法論議は脇に追いやられてきた。だが、改正論議を求める国民の声は、今回の調査でも根強いものがある。

 与野党は、次の総選挙に向け、改憲論議の再活性化をはかるべきだろう。

 今回の調査では、主に、憲法の安全保障条項などの見直しが必要とする意見が増加した。

 例えば、「戦力不保持」などを定めた憲法9条2項の改正が必要とする意見が増えた。さらに、条文を改正したり、新たな条文を加えたりした方がよい項目として、「積極的な国際協力」を挙げる人が増加した。

 国会では昨年末、海上自衛隊のインド洋での給油活動延長のための改正新テロ対策特別措置法が成立した。現在は、ソマリア沖の海賊対策にあたる海自派遣をめぐる新法制定の論議が続いている。

 こうした中で常に論点になるのが、政府解釈で行使を禁じている集団的自衛権の問題だ。

 今回の調査では、憲法を改正するか、あるいは憲法解釈を変更するかして集団的自衛権を行使できるようにするという回答が2人に1人に上った。また、53%が自衛隊の海外派遣全般に関する「恒久法」が必要だとしている。

 一方、衆参両院で多数派が異なる「ねじれ国会」も、憲法への関心を高めている。現在の二院制を一院制にすることや、衆参の役割や権限を見直すとした人が、合わせて7割近くに上った。

 「ねじれ国会」が審議の停滞と混乱を招いていることへの、国民の不満が背景にありそうだ。

 憲法改正賛成派は、自民支持層では54%、民主支持層では53%で、ほぼ並んでいる。とくに民主党は昨年調査比12ポイントも増えた。

 民主党は小沢代表の下、党内の亀裂を回避しようとするあまり、改正論議に背を向ける傾向が強い。だが、民主支持層のこうした意識からすれば、いつまでも議論を“封印”してはいられまい。

 2007年、国民投票法にもとづいて国会に設置された憲法審査会は、いまだ始動していない。与野党は、早期の審査開始に、もっと努力する必要がある。

讀賣新聞 2009年4月4日

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文科省、今年も全国体力テスト 小5と中2で、4−7月実施

 文部科学省は1日、小学5年と中学2年のすべての児童生徒を対象にした「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」(全国体力テスト)を4−7月に行うことを決め、実施要領を全国の教育委員会などに通知した。結果公表は12月の予定。

 初めて実施した昨年と同様、小中とも握力や50メートル走など各8種目の実技調査に加え、児童生徒に生活・運動習慣を、学校には体育の授業内容などを聞く。

 実施要領は各市町村教委や各学校が自らの結果を公表することは認める一方で、過度な競争を防ぐため、全国学力テストに準じて都道府県教委による市町村別、学校別の結果公表を禁じている。

 昨年は都道府県間で8種目の合計点に開きが出たほか、中学女子で運動する層としない層の2極化がみられた。

 体力テストをめぐっては、学校現場や与党の一部に「改善に役立てにくい」と不要論があるほか、鳥取県教委が市町村別、学校別結果の開示を検討するなどの動きもある。

共同通信 2009年4月1日

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