2009年12月


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制度としてなお不安残す 高校無償化

 2010年度の政府予算案が決まり、民主党が掲げた政権公約「高校の実質無償化」の内容が固まった。高校進学率は98%に達し、準義務教育化している。その教育費負担を減らすことは教育の公平の観点から、評価していいだろう。

 決まった制度は、こうである。交付税を算定するため、国の地方財政計画で示される授業料標準額(現行は年間1人11万8800円)がキーワードだ。

 公立高については、国がこの標準額を負担して都道府県に支出する。実際の授業料は標準額に準じて自治体が条例で定めているため、条例改正を求めて生徒からは徴収しない仕組みにするという。

 私立高には原則、標準額相当分を都道府県を通じて支給する。生徒は授業料(全国平均約35万円)の差額を納める。年収250万円以上350万円未満の世帯には5万9400円、年収250万円未満は11万8800円を加算する。

 必要額は4243億円となり、国が10年度予算案に3933億円を計上する。残りは現在、授業料減免などに使っている地方交付税310億円を充てるよう、地方自治体に要請するという。

 文部科学省は、世界では高校まで授業料が要らない国がほとんどだとして「教育費は社会全体で支える」(川端達夫文科相)との理念を掲げた。近年の景気低迷に伴い、経済的理由が要因で08年度に中退を余儀なくされた高校生は2207人に上った。家計を補うためアルバイトをしている高校生もいる。そうした家庭には確かに助けになるはずだ。

 だが、それでもなお問題は残る。

 文科省は4500億円を概算要求したが減額された。地方負担が新たに増えはしないものの、交付税の充当も求める。税の優遇措置である特定扶養控除は「存続させる」としていた民主党の政権公約に反し、高校生世代がいる世帯に限って控除額を圧縮せざるを得なかった。

 いずれも財源不足が原因だ。財源問題は今後もついて回りそうだが、一度始めた制度をやすやすとやめることはできない。恒久策として不安がある。

 さらに、低所得層には新たな恩恵が薄いことも気掛かりである。家計が苦しく授業料の減免を受けた公立高生は08年度、約23万人になり、割合は10人に1人と過去最高だ。私立高生も約19万6千人と前年度より2万人以上増えた。このうち、全額免除されている世帯には、今回の措置はまったくメリットがないのだ。

 文科省は、入学金や教科書代などに使える給付型奨学金も概算要求したが、実現しなかった。「家計に余裕のある層は無償化の恩恵を塾代などに回すことができる。これでは教育格差が広がりかねない」という声を無視はできまい。

 授業料減免の廃止や縮小で浮く財源を低所得層の支援拡充に回すのはもちろん、国と地方の役割分担を含め高校教育支援のあり方を議論する必要もあろう。

西日本新聞 2009年12月31日

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子ども手当 少子化打開の制度設計を

 鳩山政権の看板政策として来年度予算案に盛り込まれた子ども手当は、景気刺激の一定の効果に加え、家計への直接支援で子育ての負担を軽減するという、国の少子化対策を転換させる大きな試みとなる。これを機に国、地方が足並みをそろえ、歯止めがかからぬ少子化の打開へ向けて政策を強化するときである。年明けから本格化する石川、富山県の来年度予算編成でも、それが大きなテーマの一つになろう。

 当初は想定されていなかった地方負担が決まったため、自治体からは反発の声が相次いでいるが、せっかく思い切った手立てを講じながら、国と地方が対立の構図を引きずっていては政策効果を最大限に引き出すことは難しい。負担の在り方や支給事務の簡素化など制度設計を急ぎ、国と地方が内需拡大や少子化対策で力を合わせられる環境を整える必要がある。

 子ども手当は中学生までを対象に、来年度は1人当たり月額1万3千円、2011年度からは満額の月額2万6千円が支給される。来年度の総額約2兆3千億円の財源に関しては、児童手当で自治体と企業が負担していた分はそのまま残し、残りを国が負担するという複雑な暫定措置が導入された。

 国と地方が負担を分け合うのは一つの考え方としても、民主党の政権公約は全額国費が前提であり、十分な説明もないまま一方的に負担を押しつけられては自治体が反発するのも無理はないだろう。だが、他県の首長のように負担をボイコットしたり、支給事務の拒否も辞さない強硬姿勢を示すのは、政策に負のイメージを与え、決して好ましいことではない。政府は「国と地方の協議の場」などで制度の方向性を早急に示し、自治体側の不信感を取り除く努力を続けてほしい。

 子ども手当は所得制限が見送られたことで、親の収入にかかわらず、「子ども一人ひとりの育ちを社会全体で応援する」という趣旨が明確になった。大事なのは直接給付による経済支援とそれ以外の少子化対策をうまく組み合わせ、相乗効果を引き出すことである。県や各自治体は全国一律の政策とは別に、地域の実情に即した独自策を積極的に打ち出してほしい。

北國新聞 2009年12月30日

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日中歴史共同研究  政治の壁越え再出発を

 日本と中国の歴史認識の溝を埋めようとスタートした「日中歴史共同研究委員会」が3年間の研究を終え、参加研究者が報告書の総論を公表した。

 懸案の現代史は、日中戦争で「南京で大規模な虐殺行為があった」とはした。だが、原因や犠牲者数の認識で隔たりが大きく、結論は出なかった。

 日中が初めて同じにテーブルにつき、互いの立場や差異を理解し合った点は評価できる。しかし、研究者たちが「タブー」に踏み込めず、双方の国民感情の改善につながる見解に歩み寄れなかったのは残念だ。

 共同研究は、小泉純一郎元首相の靖国参拝で悪化した関係を改善しようと、当時の安倍晋三首相と胡錦濤国家主席の首脳会談合意に基づき始まった。歴史認識を政治から離し、学術的に事実を明らかにするのが目的だった。

 日中各10人の研究者が、「古代・中近世史」「近現代史」の論文を互いに提出して議論。報告書には、双方が議論後に執筆した論文を併記した。

 作業は予想通り、現代史で難航した。南京虐殺ばかりでなく、報告書に盛り込む予定だった「1945年以降の戦後」の項目は、「関連資料が十分でない」「現在の日中関係に直接関係する政治問題」と掲載が見送られた。

 議論には、天安門事件や両国の歴史教育が含まれていたという。中国当局は共産党公認の歴史観と異なる論文や報道を規制しており、政治体制の違いが研究の壁になった。

 中国側は作業の延期を繰り返した。北京五輪や建国60年など国家事業を控え、「研究自体が妥協」とする反日運動の再燃を避けたためと言われる。

 委員会は共同研究を継続することで合意したが、議論の先送りや「両論併記」の打開には、委員会のあり方を根本から見直す必要があるだろう。

 学術研究の独立性を守ることはもちろん、東洋史や政治学者が多かった日本側、中国社会科学院など党に近い研究者が占めた中国側双方の人選を改め、一様でない歴史認識を直視できる幅広いメンバーを選びたい。成果を互いの教科書などに反映する道筋も探りたい。拙速を避け、練り直してほしい。

 加害側と被害側の2国間での歴史研究は、ドイツとポーランドの取り組みが参考になる。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会が、政府から独立した組織を設置。72年から歴史家が議論し、成果を双方の教科書に生かした。ドイツは、フランスやイスラエルとも同様の対話を続けている。

 日本の政権交代や中国の経済発展など、研究開始当時から両国の環境は変化した。新政権下での新しい展開を期待したい。

 鳩山由紀夫首相は、中国の研究者らの招待に意欲的だ。地道な民間交流も、共同研究の追い風になろう。

京都新聞 2009年12月30日

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憲法改正 首相発言だけで終わるな

 鳩山由紀夫首相が「ベストな国のあり方のための憲法をつくりたい」と憲法改正への意欲を示すとともに、民主党内や与野党間で改正論議を活性化させるべきだとの考えを表明した。

 来年5月18日には憲法改正手続きのための国民投票法が施行され、憲法改正原案の発議が解禁される。本格的な改正論議が求められている。首相の発言は当然といえ、支持したい。

 その意欲を具体化することを求めたい。まず必要なのは、一昨年8月に設置されながら活動してこなかった衆参両院の憲法審査会を、早急に始動させることだ。

 民主党が野党時代に審査会の運営ルールの策定などに反対し、活動を阻止してきたことを忘れてはならない。首相は小沢一郎幹事長に党内での憲法論議の再開と憲法審査会の始動を指示し、指導力を見せることが肝要だ。

 首相は4年前に自衛軍の明記を盛り込んだ「新憲法試案」をまとめるなど憲法改正が持論だが、首相就任後は言及を控えてきた。

 26日の民放ラジオの収録ではそのことを問われ、「当然、自分の心の中に憲法改正がある」と強調し、「党の中でしっかりと指導力を発揮し、そこでまとめる」「超党派で議論をすることは議会人としての責務だ」などと語った。

 「地域主権」を持論とする首相は、国と地方のあり方の見直しに重点を置こうとしている。「必ずしも9条の話というわけではない」と、憲法改正の核心である9条に正面から向き合うことを避けているのは残念だ。

 9条に関連して、集団的自衛権の行使容認に向けて憲法解釈を変更することが、日米同盟の強化につながる。米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、鳩山内閣が同盟の弱体化をもたらしているからこそ、その議論に踏み込む勇気を示してもらいたい。

 一方、大阪高裁は28日、「一票の格差」が最大2・3倍になった今年8月の衆院選について「格差が2倍に達する事態は著しい不平等」と違憲判断を示した。選挙の無効確認請求は退けられたが、原告が居住する選挙区(大阪9区)の選挙は違法とされた。平野博文官房長官は「(格差は)できるだけ早く解消していかねばならない」との認識を示した。

 定数配分は国政選挙の土俵作りだ。憲法問題と同様、超党派による不断の見直しが求められる。

産経新聞 2009年12月29日

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子どもの貧困 抜け出すのに援護十分か

 低所得の母子家庭に支給されている「児童扶養手当」を父子家庭にも適用するための財源約50億円が、政府の2010年度予算案に盛り込まれた。

 子ども手当や高校授業料の無償化とともに民主党が政権公約に掲げていた。

 子育て支援には「児童手当」もある。どう違うのか。児童手当は薄く広くである。3歳未満は一律月額1万円、3歳以上は第1子・第2子が月額5千円、第3子以降は月額1万円が支給される。

 小学校修了までで所得制限がある。ただ、夫婦と児童2人のサラリーマン世帯で年収860万円未満が目安と幅広く、子育て家庭のほぼ90%が対象になる。

 児童扶養手当は限定的だ。子どもが18歳まで支給されるが、母子家庭の年収によって段階的に減額される。満額の月額4万円余りが支給されるのは、母親と子ども1人で年収130万円未満という。

 児童扶養手当と児童手当は2000年代に入って対照的な動きを見せた。

 児童手当は支給対象が小学校入学前、3年生まで、小学校修了までなどと拡大され、所得制限も徐々に緩和された。まさに薄く広くが実践されてきた。

 逆に、児童扶養手当は受給要件を厳しくしてきた。02年には児童扶養手当の支給を制限して、母子家庭の自立を促すための法改正が行われた。

 その際、児童扶養手当は離婚などの生活の激変を緩和する一時的なもので、国や自治体が母親の就労を積極的に後押しすれば自立は可能だ、と説明された。そして、受給期間が5年を超える場合、手当を半額にする措置も可能とした。

 児童手当拡充の背景には、進む少子化に国民の危機感が高まったことがある。

 1997年には14歳までの年少人口が65歳以上の老年人口より少なくなった。いまや老年人口が年少人口の2倍に近づく。日本は活力を失い、年金制度なども維持できなくなるとの懸念が広がった。

 一方、児童扶養手当抑制の背景には離婚の増加があった。政府の財政再建路線も重なり、「福祉から雇用へ」と就労による自立が強調されることになった。

 だが、結果は失敗である。昨年末で児童扶養手当受給者は100万人を超えて過去最多となった。母子家庭の平均年収は一般世帯の約4割といわれる。パートや派遣など不安定な立場で今回の不況のあおりをまともに受けた人も多かろう。

 2008年の経済協力開発機構(OECD)の報告では、加盟30カ国のうち、日本の子どもの貧困率はメキシコ、米国などに次いで4番目に高かった。

 低所得の母子家庭や父子家庭が苦境から抜け出すのは難しい。なのに国は支援の役割を自治体に任せようとした。その結果、地域格差まで生まれている。

 子ども手当は児童手当に上乗せするかたちで来年度に試行される。子どもの貧困解消を考えると支援制度はこれでいいのか。再検討の余地と時間はある。

西日本新聞 2009年12月29日

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教員の病休 負担は限界を超えている

 教育現場の負担は既に限界を超えているのではないか。

 うつ病や適応障害などの精神性疾患で休職する教職員の増加に歯止めがかからない。

 2008年度は前年度より405人多い5400人で、16年連続の増加となったことが公立学校対象の文部科学省調査で分かった。病気休職者(8578人)全体の63%を占め、人数、割合とも過去最高を更新している。

 調査を始めた1979年度の約8倍という状況が深刻さを物語る。当時に比べると、メンタルヘルスの問題が社会的にクローズアップされ、精神科を受診する抵抗感も弱まっている。

 こうした社会背景の違いはあるにせよ、教職員の職場環境が厳しくなっているのは間違いない。教員のうつ傾向は一般企業の2・5倍という文科省のデータもある。

 精神性疾患は要因が複雑に絡んでいるケースが多い。多忙な業務によるストレスや間断なく続く教育改革などで、一人一人の負担は確実に増えている。保護者や地域からの要望も多様化している。

 かつては考えられなかったような理不尽な要求を繰り返す保護者や地域住民の増加も指摘される。時間的にも人員的にも学校だけでは解決困難なトラブルが増えている。それぞれが目の前の課題に追われる状況では、互いを思いやるゆとりなど持てないだろう。

 本来なら教職員の相談に応じる立場に、精神性疾患が多いのも教育現場の特徴だ。50代以上(37%)と40代(36%)で全体の7割以上を占めている。

 そこから見えるのは、これまでの対応や常識が通じず自信を失ったり、過度の負担に心身が持ちこたえられなくなっていくベテランたちの姿だ。

 それを裏付けるのが「希望降任制度」を利用する校長や副校長・教頭、主幹教諭らの増加である。2008年度の利用者は00年度の調査開始以来、最多となった。

 「教員の増員」をマニフェスト(政権公約)に明記した新政権は、10年度予算案で、公立小中学校と特別支援学校の教職員定数を300人純増させることを決めた。

 03年度以来7年ぶりの定数純増は、現場への朗報となろう。教員が子どもに向き合う時間を確保できるようになるには先は長い。負担に見合った環境整備を着実に進めなければならない。

高知新聞 2009年12月27日

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授業料減免 格差埋める制度設計を

 公立高校に通う10人に1人が授業料の減免を受けている―。こんな実態が文部科学省の2008年度調査で明らかになった。

 減免を受けた生徒の割合は、調査を始めた1996年度の約3倍に達し、過去最高となった。長引く不況が暗い影を落とした格好だ。

 景気回復の兆しは見えない。そんな中、家庭の経済的な理由から高校進学を断念したり、中退に追い込まれる生徒がいるのも事実だ。

 高校の授業料無償化が実現すれば、こうした心配も少なくはなろうが、学校に通うためには、授業料以外にもさまざまな費用が必要だ。政府は就学援助や奨学金制度をさらに充実させるとともに、こうした支援制度の周知徹底に努力すべきだろう。

 家庭の経済状態が児童生徒の学力に影響を与えることは、近年のさまざまな調査で明らかになっている。

 その相関関係は、全国学力テストの結果にも顕著に表れている。就学援助を受ける子どもが多い学校ほど、正答率が低いという傾向がそれだ。

 こうした意味からも今、求められているのは、保護者の所得の多寡などによって、学力に格差が生じたり、学歴差が出ることをできる限り少なくするシステムづくりだ。

 それが就学援助の充実であり、授業料の減免に代わる高校の授業料無償化、そしてより間口の広い奨学金制度の創設だろう。

 民主党は大学生や専門学校生の希望者全員が受けられる奨学金制度の創設をマニフェスト(政権公約)に盛り込んでいる。具体化に向けて汗をかいてもらいたい。

 そもそも、日本の教育予算の支出割合は諸外国に比べて極めて貧弱だ。

 教育機関に対する支出の公私負担割合を見ても、私費負担は経済協力開発機構(OECD)諸国の平均が15・3%に対して、33・3%と倍以上。その大半はそれぞれの家庭が負担しているという実態がある。

 「教育には金がかかる」。国民の偽らざる実感だろう。これが少子化の要因の一つにもなっていることも否定できまい。

 教育は単なる「支出」ではなく、「未来への投資」であることはこの欄で何度も主張してきた。さまざまな角度から、「投資」と呼ぶにふさわしい制度の設計を求めたい。

高知新聞 2009年12月25日

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子ども手当/マニフェスト守ったけれど

 来年度から中学生以下のすべての子どもに一律月2万6000円(初年度1万3000円)を支給する子ども手当で、鳩山由紀夫首相は、焦点だった所得制限を設けないと表明した。

 民主党のマニフェスト(政権公約)では、もともと所得制限には触れていない。「子どもは社会全体で育てるもの」「コンクリートから人へ」という政権の旗印をこの政策では守った。初志を貫いた首相の決断は、それなりに意味があろう。

 とはいえ、初年度だけで2兆3000億円が必要になる現実に何ら変わりはない。困難な財源のやりくりが、振り出しに戻っただけとも言える。

 厳しい財政事情が国民の前に次第に明らかになる中、小沢一郎民主党幹事長から「所得制限が国民の意見だ」と突きつけられ、「最終的に私が決める」と大見えを切った鳩山首相である。「助け舟」と目された党の要望に応じなかったのは、見識というより意地ではなかったか。

 最近の各種調査によると、「財源不足ならマニフェストの修正を容認する」という国民は、5割程度に上っている。財政事情に即しての政策転換は、説明責任さえ果たせば非難されることではない。無理を通して国民生活を混乱に陥れるよりは、よほどいい。

 「高額所得者世帯の子どもに給付は不要」という大方の世論に沿う選択も当然あったろう。首相は、政府内で検討されていた上限2000万円の線引きでは、大きな財源確保策にはならないと判断したのかもしれない。その上で、所得制限の導入で失う国民の信頼との均衡を冷静に見定めたのではないか。

 しかし、この段階で必要なのは理念や哲学の連呼ではなく、明確な財源と支給に至る道筋を具体的に示すことだ。そうでなければ、対象の世帯は安心して支給を受けられないし、負担増になる一部世帯の納得も得られまい。

 そもそも、この政策が子育て世帯への支援なのか、少子化対策なのか、子ども中心の社会への入り口なのか。政権内で意思共有されているとは思えない。2011年度からは満額支給となる。恒久的な財源確保と持続可能な制度設計の議論を早急にスタートさせるべきだ。

 一方、もう一つの焦点だった、揮発油税などの暫定税率について政府はきのう、現行水準を維持する来年度の税制改正大綱を閣議決定した。

 こちらは民主党の意向に沿い、バランスを取った形だ。首相は財源難や環境対策に配慮したのが理由だと率直に認め、「マニフェストに沿えず、おわびしたい」と国民に謝罪した。

 しかし、なぜ暫定税率廃止の約束だけを反故(ほご)にせざるを得なかったのか。説明に合点がいった人はどれだけいたろう。「環境税」導入へのつなぎであるのなら、その趣旨を明確に示すべきだろう。

 初の本予算編成の過程で、マニフェストへのこだわりと破綻(はたん)を一度に見せた鳩山政権。政策決定の主体のあいまいさもあって、足取りは依然危うい。

河北新報 2009年12月23日

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体力テスト/「抽出」調査でいいのでは

 全国の小学5年と中学2年を対象に、文部科学省が行った体力テストの結果が公表された。昨年に続き2回目だ。

 それによると、握力や50メートル走など8種目の数値を得点化した体力合計点の平均は、小中学生の男女とも前年と大きく変わっていないことが分かった。

 都道府県別では、福井や秋田県などが前回同様、高得点を挙げている。兵庫県は小中学生の男女いずれも全国平均には届かないという結果になった。

 運動習慣や生活習慣との関連でも、昨年と同様の傾向や課題が浮かび上がった。

 中2女子の3人に1人が、1週間の総運動時間が60分に満たない極端な運動不足にある一方、「週15時間前後」という児童生徒も多い。運動する子と、しない子の二極化だ。食事や睡眠など生活習慣が規則正しい子どもは体力テストの結果も高く、肥満傾向児が少ないこともうかがえた。

 文科省によれば、前回の結果を踏まえ、体力づくりや運動能力の向上に取り組んでいる学校では、少しずつ効果が出始めているという。

 ただ、全国規模の体力テストは、1964年以降、毎年実施されている抽出調査がある。独自に調査する自治体も少なくない。それに加えて、毎年多額の経費と人材を投入して実施する体力テストに疑問を投げかける声は多い。

 今回は小学校の87%、中学校の84%が参加したが、約70%だった昨年の結果や傾向とほぼ同じだった。都道府県別の平均値が1年で大きく変わらないのは当然だろう。体力の地域差を示すことに、どれだけの意味があるのか。調査や書類作成に多くの時間がとられる教育現場の負担も大きい。

 このまま毎年続ける必要性や意義が本当にあるのか、との疑問はぬぐえない。

 行政刷新会議の事業仕分けでも、抽出調査との重複が指摘され、体力テスト実施のために、文科省が新年度予算の概算要求に盛り込んだ約2億8千万円について大幅な縮減が求められた。

 たしかに、塾通いや室内遊びが増え、子どもの体力はひところに比べると、相当に低下している。学校や家庭は協力して事態の改善に取り組まねばならない。

 だが、傾向をつかみ、指導の改善などに生かすのが狙いなら、抽出調査で十分ではないか。全国一斉に行う体力テストの費用などを、子どもが体を動かせる機会や環境づくりにもっと生かすべきだ。

神戸新聞 2009年12月22日

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高卒者の就職難 キャリア教育充実も急げ

 来春卒業予定の高校生の就職内定が厳しい状況だ。2000年代初めの「超氷河期」再来を心配する声もある。職業人として「18の春」を踏み出そうとする若い意欲をそいではならない。これは日本の就労構造や産業力の持続にもかかわる問題だ。

 文部科学省のまとめでは、10月末現在の内定率は55・2%で、昨年同期比で11・6ポイントも低く、過去最大の下げ幅になった。卒業予定者は107万3619人で、うち就職希望者18万7360人。希望者が昨年より2万人程度減ったにもかかわらず内定率は急落し、不況にのまれた企業側の深刻な求人冷え込みを物語る。

 就職口を閉ざされたら、フリーターや非正規雇用などを選ぶほか、仕方なく進学する例もあるという。実際、就職希望者全体が減っているのも就職難が一因とみられる。

 背景には従来高校卒業者が就いた分野に不況から大学卒業者や失業者らが参入したり、知識技能が既にある人が優先されたりする事情もあるようだ。こうした困難な状況だが、高卒就職希望者の夢がかなうよう、学校だけでなく行政当局やあっせん機関は総力を挙げてほしい。

 一方、不安定な採用状況を改善するため、早い段階から勤労観や職業観をはぐくみ、適性や意欲を引き出し、伸ばす「キャリア教育」の充実も急務だ。キャリア教育がいわれるようになったのは10年ほど前だ。背景にはフリーター増加やニート問題で、高卒就職者の3年以内離職率がほぼ5割に上る「ミスマッチ」(不適合)を改めようという事情があった。深刻な不況下でも、仕事に基本的な資質や意欲、目的意識を持った若い人材を育てることは、採用安定に向け効果が期待できるはずだ。

 これは就職に限らず、自立すべき18歳世代全体の課題ともいえる。今、高卒者の7割以上が大学などに進学する。目的もあいまいになりがちで、就職する際も受けた教育との接合が薄い例が多い。ここでも3年以内の離職率は高く、3割台に上る。

 このため中央教育審議会は、キャリア教育を義務教育段階から高校、大学に至るまで教育課程にきちんと位置づけ、さらに具体的な業種に求められる中堅人材育成の専門的高等教育機関創設も検討している。

 キャリア教育の核は論より実践だ。地元産業人を教壇に招き、キャリアを積んできた「プロ」の意識や誇り、喜びを伝えてもらったり、職場実習教育を拡充・多様化させるなど、既に工夫している学校も多い。

 技術と経験、創意が新しい世代へたゆみなく継がれていくことでしか産業力は永続しない。不況だからと若者の就職難を見過ごせば、禍根を残すことになると肝に銘じたい。

毎日新聞 2009年12月21日

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科学技術戦略 国際競争を勝ち抜くために

 科学技術の発展がなければ、新たな産業は育たず、日本は衰退への道をたどりかねない。国力の源泉とも言える科学技術を政府は今後、どうもり立ててゆくべきか。

 ノーベル化学賞受賞者の野依良治・理化学研究所理事長を主査とする文部科学省の委員会が、新たな科学技術戦略をまとめた。

 研究開発を、これまでより効率的かつ機動的に推進するための方策を盛り込んでいる。

 新政権が年内にもまとめるという「成長戦略」に、しっかりと位置づけるべきだ。事業仕分けに大なたを振るったことで、科学技術戦略なき日本、との懸念も国内外にある。それを払拭(ふっしょく)したい。

 これまでの政策では、「生命科学」「情報通信」など重点4分野を設けて予算を投じていた。だが分野ごとの範囲が広過ぎたため省庁間の連携が弱く、産官学の協力体制を築くのが難しかった。

 事業仕分けで注目された「次世代スーパーコンピューター」の開発も、そこが弱点だった。

 文部科学省が主導したので、電子産業を所管する経済産業省は距離を置いていた。本来なら、関連産業界の振興につながるはずだが波及効果は限定的で、盛り上がりを欠いていた。

 これを受け、新戦略では、政策課題を十数項目に絞り込み、個別にきめ細かく対応する。

 選定した政策課題ごとに、関係省庁と産業界などが、当初の戦略策定から支援体制の構築、運営まで緊密に関与する。

 課題の候補として、高効率の太陽電池開発などを目指す「地球温暖化」や、新型万能細胞(iPS細胞)の研究強化を含む「再生医療」といった例を挙げている。

 欧州の政策を参考にした。目標と手段が明確になろう。研究が機動的に進み、予算の効率的な活用にもつながるのではないか。

 むろん、基礎研究分野への支援も大切だ。新たな科学技術の芽を生むきっかけになる。

 問題は資金だ。新戦略は、関連予算に国内総生産(GDP)の1%(約5兆円)を充てる目標を提示している。厳しい財政の下、議論の余地はあるだろうが、着実な投資の重要性は論をまたない。

 ただ、予算投入の前提として無駄の排除は当然のことだ。効率的に研究開発を進めるため、研究の組織運用、経営の知識を備えた研究者の育成も大切になる。

 欧米も、科学技術への投資を増やして競争力の強化を目指している。日本も対応を急ぎたい。

讀賣新聞 2009年12月21日

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就職内定率 「あと1人」雇用へ英知を

 沖縄労働局が発表した県内新規高卒者の11月末現在の就職内定者数は876人で内定率は前年同月比3・5ポイント減の37%だった。「就職氷河期」の厳しい就職環境が若者に重くのしかかっている。

 新規大卒の内定者数は441人で内定率17%、専修学校も内定者数1104人、内定率32%と苦戦を強いられている。

 世界同時不況の出口が見えないように「就職氷河期」の出口も見えない。ここは即効性のある就職支援と、中長期的施策を切れ目なく講じていく必要がある。

 県と国は県内の経済団体に求人確保を求める。各企業は経営環境は厳しいだろうが、県が求める「あと1人の雇用」をあらためて考えてほしい。関係各機関も新卒者の就職支援をどう有言実行するか本気度が問われている。

 県や国は追加的な求人募集や2011年度採用試験を09年度内に前倒しして実施する企業に助成措置を講じるなど、さらなる企業支援策も検討すべきではないか。

 仲井真弘多知事の主導で07年から展開中の「みんなでグッジョブ運動」では、雇用の場の不足や、求人と求職のミスマッチ、若年者の就業意識の低さなどの克服へ向け、関係機関、県民の役割分担を明確化している。

 しかし、県民運動は道半ばで十分な成果を上げていない。グッジョブ運動を再構築し、働く意欲のある若者に手を差し伸べたい。

 一方で中長期的な取り組みを社会全体で再確認する必要もある。

 県教育委員会は児童生徒の一人一人の勤労観・職業観を育てるキャリア教育に力を入れている。職場見学やインターンシップ(就業体験)などが企業を巻き込み活発化しているが、学校や保護者はその意義や目標について十分認識を共有しているか。

 県教育委員会のキャリア教育推進プランではキャリア教育が必要な背景の一例として「人間関係を築くことができない、自分で意思決定できない、進路を選ぼうとしない子どもたちが増えつつある」と指摘する。

 行政や学校、企業、家庭には、若者の就職支援で連携すると同時に、発達段階に応じた体系的なキャリア教育の徹底で子どもたちの「人間力」をはぐくむ責任がある。生活の糧、自己実現、社会への貢献など「働く」ことの意味をしっかり次代に継承したい。

琉球新報 2009年12月21日

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児童、生徒の暴力/「原点」の家庭教育考えよう

 全国の国公私立の小、中学校、高校が2008年度に把握した学校内外の暴力行為の発生件数は3年連続で増え、過去最多の5万9618件あったことが、文部科学省の問題行動調査で明らかになった。

 同省は児童、生徒の暴力行為が増え続けている要因として(1)規範意識の低下(2)感情を抑制できない(3)コミュニケーション能力の不足、を挙げ教職員が一体となって問題行動を早期に発見し、警察などと連携して毅然(きぜん)とした対応をするよう都道府県教育委員会などに通知した。

 教育というと、まずは学校に責任を求める。子どもを教え導くことに教育機関が責任を持たなければならないのはもちろんだが、幼児からの家庭教育が何にもまして大切なことは論をまたないだろう。保護者の側に立つ親たちには、この「原点」をあらためて真剣に考えてほしい。

 文科省の調査によると、08年度の暴力行為の発生件数は小学校が6484件(前年度比1270件増)、中学校は4万2754件(同5951件増)、高校は1万380件(同359件減)。特に中学校の増加が目立っており全体の72%を占めた。

 内訳は「生徒間」が3万2445件、「対教師」が8120件、見知らない人などへの「対人」が1724件で、「器物損壊」は1万7329件だった。被害者が病院で治療したケースは1万664件で、器物損壊を除く発生件数の25%あった。

 本県は「生徒間」69件、「対教師」8件、「対人」14件、「器物損壊」11件の計102件で、47都道府県のうち少ない方から数えて4番目。1000人当たりの発生件数は全国平均の4.2件に対し本県は0.4件で、全国では最も少なかった。本県は比較的落ち着いていると数字の上からは判断されるが、ゼロではない。対策は考えなければならない。

 小、中学校で出席停止にした理由として08年度に突出して多いのが「授業妨害」。前年度の9件に対し23件あり、このうち中学校が22件とほとんどを占めた。都内の中学校長は「小学校で『学級崩壊』と言われた世代が来ている」と苦悩する。

 文科省が要因として挙げた3点は、幼いころからの家庭でのしつけ、教育の不備が形に表れているとみていいだろう。子どもだけでなく、その親の世代にも感情を制御できないなどの傾向が指摘されている。根は深いとみなければならない。

 また一方で、医療の面から子どもの「心の問題」をとらえる動きも出てきた。福島医大付属病院には先月、小児科と心身医療科、臨床心理士がチームを組む「こどもの心診療センター」が開設された。

 児童、生徒の暴力を単に表面的な行為としてとらえるだけでは問題の解決にはならない。形を変えた子どもたちの「悲鳴」でもある。

福島民友新聞 2009年12月20日

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結婚と子ども 子を持つには希望が要る

 「子ども持つ必要ない」42%−。新聞のこんな見出しを見て、驚いた人もいただろう。内閣府が発表した男女共同参画に関する世論調査のことである。

 今年10月、全国の成人男女5千人を対象に面接(回収率64・8%)して「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないか」と尋ねたところ、「どちらかといえば賛成」を含めて賛成派が過去最高の42・8%に上ったというのだ。

 女性は20代から40代まで、男性も20代、30代で5割を上回り、とくに20代、30代の女性は6割を超えた。賛成は若い世代ほど高く、男女別では女性の方が高いという傾向が出ている。また、高齢層になれば反対が多くなっている。

 調査は1992年から6回目だ。男女間、世代間のギャップはあろうが、実は2回目の97年以降、3回続けて賛成派が4割を超えていた。前回2007年は36・8%だったが、それでも高率だ。

 これをどう見るべきか。年々高まる晩婚化や少子化と相まって時代の趨勢(すうせい)という側面はあろう。今回、結婚について「個人の自由だから、してもしなくてもいい」とした人が70・0%と過去3番目の高さだった。女性の社会進出の高まりによる価値観の多様化のほか、「結婚して子を持つ」という伝統的家庭観が揺らいでいることもあるのかもしれない。

 だが、経済や社会状況が影を落としているのも間違いあるまい。調査の2回目以降は、就職氷河期といわれた時期と重なる。そして今年は、高校生や大学生が就職氷河期の再来に苦悩している。

 若い世代ほど時代の空気に敏感に反応するものであり、単純に「結婚しても子どもは要らない」という考えが増えていると見るわけにはいかないだろう。

 調査では「仕事」「家庭生活」「地域・個人生活」に関し、優先して希望するものを聞いている。結果は「仕事」が8・5%だったのに対し、「仕事と家庭」「家庭」が30%前後で最も多かった。一方で、現実はどうか聞いたところ、「仕事」が25・8%に跳ね上がっている。

 家庭生活を大事にしたいが、仕事を優先せざるを得ない。そうした思い、実態が浮かび上がるようではないか。

 景気低迷や格差、雇用不安などが若年層の結婚観や家庭観に影響を及ぼさないはずはない。子を産み、育てることに希望を持てない層が増えているのなら、憂慮すべき事態であり、見過ごせない。

 今回の調査では行政に対し、子育て後の再就職支援や子育て中でも仕事が継続できる支援、保育の施設・サービスの充実を求める声が6割を超えた。鳩山政権は子ども手当を掲げるが、そうした政策と併せて、将来を見据えた子育て支援など制度の充実を急ぐべきだろう。

 結婚や出産、子育てには、将来への安心感と希望が必要だ。今回の調査結果には、若い世代のそんな悲痛なメッセージが込められているのではないか。

西日本新聞 2009年12月20日

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子ども手当 所得制限は愚策だ

 新政権は、目玉政策「子ども手当」に所得制限を設けることを検討している。苦しい財政事情から、初年度で2兆3000億円、2011年度以降は5兆3000億円にのぼる財政負担を抑え込む狙いのようだ。しかし、制度の趣旨からも技術的な面からも問題は多い。子ども手当の所得制限は、やはり不要である。

 私たちは、次世代の育成と国の関与について思想の大きな転換だとして、子ども手当創設を評価した。鳩山由紀夫首相が強調する「子どもを社会全体が育てる発想。所得制限を考えないのが基本線」との理念を支持してきた。そして、認定や給付の作業にあたる市町村の手間、費用なども考え、所得制限はなくていいと重ねて主張した。首相も当初方針を貫く姿勢を見せていた。

 ところが、予算編成の大詰めでの民主党の要望が状況を変えた。

 支給の上限として、国会議員の歳費を参考に課税所得2000万円で線引きする案がある。対象外になるのは1%未満で予算圧縮効果は乏しい。全市町村で計数十億円の経費とそれなりの人手をかけ、やる価値があるだろうか。「裕福な家の子まで支給するのは釈然としない」という声を封じる程度の意味しかない。

 現行の児童手当と同じ年収800万円台・課税所得600万円台で線引きする案もある。10%が対象からはずれるため、予算も相当額が圧縮できる。児童手当と同じなので、市町村の事務作業もやりやすい。

 だが、新たな問題が起きる。線引きラインをはさんで、家計収入の逆転が生じるのだ。

 支給対象の子が2人いる場合、所得の上限を1万円でも下回れば年間約62万円(初年度は約31万円)が入り、1万円でも超えればゼロになる。大手企業の従業員への今冬のボーナス平均額は約70万円だった。その手取りに相当する額が、あるか、ないかの差は非常に大きい。さらに扶養控除が予定通りに11年度から廃止されれば、ギリギリで対象からはずれた世帯には年10万円以上の負担増だけがのしかかる。

 児童手当にも同じ問題はあった。しかし、対象が小学生以下から中学生以下に広がり、5000円か1万円だった月々の支給額も初年度1万3000円、次年度以降2万6000円に増え、問題の大きさは比較にならない。落差をならすために段階的な支給額にするのは、制度を複雑にし事務作業を煩雑にするだけだ。

 そもそも民主党に所得制限を求める陳情があったのだろうか。理念に目をつむって、真剣に検討すべき「国民の声」とは思えない。問題山積の年末である。ほかのことに時間や手間を振り向ける時ではないか。

毎日新聞 2009年12月19日

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子ども手当迷走 基本設計を怠ったツケだ

 来年度から導入される「子ども手当」に所得制限を設けることをめぐり、政府・与党が混乱している。政府は「年収2千万円」を支給上限とする案を軸に検討を始めたが、長妻昭厚生労働相や社民党は制限を設けないよう主張している。

 子ども手当の所得制限は民主党の政権公約にはなかった。だが、手当支給の初年度となる来年度は半額(月額1万3千円)だけでも2・3兆円もの巨費が必要となる。対象の子供がいない世帯で負担増となることへの不公平感や、「本当に子供のために使われるのか」といったバラマキ批判は根強い。所得制限の導入は現実的な判断といえよう。

 民主党は8月の衆院選で「無駄の排除などで財源を捻出(ねんしゅつ)する」と大見えを切っていたが、無理があったということだろう。鳩山由紀夫首相には、所得制限の検討に入った理由と、どういう理念に基づいて所得線引きをするのか国民に明確に説明するよう求めたい。

 財源が当初の想定通りに確保できなくなることは十分予想できたはずだ。「高額所得者への支給はおかしい」との批判が出ることも想定できたであろう。にもかかわらず、制度設計の議論を行ってこなかったことは、無責任との批判を免れまい。

 早くもチグハグぶりが露呈している。政府が検討する「2千万円」では対象から外れる世帯はわずか0・1%で、予算削減効果は数十億円にとどまるという。一方、所得制限の導入に伴って、事務を担うことが想定される市区町村は年収確認などの作業が大きく膨らむ。結果として事務経費が増えたのでは元も子もない。参院選への影響を避けるために、制限ラインを高めに設定したのであれば本末転倒だ。

 予算削減効果を大きくするため、現行の児童手当の基準をそのまま使う案も浮上している。だが政府は手当の導入と引き換えに扶養控除を廃止する考えで、この場合、子供がいるにもかかわらず負担だけが増える世帯が生じる。これでは「社会全体で子育て」とした子ども手当の制度理念そのものが変質しよう。

 納税者番号制度がない中での所得把握は困難だ。納税者番号制度の導入スケジュールも同時に明確にすることが必要だ。少子化対策は待ったなしである。首相は多くの国民が納得できるような所得線引きを行わなければならない。

産経新聞 2009年12月19日

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全国体力テスト 薄れた毎年実施の意義

 文部科学省は、小学5年と中学2年を対象にした2009年度「全国体力テスト」の結果を公表した。初めて行われた08年度とほぼ同じ調査結果で、あらためてその必要性をめぐる論議が活発化しそうだ。

 体力テストは国が全国的な状況を把握・分析して指導の改善につなげるのが狙い。50メートル走はじめ8種目の実技に加え、生活・運動習慣などについても調べ、約2万8千校の約191万人が参加した。

 実技の平均値は前回と大差なく、都道府県別(公立)でも福井、秋田県などが前回同様に好成績を収め、地域差の固定化をうかがわせる。運動する子としない子の二極化傾向も同様だった。岡山県は実技で小中、男女別とも全国平均より高く、広島県は中2女子、香川県は小5男子を除いて平均を上回った。

 文科省が定例化を目指した全国調査だが、行政刷新会議の事業仕分けで毎年の抽出調査との重複を指摘された。体力は生活の基礎で、特に成長期での蓄積が重要だ。塾通いやテレビゲーム、遊び場不足など環境の変化で、現代の子どもたちは日々の暮らしや遊びの中で自然に体力を鍛えられる状況にはない。大人社会が意識的に機会を用意し、実践しなければならない。

 その意味で全国体力テストには、熱心さに欠ける地域や学校を刺激する意味はあろう。しかし、調査結果は予想された範囲内であり、新たな実践へのヒントにつながらないとの声がある。傾向の把握だけなら抽出調査で足りよう。全国調査を毎年続ける必要性は見いだし難い。

 教委や学校で以前から独自調査しているケースは多い。その結果を基に、子どもたちが楽しく運動に親しめる環境やプログラムづくりへの支援にこそ力を注ぐべきだろう。

山陽新聞 2009年12月19日

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無保険の子 救済へもっと手を尽くせ

 保護者が国民健康保険(国保)の保険料を滞納したため保険証を返還させられ、無保険状態となっている子どもの新たな実態が明らかになった。

 4月に施行された改正国保法では、滞納世帯でも中学生以下の子どもには6カ月間有効の短期保険証が交付される。この救済措置の対象外である高校生世代で、無保険のケースが1万人余りに上ることが厚生労働省の調査で分かった。本県では130人が該当する。

 さらに、滞納世帯のうち約1200人には短期証が届いていなかった。

 同省は来夏から高校生世代も救済対象に加える方向だ。子どもたちが安心して医療を受けられる態勢を早急に整えてほしい。
 2000年度の国保法改正で、保険料を1年以上滞納した人は保険証の返還が求められるようになった。無保険だと医療費が全額自己負担となり、必要な治療を受けにくくなるなど受診抑制が懸念される。

 ただ、保険料納付は保護者の義務であり、子どもに滞納の責任はない。その意味で子どもに救済措置を講じるのは当然のことだ。

 対象年齢について、政権交代前の民主など野党3党は18歳未満としていたが、自民との修正協議を経て中学生以下に引き下げた経緯がある。今後、高校生世代まで対象を拡大する方針なのは歓迎だが、政策として後手に回った感は否めない。

 当初から無保険の子どもの数をしっかり調査し現状を把握していれば、このように一貫性を欠くことにはならなかった。

 中学生以下の無保険の子どもたちの一部が、短期保険証を受け取っていないことも問題だ。

 多くの自治体では、短期証の交付や更新は役場窓口で行われている。訪れた保護者の経済状況や滞納理由を把握し納付を促すためだが、これを敬遠して受け取りに来ないケースもあるとされる。

 行政側も手をこまねいているわけではない。市町村職員が家庭訪問したり短期証を郵送するなどしているが、不在で届けられないことも多いという。

 雇用不安が消えない中、これからも保険料の滞納世帯が増えることが懸念される。すべての無保険の子どもに保険証を行き渡らせるため、滞納世帯の状況をフォローし関係機関と連携するなど、もっと手を尽くすべきだ。

高知新聞 2009年12月19日

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子ども手当 設計やり直してはどうか

 政府・与党は「子ども手当」の支給で所得制限を設けようとしている。

 子ども手当は1年目の2010年度こそ中学生以下1人年額15万6千円(月額1万3千円)だが、翌年からは31万2千円(月額2万6千円)とはね上がる。

 仮に現行の児童手当の所得制限(夫婦と児童2人のサラリーマン世帯で年収860万円未満)が適用されるとしよう。

 それで、年収850万円の世帯に子ども2人分約62万円が支給され、年収が870万円だからゼロとなれば、線引きで対象外となった家庭は納得できまい。

 かといって年収2千万円で所得制限するというのもどうか。支給の対象外となる子どもは全体の1%未満という。実質的な影響はないとの判断だろうが、とりあえず体裁を繕ったとしか思えない。

 2005年の総選挙でも民主党は子ども手当の創設を掲げた。「所得水準にかかわらず」、義務教育終了年齢まで1人月額1万6千円を支給するとした。

 昨秋の臨時国会に提出した子ども手当法案でも所得制限はなく、1人月額2万6千円支給とし、要する国の費用として約5兆6千億円を見込んでいた。

 しかし、財源の確保が難しいから所得制限で規模を縮小するとしたら、場当たり的である。制度の前提が崩れたのならば、制度設計をやり直して、持続可能なものにしていくべきだろう。

 制度に例外や特例ができると事務がその分増えて行政の効率が落ちたり、申請書類が増えたりしがちだ。受給者側から言えば簡明な制度が一番である。

 子ども手当は現行の児童手当に代わるものだ。1972年にできた児童手当制度は幾度か変更が加えられたが、段階的な拡充の動きがはっきりしてきたのは2000年代に入ってからといえる。

 支給対象は3歳未満まで引き下げられた後、小学校入学前、小学3年生まで、小学校修了までと引き上げられ、所得制限も徐々に緩和されていった。

 現在は3歳未満が一律月額1万円、3歳以上は第1子・第2子が月額5千円、第3子以降が月額1万円となっている。

 なぜ、児童手当は拡充されていったのか。子どもの出生数の減少、出生率の低下に歯止めをかけるためだ。05年に出生数が約106万人、合計特殊出生率も1・26と、ともに過去最低を記録、急速な少子高齢化に国民の危機感が高まった。

 子ども手当は子育ての負担を社会全体で分かち合うのが趣旨だ。貧困や格差の解消はこれだけではできない。ただ、扶養控除や配偶者控除を廃止して子ども手当に替えることは格差是正にも沿う。

 控除は必要経費であり、先に収入から引き、残りが課税対象になる。控除額が大きいと高所得世帯に有利で、手当など定額支給は低所得世帯に恩恵が大きいという。制度変更で得する人もいれば損する人もいる。だから慎重な検討が必要であり、急場しのぎでは困るのだ。

西日本新聞 2009年12月19日

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母子加算復活 総合的な支援が急務だ

 生活保護を受けているひとり親家庭に支給される母子加算が、今月から復活した。民主党マニフェスト(政権公約)の厚生労働省関係分野で、公約が実現したのは初めてである。

 母子加算は自民党政権下の2005年度から段階的に削減され、08年度末に全廃された。鹿児島県などで受給者が「食費を切り詰めるのも限界」と廃止撤回を求めて道府県に審査請求するなど、全国で反発が広がっていた。復活は当然だろう。

 生活保護の母子加算は、18歳までの子どもを育てるひとり親家庭に上乗せして支給される。金額は地域によって異なるが、1人目の子どもに月約2万円、2人目以降は月約千円で、約10万世帯が対象だ。

 厚労省は母子加算廃止の理由を、支給対象の母子世帯が受給する年間の生活保護費総額が、生活保護を受けていない一般母子世帯の平均年収を上回っている、と説明していた。だが、子ども1人の一般母子世帯の調査サンプル数がわずか32世帯だったことが後に判明するなど、根拠は揺らいでいた。

 政権交代後、満額復活を求める厚労省に対して、財務省が加算額の引き下げなどを提案して調整が難航する一幕もあった。鳩山由紀夫首相が指導力を発揮して、もっと早く復活が実現してもよかった。来年度以降も継続するかは未定だが、当然、続けるべきである。

 ただ、母子加算復活だけで問題が解決したわけではない。深刻な不況が続く中、生活が苦しくなっているのは生活保護世帯だけではないことにも目を配らなければならない。

 ひとり親家庭は生活保護世帯も含めて約84万世帯いるが、厚労省が先月発表した相対的貧困率(07年)は54.3%で、経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国で最悪だった。日本全体の相対的貧困率は15.7%で、加盟国の中で4番目に悪い。ひとり親家庭の低い生活水準が押し上げていることは明らかだ。

 一般的にひとり親は子育てに追われフルタイムの勤務が難しい。正社員をあきらめ、賃金が低い臨時やパートなどの非正規労働に就くしかないという実態は見過ごせない。

 雇用形態にかかわらない同一労働同一賃金などの均等待遇や最低賃金の引き上げ、子どもを預ける保育園の整備など、社会保障制度から雇用制度まで見直す必要がある。ひとり親家庭全体の暮らしを底上げする総合的な施策が急務である。

南日本新聞 2009年12月19日

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厳冬の就職戦線 実効性ある雇用対策を

 就職活動を続けながら、いまだ「内定」を手にしていない学生にとっては何ともやりきれないデータだろう。

 2011年卒の大学生・大学院生の採用調査で、10年卒より採用を減らすと答えた企業は9・3%で、10年卒と同程度かそれ以下しか採用しない企業の割合が5割を超えたことが、リクルートの調査で分かった。

 10年卒の大学生の就職内定率(10月時点)は62・5%と2000年前後の「就職氷河期」並みの水準にまで落ち込んでいる。それがさらに継続するとなれば、事態は極めて深刻と言わざるを得ない。

 採用見通しを「分からない」とした企業が36・6%もあったように、確かに景気の先行きの不透明感があるのは間違いない。濃い霧が晴れない中で、採用計画を問われても、答えようがないというのが多くの企業の偽らざる実感だろう。

 内定率の低迷は、大学生だけの問題ではない。高校生の就職戦線も同様に「氷河期」の真っただ中にある。

 県内の高校生の内定率も11月末時点で、65・8%までしか達していない。今後、大きな伸びは期待できないといい、多くの生徒が進路変更を余儀なくされそうだ。

 県も来春の高卒未就職者を対象にした職業訓練や県の直接雇用による就業体験などを、来年度の当初予算編成に向けた見積もり概要に盛り込んだ。

 しかしここで問題となるのは、こうした施策の実効性だ。職業訓練などで、実際にどれだけの若者の就職に結びついたか。やりっ放しではなく、具体的な検証作業も求められよう。

 政府も緊急雇用対策で、介護施設で働きながら無料で資格取得ができる制度を導入するなど、人手不足が続く介護分野への就職促進を打ち出した。

 しかし介護現場の待遇改善策は結局盛り込まれず、現場からは失望の声も漏れた。

 若者の労働力を介護分野へと誘導するには、労働に見合った賃金など、職場環境の改善が必要だ。そのためには政府が今後、どれだけ予算措置の伴った具体策を打てるかどうかも一つの鍵となる。

 不況期をよりよい人材確保のチャンスととらえ、積極的に採用に動く企業も少なくない。行政と教育機関、企業がこれまで以上に連携を強め、この難局を乗り切りたい。

高知新聞 2009年12月18日

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子育て支援 制度は実効性あってこそ

 制度はつくったが効果が出ない。「使い勝手が悪すぎる」というのが政府や県の子育て支援策に対する現場の声のようだ。

 保育所に入れない待機児童の多さ、十分な施設や支援が得られにくい認可外保育所への依存度の高さが指摘されて久しい。現場の声に耳を傾け、制度の実効性を高める改善を急ぎたい。

 国と県は本年度、認可外保育所の認可化に向け、「保育所待機児童対策特別事業基金」で施設改善支援制度を設けた。

 ところが制度の実績は「認可化は1施設」にとどまっている。制度が効果を上げていない。

 認可には施設の充足度も目安になるが、認可化に必要な施設改善を促す助成金は上限が700万円。実際には3千万円程度が必要で、制度の「支援額が実態に即していない」「使い勝手が悪い」と不評だ。

 県内の待機児童数は4月現在で約1888人。実数で東京都(約7939人)、神奈川県(3245人)と首都圏並みのワースト3。待機率5・9%は全国一の高さだ。

 認可外保育所の入所児童数は2万3512人(2009年4月)で全国一。保育所に入所する児童の35・5%(07年度末)を「認可外」が担っている。全国平均の8・1%に比べても貢献度が際立っている。

 だが認可保育所が児童1人当たり年間約72万円の公的支援額に対し、認可外は約1万2千円。60倍という雲泥の差がある。

 仲井真弘多知事は、沖縄を訪れた福島瑞穂少子化担当相に「認可化を進めることに加え、認可外保育所にも政策の光を当ててほしい」と要請している。

 知事要請は重要な視点だ。だが、国任せでなく県も認可外支援にもっと知恵と資金を投入したい。

 晩婚化や未婚化、結婚観や家族観の変化に加え、働く女性たちからは子育ての心理的、肉体的な負担、そして経済的負担の重さも「出産」をためらわせる一因となっている。

 認可、無認可の公的支援の格差は子育て負担の格差にもつながっている。不況で共働きも増えている。子育て支援は景気対策、企業支援の重要施策である。

 効かない薬は、薬と呼ばれない。制度は効果があってこそ「政策」と呼ばれる。つくるだけでなく、使われる制度、効果を上げる政策に急ぎ改善したい。

琉球新報 2009年12月18日

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高卒者就職「卒業までに何とかしたい」

 来春卒業予定の高校生の就職が極めて厳しい状況にある。県が300人以上の就職支援策の検討を明らかにしたが、そのニュースにすがる思いで接した関係者も多かったに違いない。

 青森労働局の発表によると、11月末現在の就職内定率は60・0%。40%がいまだに決まっていない。越年は仕方ないにしても、卒業までには何とか就職先が決まるよう願うばかりだ。

 60%という就職内定率は昨年11月よりも10・5ポイント下回っている。特に県外求人数の減少が影響したようだ。県外就職の内定率は79・1%で、過去5年間で最低の数字だという。

 県外求人は今後あまり伸びる要素はないので、やむを得ず県外就職を断念して県内に回る動きがみられる。それが結果的に、県内就職状況をさらに厳しくさせることになる。

 こうした厳しい就職状況を受けて、県が15日、300人以上の就職支援策を検討していると発表した。求人数が伸びず、このまま推移すれば、越年はもとより、年度末にも300人に相当する数の未就職者が出ると想定しての取り組みだ。

 支援策としては、まずハローワークへの高卒・大卒就職ジョブサポーター2人の増員がある。これは11月に既に実施済み。1月以降は、内定率の低い県立高校を対象に教員を補助する就職指導支援員50人を配置し、就職指導を充実させる。

 このほか職業訓練コースの新設や民間委託訓練の拡充、国の基金事業「緊急雇用創出対策事業」などを活用し、働きながら資格を取得できる仕組みづくりなどが対策として挙げられているようだ。

 注目したいのが、県が毎年採用している非常勤職員の高卒者枠の拡大だ。同じような取り組みを市町村にも依頼する考えだという。

 就職が厳しいから税金を使って行政が採用しろ、ということではない。非常勤ではあれ、いい人材を採用することが、行政にとっても住民にとってもプラスになるのだから期待するのである。ぜひ積極的に進めてほしい。

 長引く景気の低迷は、政権交代してもいまだ先が見えない状態だ。国でさえ事業仕分けなど合理化に躍起となっている。民間も財政状況は同じだ。

 民間の多くがここ数年、景気悪化で利益が減少し、組織改革や人員整理などの合理化に取り組まなければならない状況下にある。そうした環境で、行政が民間だけに新規採用を増やせと求めても、そう簡単に求人が増えるものではない。

 民間がもっと採用意欲を高める環境をつくり出すことこそが、国や県に求められている。300人超が、卒業時に就職が決まっていないというのはまさに「非常事態」。そうならないように、もっともっと、知恵を絞りたい。

陸奥新報 2009年12月17日

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現代版「外遊び」復活を

 児童生徒の暴力行為が増え続けている。文部科学省の2008年度の調査によると、県内の国公私立の小中高校での暴力行為の件数は前年度比約2割増の9232件と9千件の大台を突破。4年連続で全国最悪という不名誉な記録を更新した。

 キレる子どもの増加の背景は何か。社会全体で原因を探り、対策に取り組む時期だ。

 高校生は前年度比で減少に転じる一方で、公立の小学生と中学生による暴力行為がそれぞれ過去最高を記録したため、全体の件数を押し上げた。「生徒間」「対教師」など四つの様態に分類される行為の中身を点検すると、神奈川では国立校7件を含む器物損壊の件数が3554件と全国の総数の2割を占め、「突出して多い」(県教育委員会)のが特徴といえる。

 大人からみればささいなことで感情を爆発させ、教室のガラスを割ってしまったり、掃除道具などの備品を壊したり-。そうした行為を目の当たりにする教師らからは、「感情がうまく制御できない」「コミュニケーション能力が不足している」などと、いまの子どもたちの「変化」が語られる。

 そうした「変化」をもたらしたものは何なのか。どこまでもその疑問を突き詰めることが問題解決の近道となろう。

 そこで思い当たるのは、次のような教師の言葉だ。「最近の子どもたちは、外遊びの絶対量が明らかに足りない」。ここでいう「外遊び」とは、放課後の空き地で興じた草野球など、ふだんの取るに足らないほどの遊び体験の積み重ねを指す。

 しかしながら、思い起こせば私たちは異なる世代の子どもたちが集う、こうした外遊びを通じ、人と人の距離のとり方、社会性を身に付けてきた。

 人には得手不得手があり、望んでも「ピッチャーで4番バッター」になれない。外野フライを後ずさりして捕ろうとして失敗し笑われ、悔しい思いをしたこともある。それでも仲間との交わりが楽しく、輪の中にとどまったのではなかったか。

 いま学校で地域で、かつては当たり前とされてきた他人を思いやる心、協調性などをはぐくむ機会が減っているのだとしたら、それを少しでも増やすことにまずは知恵を絞りたい。学校や地域を巻き込んだ現代版「外遊び」の復活も、その手だての一つになるのではないか。

神奈川新聞 2009年12月12日

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高校無償化―特定控除を削って実現を

 政権公約に掲げられた高校授業料の実質無償化を、鳩山政権は来年度からどう実施するのか。財源が限られるなか、予算編成の焦点の一つである。

 検討されている案はこんな内容だ。

 国公立高の生徒の世帯に授業料の基準額の年11万8800円を支援する。所得制限はつけず、一律に出す。授業料が高い私立高の生徒の世帯にも国公立と同額分を出し、年収500万円以下の場合は倍額とする。実際の給付は都道府県教委など学校設置者にまとめて渡す形をとる。対象は約360万人。来年度は4501億円が必要だ。

 日本の高校進学率はいまや98%。若者が自ら生き方の選択肢を考える、義務教育に続く大事な時期である。

 ところが、親のリストラなどで中退を余儀なくされる人が増えている。家計を助けるためアルバイトに追われ、勉強どころでない生徒もいる。社会に出る前に、将来にわたって取り返せない格差がついては不公平だろう。

 世界をみれば、高校までは授業料がいらない国がほとんどだ。国際人権規約で、高校・大学の学費の段階的無償化を定めた条項を留保しているのは、日本とマダガスカルだけという。

 この年代のすべての若者に教育の機会を保障し、費用は社会全体で責任を持つ。それは日本の人づくりの基礎投資といえる。そんな理念に立つ高校授業料の無償化を、ぜひ実現させたい。

 16〜22歳の子を持つ世帯を対象に減税をしている特定扶養控除のうち、高校生がいる世帯の減税分を大きく削り、無償化の財源の一部にあてることも論議されている。

 特定扶養控除は、課税所得を1人あたり63万円少なくする制度で、高校生世帯分で計2千億円余りの減税になっている。税率が高い高所得世帯ほど、減税の恩恵は大きい。

 このうちかなりの額を圧縮し、代わりに一律に授業料の援助をすれば、結果として所得が少ないほど支援が厚くなる。親の収入にかかわらず教育の機会均等を実現する理にかなうといえる。高所得者の多少の負担増も、場合によってはしかたない。

 民主党はマニフェストで特定扶養控除の存続をうたったが、この財政難のなかでは圧縮もやむを得まい。

 一定の所得以下の人に限って授業料を無償化する案も浮上している。だがこれでは、社会で責任を持つという「無償化」の理念からは遠くなる。

 高校に通うと、授業料以外にも入学金や教材費、修学旅行代など、多くのお金がかかる。さらに配慮が必要な家庭は少なくない。

 低所得世帯には、これまで都道府県が授業料の減免をしてきた。無償化で浮く地方財源は、困っている家庭への支援拡充に振り向けるべきだ。文部科学省と自治体で知恵を絞ってほしい。

朝日新聞 2009年12月11日

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新卒者の就職 第2の氷河期にするな

 バブル崩壊後、雇用情勢が急激に悪化し、「就職氷河期」と呼ばれる時代が約10年続いた。高校や大学を卒業しても正社員の仕事が見つからず、フリーターや派遣労働といった非正規雇用が増えた時期である。

 その「氷河期」の再来が懸念されている。昨秋以降の景気の冷え込みが、大学生や高校生の就職を直撃しているのだ。

 文部科学省、厚生労働省の調査によると、来春卒業予定の大学生の就職内定率は、10月1日現在で62・5%。同時期としては2003年、04年に次ぐ3番目の低さで、00年前後の氷河期並みという。

 高校生の内定率(9月末現在)は37・6%。過去最悪だった03年以降上昇を続けてきたが、ここへきて初めて大幅に落ち込んだ。

 県内はさらに厳しい数字が並ぶ。

 沖縄労働局のまとめ(10月末現在)では、大学生が11・0%と、過去20年間で最低の水準。高校生も26・6%と伸び悩む。

 製造業のウエートが低く、観光やコールセンターが雇用の受け皿となり、経済悪化に伴う影響は限定的といわれたが、急激な円高やデフレの影が忍び寄る。

 賃金が下がればレジャーへの支出は抑えられ、円高が続けば海外旅行へとシフトする。観光への打撃は、じわり雇用へとはね返る。

 「就活」に駆け回る学生たちの実感は、数字以上に厳しいという。

 政府は8日、追加経済対策を決定した。

 雇用分野では、休業手当を補てんする雇用調整助成金の支給要件を緩和したほか、待機児童の解消など女性の就労支援を盛り込んだが、国民が抱える不安には応えきれていない。

 先の緊急雇用対策で示された大卒・高卒者の就職を支援する専門相談員のハローワーク配置も、どれだけ内定に結び付くのか不透明。

 宮崎県は高校、大学卒業予定者約150人を県の臨時職員として採用するほか県内民間企業への委託雇用を図ると発表した。京都府は就職先が見つからない高卒者を雇用し職業訓練を実施。宮城県は高校生を採用した事業主に奨励金を支給するなど、独自の対策を打ち出している。

 より現場に近い地方の危機感なのだろう。

 それに比べると国の対策はいかにも迫力不足。第2の「ロスジェネ」をつくらないという覚悟が見えない。

 本人の力とは別に、就職する年で有利・不利が生じるのは気の毒だ。

 不採用続きで落ち込んだり、初めから非正規で就職せざるを得ない状況は、職への意欲を削ぐばかりか、格差を日常の光景としてしまう。

 企業にとっても、従業員の年齢構成のひずみは、技術や知識の伝承を困難にし、マイナスが多い。 

 優秀で意欲に満ちた若者に機会が与えられないのは社会全体の損失である。機会の平等をつくるのは政治の仕事。迅速かつ大胆な対策を講じるべきだ。

沖縄タイムス 2009年12月11日

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就職氷河期 あらゆる手段で支援を

 今回の事業仕分けで指摘された非効率な基金運用の一つに、厚生労働省が所管する「こども未来財団」があった。役員16人中5人が官庁OBで、トップの報酬が年収1600万円以上の高額なことがやり玉に挙げられた。

 1人分で新卒者何人の給与に当たるのだろう。そんな思いを抱かされるほど、来春卒業予定の高校生や大学生を取り巻く就職状況は厳しさを増している。

 日本高等学校教職員組合(日高教)などがまとめた高校生の就職内定率は、10月末現在で前年同期を15ポイントも下回る59・6%。1993年の調査開始以来、最大の下げ幅となった。日高教は「求人回復の見通しが立たず、新たな就職氷河期というべき事態」としている。

 岩手労働局が明らかにした県内の状況はさらに厳しい。 10月末現在の高校生の内定率は前年同期を8・7ポイント下回る58・5%。就職氷河期と言われた2003年春卒業予定者の同時期の45・0%に比べると高い数字だが、県内への就職希望者の内定率は47・3%で、まさに氷河期に匹敵する低水準にとどまっている。

 特に、県内求人は前年同期比を4割近くも下回り、過去10年間で最低の厳しさだ。

 大学生らも苦戦が続く。同労働局まとめ(10月末現在)では4年制が46・3%、短大は16・5%で、各大学は就職先開拓などに奔走している。

 日本の場合、新卒時に就職できるかどうかは、その後の職業選択などにも大きく影響する。

 景気が急速に悪化した昨年末から今年にかけては企業から採用内定を取り消された大学生や高校生が相次ぎ、全国で2千人以上に上った。その無念さは察するに余りある。

 非正規就業者は既に全就業者の3人に1人を占めるまでになっている。

 当初は専門性が高い業種に限定されていた労働者派遣法は、2004年から製造業にも広がった。そこにバブル後の就職氷河期が重なり、非正規就業者は一気に拡大した。

 正規就業者は15歳から29歳までの若年層の割合が、30〜54歳までの層に比べて低くなっているのが目立つのは、その証しでもあるだろう。

 だからこそ、新卒者を社会の入り口でつまずかせてはならない。

 県内でも学校や関係機関が経済団体に新規高卒者らの採用を要請する動きが連日伝えられている。

 政府は追加経済対策に雇用調整助成金の条件緩和や、新卒者を対象にした職業訓練制度、就職先が見つからなかった卒業生を1カ月間、体験的に雇い入れた場合に奨励金を支給する制度などの新卒者対策を盛り込んだ。

 県も関係機関と連携し、新卒高卒者が就職できない場合に卒業後も就職指導支援を行う方針を示している。

 企業側も、こうした時こそ良い人材確保の好機と積極的に受け止め、公的制度なども十分活用して、これからを担う若い世代を育ててもらいたい。

小笠原裕

岩手日報 2009年12月10日

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母子加算復活 総合的な対策が求められる

 4月に廃止された生活保護の母子加算が復活し、今月から全国の自治体で支給が始まった。民主党中心の連立政権になって、厚生労働省関係で初の施策実現だ。

 「部活や進学をあきらめた」「食費を削るしかない」。廃止後、こうしたケースが全国で相次ぎ、子どもの教育や将来へ悪影響が及びかねないと反発が強まっていた。復活は当然とも言える。

 ただ、加算復活だけで事足りる問題ではない。深刻な不況が続く中、働きたくとも仕事先が見つからないなど、一人親家庭の生活は厳しさが増している。貧困を子どもに引き継がせないために、就労支援など総合的な施策も急ぐ必要がある。

 母子加算は、「最低限度の生活」を保障し自立を支援する生活保護制度の一環として、18歳以下の子どもがいる一人親家庭に上乗せ支給するもの。金額は一人目が月約2万円、二人目以降は月1000円程度だ。

 国は、社会保障審議会が2004年にまとめた報告書を根拠に、「母子家庭が受け取れる生活保護費の年間総額が、一般の母子家庭の平均年収を上回っている」として、05年度から段階的に減額し、今年4月から廃止した。

 平均年収が200万円ほどしかない母子家庭と比較し、廃止の根拠とすることには批判が強く、各地で減額取り消しを求めた訴訟も起きた。審議会専門委の元委員長も「加算を削れと言ったつもりはない」「報告をつまみ食いされた」と国の対応に異論を唱え、民主党は衆院選のマニフェストで復活を掲げていた。

 ただし、経緯をたどると鳩山内閣の求心力の弱さも浮かび上がる。

 厚労省が満額復活を求めたのに対し、財務省は加算額の引き下げのほか、一人親家庭に限らずに支給している高校就学費や学習支援費の廃止などを提案して対立した。折り合いはつかず、長妻昭厚労相が鳩山由紀夫首相に直訴、首相の裁断でようやく満額復活が決まった。

 加えて、現時点で財源が確保できているのは、年度内支給に必要な約58億円のみ。来年度からは年間約180億円が必要だが、予算の概算要求では必要額を明示しない「事項要求」にとどまった。財務省は他の子育て支援策などとの整合性を図るよう求めており、10年度以降の支給は確定していない。

 鳩山政権は「コンクリートから人へ」を掲げる以上、しっかりとした低所得者対策の道筋を示すべきだ。

 厚労省の調査では、07年の一人親家庭の貧困率は54・3%と、二人親家庭の10・2%を大きく上回っている。景気低迷に加え、一人親が子育てに追われフルタイムの勤務が難しく、賃金が低いパートなど非正規労働を選ばざるを得ない背景もある。

 こうした中には、生活保護以下の収入なのに、持ち家があるなどの理由で生活保護を受けられず、母子加算の対象にならない家庭もある。

 貧困が子どもたちの暮らしを追い詰め、学ぶ機会を奪い、未来の選択肢を狭めるような事態は解消していくべきだ。経済的に困窮する一人親家庭など低所得世帯に対し、就労や子育て支援、住宅政策など、横断的な対策が求められている。

熊本日日新聞 2009年12月10日

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子どもの暴力 多角的に問題の背景探れ

 小中高校を対象にした文部科学省の問題行動調査で、2008年度に学校が把握した児童・生徒による学校内外での暴力行為は過去最多の約6万件に上ったことが明らかとなった。

 高校で減ったものの、小中学校はともに増えた。特に中学校は4万2千件を超えて7割強を占める。全体の内訳では「生徒間」が最も多く、次いで「器物損壊」「対教師」、見知らぬ人などへの「対人」の順となっている。被害者の4人に1人が病院で治療を受けたというから深刻だ。

 おとなしい普通の子が突然キレて暴力を振るうとか、危険性を理解しないで過激な行動に走るケースが目立つという。暴力行為が増えた理由として文科省は、規範意識の低下や感情を制御できないこと、コミュニケーション能力の不足を挙げる。

 確かに少子化や携帯電話の普及などで、忍耐力とかコミュニケーション能力に欠ける子どもが増えている面はあろう。教師には、相手を思いやる気持ちや、意思疎通の力をはぐくむ一段の指導力が求められる。

 こうした対策の充実は重要だが、それだけで状況を改善することは難しい。問題行動に至る事情には、個々の子どものさまざまな要因が絡み合っているからだ。「おとなしい普通の子」「突然キレる」といった状況にしても本人の忍耐力のなさというより、だれにも相談できず不安や不満がたまった揚げ句の爆発というケースもあろう。

 そうでなくても精神的に不安定な年代である。子どもたちと向き合い、悩みや葛藤(かっとう)を探る工夫と努力が必要だ。もちろん学校だけでの対応には限界がある。保護者はもとより周囲の大人たちも連携し、情報を共有しながら積極的にかかわっていかなければならない。

神戸新聞 2009年12月9日

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高校無償化 低所得層への支援に転換せよ

 民主党が主要な政権公約に掲げた高校授業料の実質無償化について、政府は所得制限を設けるかどうか検討を始めた。

 所得に関係なく一律に無償化する方式には、教育関係者の間にも「教育格差を助長しかねない」と懸念する声がある。来年度の予算計上は見送り、浮いた財源を低所得層への支援拡充や他の教育関連事業に活用すべきだ。

 無償化は、公立高校生のいる世帯に授業料相当の年11万8800円、私立高校生のいる世帯にも同額を助成する。私立は、授業料が公立の3倍のため、年収500万円未満なら助成額を倍にする。

 約4500億円の予算を要求しており、これに関連し、低所得層向けの給付型奨学金として約120億円も盛り込まれた。

 高校無償化について、野田佳彦財務副大臣は所得制限も念頭に置くことを表明した。これに対し、川端文部科学相らは、一律無償化と併せて、16〜22歳の扶養家族がいる世帯を対象に、課税所得から63万円を差し引く特定扶養控除の縮小を提案している。

 高校の授業料減免については、生活保護世帯やそれに準じる低所得層に都道府県が既に実施している。公立高校生の10%、私立高校生18%の計約43万人が対象だ。

 一律無償化では、低所得層には新たな恩恵がほとんどない。家計に余裕のある層は塾代に回すことができ、格差が開きかねない。

 高校生の学費には、授業料以外にも負担が多い。文科省の調査では、授業料を含む学校教育費だけで、公立で年30万円以上、私立では80万円近くかかる。

 文科省が低所得層向けの給付型奨学金として計上した約120億円は、年収350万円以下の世帯を対象としたもので、入学金と教科書代のためだ。前政権下の概算要求では、修学旅行費や制服代、学用品費なども含め、455億円が盛り込まれていた。

 授業料減免の対象を広げ、低所得層向けの給付型奨学金を拡充するための予算を国が負担しても、無償化予算の半分もいらないはずだ。実際に困窮している世帯への負担軽減効果も大きいだろう。

 昨年度、経済的理由で中退を余儀なくされた高校生は2200人いた。こうした高校生や経済的理由で高校進学を断念する生徒をなくすことを優先すべきだ。ばらまきであってはならない。

 欧米諸国の多くは高校の授業料を無償化しているが、文科省は実情を十分把握していない。調査した上で、改めて検討すべきだ。

讀賣新聞 2009年12月8日

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子どもの暴力  心の荒れは社会を映す

 文部科学省の調査で、全国の小中高校が2008年度に確認した子どもの暴力行為が約6万件におよび、過去最多となった。生徒千人当たりの発生件数では、京都府は全国4位の多さだ。

 数字の増減も無視できないが、何より、その向こうにある子どもたちの姿に目を凝らさなければならない。

 取材で訪れた京都市内の小学校でこんなことがあった。始業のチャイムが鳴っても廊下で遊んでいる1年生の男の子にクラスメートが教室に入るよう声をかけた。渋々戻ってきた男の子はその子と少し言葉を交わしたかと思うと、いきなり相手の顔をたたいた。

 「面倒くさいから」。理由を尋ねた教師に、そうひと言つぶやいた。

 相手との意思疎通がうまくいかず、言葉にする前に手が出てしまう。そんな子どもたちは少なくない。

 その上、「手加減を加える」という知恵も乏しい。暴力を受けた子の4人に1人が負傷し、病院で治療を受けたことも今回の調査でわかった。

 11月、沖縄県うるま市で中学の同級生8人から暴行され、14歳の男子生徒が死亡した。10月にも兵庫県伊丹市で同じ中学校の生徒から集団暴行を受けた14歳の男子生徒が亡くなった。

 どちらも「態度が生意気」「悪口を言われた」といったささいな理由で命を奪う行為にまでエスカレートした。

 「感情を制御できない」「コミュニケーション能力が不足している」などと、文科省も暴力行為が増加した背景を説明する。抽象論にとどまらず、調査を有効な対策に生かしてほしい。

 ゲームや携帯電話の急激な普及で、子どもたちのまわりには仮想社会が広がっている。生身の触れ合いが希薄になり、命の感覚や他者の心身の痛みを理解する感性が育ちにくくなっていることも、無関係ではないはずだ。

 周囲にいる大人の責任は重い。子どもとじっくり向き合い、社会生活を営む上で必要なルールを粘り強く、言動で示していかなければならない。

 ただ、どうだろう。例えば、冒頭の男の子が口にした「面倒くさい」という言葉で、われわれ大人自身がさまざまなことから逃げていないだろうか。

 子どもの「荒れ」は社会を映す。

 「家庭で育っているべきものが育っていない。そんな子が増えている」と、ある小学校長は指摘する。社会の格差が家庭の教育力にも影を落とす。集団生活の中で、社会のルールを教える学校の役割はいよいよ重い。

 教育行政の迷走で学校現場には疲弊感も広がる。教師の目が子ども一人一人に届くための環境整備が急務だ。

 同時に、保護者や地域の住民も含め多くの大人の目で子どもを見守るしくみも育てたい。子どもは社会の宝である。そんな子どもたちが生きづらい社会は、大人にとっても同じはずだ。

京都新聞 2009年12月8日

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内閣府調査 子育てに夢持てる社会に

 結婚が子育てと同意語だった時代が終わり、子どもを持つことへの価値観は多様になっている。

 こうした子育てに縛られない結婚観が、若い世代を中心に増えていることが内閣府の男女共同参画社会に関する世論調査で明らかになった。

 「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないか」との問いに、「どちらかといえば」を含め、賛成する人が42・8%と過去最高となったのである。

 賛成は若い世代ほど高く、性別では男性より女性が高いという傾向も浮かび上がっている。

 20代で63%と大半を占める賛成は、70歳以上では22・8%と少数派だ。子どもを持つことに対する意識の「世代間ギャップ」が目に見えて広がっていることがうかがえる。

 多くの高齢者は若い世代の「変容」に戸惑い、日本の将来に危機感を募らせるかもしれない。

 だが回答は、「結婚=子育て」といった価値観に対する考えを示したものだ。「自分自身の結婚観」はまた違った答えになるかもしれない。

 実際、国の調査などで、理想の子どもの人数を聞くと、2人以上の答えが多いのである。

 プライベートな判断は、カップルの主体性に任されるべきという考えは近年広がっている。「若者が子育ての責任を放棄しようとしている」と受け取るのは早計だろう。

 憂慮されるのは、子育てに夢を持てない層が増えている現状だ。高齢者の子育て期のように、日本経済が右肩上がりで男性1人の収入で一家の生活を支えられるような時代ではない。

 女性が職業を持つことに関する質問では、「子どもができても、ずっと職業を続ける方がよい」が45・9%と過去最高を更新した。

 子育てをしながら働く女性への理解が深まっていることに併せ、子育てに伴う経済的な負担への不安も影響していよう。

 行政への要望(複数回答)で大幅に増えたのは「子育てや介護中であっても仕事を続けられるような支援」だ。

 調査では、出産適齢期とされる20代と30代の女性のともに60%以上が「必ずしも子どもを持つ必要はない」との考えを示した。

 仕事との両立など、子育て支援が一向に進まない現状に対するいら立ちの表れとも言えるのではないか。

高知新聞 2009年12月8日

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子どもの暴力 心に「寄り添う」努力こそ

 子どもたちの暴力の増加に歯止めがかからないようだ。文部科学省の調査によると、2008年度に全国の国公私立の小中高校が把握した児童・生徒による暴力行為は3年連続で増え、過去最多の5万9618件に上ったという。

 06年度から国立、私立を対象に加え、07年度からは都道府県教委に対し、診断書や警察への届け出の有無にかかわらず積極的に報告を求めたこともあろうが、この3年間で1・75倍に急増した。

 内訳では中学校が7割以上と大半を占める一方、小学校が前年度より24%増えており、小学校の増加ぶりも目立っている。「荒れる小学生」と騒がれたのは04年度調査だったが、暴力行為の低年齢化は一層進んでいると見るべきだろう。

 校則違反をしかる教師に逆ギレしてもみ合いになるなど、近年の暴力行為は、ささいなことで暴発することが多いといわれる。今回、被害者が病院で治療を受けたケースを初めて調べたところ、1万664件あった。これは対教師暴力、生徒間暴力など「対人暴力」全体の25%に達する。感情を抑えきれず、けがを負わせるという実態も垣間見える。

 文科省は暴力行為が増えた原因に、こうした感情を抑制できない子どもの増加のほか、規範意識の低下、コミュニケーション能力の不足などを挙げる。

 一方で、いまの子どもは自尊感情や自己肯定感が乏しいといわれ、本紙も「荒れるのは自分に自信がない子が多い」という教師の証言を紹介していた。長引く不況下、家庭の経済状況から将来に希望を持てずに荒れる子もいる。さまざまな子を抱え、学校現場も悩んでいる。

 子どもが荒れるには、恐らくいろんな背景や要因が絡まっているのだろう。

 文科省は、暴力行為など問題行動を繰り返す子どもには警察などと連携して毅然(きぜん)とした対応をするよう、各教委に通知したという。確かにそういった「抑え込む」方策も必要だろうが、それにも増して、子どもの心に「寄り添う」態勢づくりが求められているのではないか。

 それには、自治体教委の支援が欠かせない。医師や臨床心理士、元教師、警察OBらによる学校支援チームの設置や、スクールカウンセラーの配置は各地で進んでいるが、実際にうまく機能しているのか。ぜひ検証してもらいたい。

 最近、スクールソーシャルワーカーの存在が注目されている。いじめや不登校などを含めて、子どもの問題行動には家庭も密接に関連しているといわれ、そうした家庭環境にまで踏み込んで解決策を探る役割が期待されているのだ。

 学校を地域に開くことも大事だ。学校の問題を保護者などPTA関係者はもちろん、民生・児童委員など地域住民と共有して協力を得る必要がある。

 子どもに、どう向き合うのか。学校の日々の指導は当然だが、大人社会そのものが問われているともいえる。

西日本新聞 2009年12月8日

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子どもの暴力  語り合いの場増やそう

 2008年度に全国の国公私立の小中高校が把握した学校内外の暴力行為が3年連続で増え、過去最多の5万9618件だったことが文部科学省の問題行動調査で分かった。

 文科省は増加の背景に「規範意識の低下」「感情を制御できない」といった変化が子どもに生じているとみている。このような子どもがそのまま大人になれば、社会で深刻な問題を起こしかねない。文科省はより詳しい実態把握に努めるとともに、早急に対策を講じる必要がある。

 鹿児島県教育委員会によると、県内の暴力行為は前年度比36件増の177件だった。1997年度の321件をピークに120件前後で推移していたが、2年連続で増えた。

 同じ生徒がほかの生徒への暴力を繰り返したために件数が伸びた事情もあるという。1件1件と真剣に向き合い、家庭や地域と連携の上で、それぞれの事例に応じた適切な対応を探りたい。

 文科省は全国の都道府県教委に対して、暴力行為には警察などと連携して毅然(きぜん)と対応するよう通知した。他人への暴力や器物損壊は犯罪行為である。暴力行為を繰り返す児童生徒に「悪いことは悪い」と身をもって学ばせ、被害の拡大を防ぐには、警察の力を借りた方がいい場合もあるかもしれない。

 だが、未然防止こそが本来の教育の役割であることを忘れてはならない。教職員は一体となって、問題行動がエスカレートする前の早期発見に努めてほしい。

 暴力行為を学校種別でみると、中学校の増加が目立つ。全国では前年度比約6000件増の4万2754件で、県内でも前年度の2倍以上の70件だった。生徒同士のけんかが言い争いや小競り合いから始まるのではなく、いきなり殴ったりけったりするというケースが目立っているようだ。

 成長に応じて身につけるはずのコミュニケーション能力が低下しているとみる教育関係者は多い。受験の緊張感や友人関係を結べない孤立感を内にため込んでしまえば、ささいなきっかけで爆発することも不思議ではない。

 状況を改善するには、子どもの内面を引き出し、一緒に問題を考えるような語り合いの場を増やしていくことが大事だ。それは教師だけではなく、家庭や地域など、子どもの日常生活を取り巻くすべての大人が心がけるべきことである。

南日本新聞 2009年12月8日

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子どもの暴力行為/島根で過去最多はなぜか

 島根県内で小学生による暴力行為が増えている。県内で確認された小学生の暴力行為は昨年度過去最多になった。文部科学省が公表した2008年度生徒指導上の諸問題の調査結果である。

 最近まで子どもたちの間に忍び込んでいたいじめが減る一方で暴力行為が浮上し、教育現場に重くのしかかっている。

 規範意識が低下するなかで感情をコントロールできず、いきなり切れる。相手とのコミュニケーションをうまく図れない。そのいらだちを暴力によって瞬間的にガス抜きする。

 調査結果から、こんな暴力行為の背景が浮かんでくる。突き詰めていくと、我慢や思いやりといった人間関係を円滑にする心の働きが頼りなくなっているようだ。

 いじめのように陰に隠れた執拗(しつよう)な攻撃性から、単線的で直情型な暴発行為に転じつつある。それをどうみるか。

 そこでは人間関係が希薄化する地域社会の在り方を映しているのではないか。家庭や地域を映し出す子どもたちのサインに向き合わなければならない。

 島根県教委が2008年度中に確認した県内の小学生の暴力行為は121件。前年度29件の4倍以上に増え、過去最多となった。中高校生の暴力行為が前年度と比べて減少しているのに対し、低年齢化が目立っている。

 これに対していじめは小中高生合わせて177件で、前年度に比べて半分以下に減っている。小学生に限ると63件と前年度の146件から大幅減。生徒指導上の諸問題で暴力行為がいじめを上回った。

 誰に対して暴力が振るわれているのか。小学生の場合、全体の3分の2の79件が児童同士であり、教師に対する暴力は26件。学校内で暴れて備品を壊すなど器物損壊は15件あった。学年別では5年生以上で急激に増えている。

 小学生による暴力行為が急激に増えている原因について県教委は「特定の子どもが繰り返していることもあるが、子どもたちの間にフラストレーションがたまっているのでは」とみる。

 家庭の事情でスポーツ少年団活動に参加できず、その不満が暴力につながったケースもある。自分の能力を発揮できずにいるいらだちが暴力に駆り立てたようだ。

 普段おとなしい子が突然暴力を振るうのも最近の特徴という。以前は大体予測できた暴力の場面が拡散し、事前に察知しにくくなっている。

 中学校を中心に校内暴力が吹き荒れたころは、突っ張りのリーダーがいて集団で暴力を顕示するようなところがあった。集団内で上下関係が働き、学校などと組織的に対立することに存在意義を見いだそうとする。ある種の集団規律のようなものが働いていた。

 それが今は個別化しているという。抑制が利かず感情を暴発させるケースが多い。いじめられている友達を助けようとして仲裁に入った子どもを複数で囲み、暴力を振るう。以前なら自制が働いていたはずである。

 そうした子どもたちの振る舞いに大人が胸を当ててみる。家庭や地域に対する子どもたちの抗議が聞こえてくるかもしれない。

山陰中央新報 2009年12月7日

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暴力行為調査 「キレる子ども」をなくすには

 文部科学省の2008年度調査で、学校内外での小中学生の暴力行為が過去最多となった。教師と親が連携を図ると同時に、原因を究明し、対策を立てなければならない。

 調査結果によると、小中学生、高校生が教師や仲間に暴力を振るったり、物を壊したりした暴力行為は約6万件に上った。07年度より約7000件も多い。暴力行為が低年齢化し、中学生だけで初めて4万件を突破した。

 学校がいじめを認知した件数は減っている。だが、沖縄県で11月に起きた中2男子の集団暴行死事件では、いじめが暴力行為、犯罪へ発展したとみられている。いじめ件数が減ったからと言って、決して安心はできない。

 最近は、おとなしそうな子が突然、キレる例が目立つという。

 文科省は、暴力行為増加の背景として、感情を抑える力や他人と意思疎通を図る能力の不足、規範意識の低下などを挙げる。「問題を起こすのは、自分を大切にせず自信を持てない子に多い」という専門家の指摘もある。

 昨今の子どもたちは、少子化や都市化、塾通いのために、遊ぶ仲間や場所、時間が減っている。インターネットなどの発達で、他人と直接触れ合う体験も少ない。

 仲間との野外キャンプ、学校行事などを子ども自身に企画・実行させる。部活動に積極的に参加させる。具体的な目標を持たせ、さまざまな体験を通じて自信をつけさせることが大切だ。

 家庭でのしつけも、おろそかにしてはならない。幼い頃から親子で過ごす時間を作り、基本的な生活習慣を身につけさせたい。

 教師は、新しい学級の担任になった時には、早期に親との面談の機会を持ち、子どもの性格や家庭内での生活ぶりを把握する。

 大事なのは、遅刻や早退、服装の乱れ、校内の落書きなど、小さな兆候を見逃さないことだ。

 親や地域の住民に協力してもらい、校内の見回りなどを手伝ってもらうのも一つの手だろう。

 問題が起きた時には、教師が一人で抱え込まないよう、校長が指導力を発揮し、学校全体で情報を共有してあたるべきだ。学校の手に余る場合には、警察や児童相談所など外部と速やかに連携し、毅然(きぜん)と対応しなければならない。

 文科省の調査では、暴力行為増加の原因がはっきりしない。携帯電話やパソコンでの有害サイト、テレビゲームの利用状況と、暴力行為との因果関係などを調査し、分析していく必要がある。

讀賣新聞 2009年12月6日

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予算編成作業 科学・文化を衰退させるな

 科学技術や文化、教育などは、費用と手間がかかる割に成果がすぐには見えてこない分野だ。それを費用対効果で仕分けしてよいのだろうか。

 知的創造活動の基盤整備や人材の育成は、長期的視野から取り組むべき課題である。

 行政刷新会議の事業仕分けの結果、この分野の多くの事業が「廃止」や「縮減」と判定されたが、大胆に判定を見直して適切な予算措置をとることが必要だ。

 科学技術関係では、次世代スーパーコンピューターの開発が「事実上の凍結」とされたほか、大学の研究成果を地域の産業育成に生かす地域科学技術振興・産学官連携などが「廃止」とされた。

 これに対しノーベル賞受賞者の江崎玲於奈博士らは「科学技術創造立国」に逆行する作業だと批判した。当然であろう。

 長期的戦略を欠いた予算削減は知の探究の基盤を崩すもので、日本の国際競争力維持の観点からも大きな禍根を残しかねない。

 2000年の「子ども読書年」を機に超党派の国会議員が提唱して創設された「子どもゆめ基金」と、子ども読書応援プロジェクトも「廃止」と判定された。

 基金は読書の街づくりや読み聞かせなど、年間約2000件の民間事業を支援してきた。

 衆参両院で全会一致で採択された決議により、来年は「国民読書年」と定められている。活字文化推進の重要性を踏まえ、これらの事業は存続させるべきだ。

 また日本芸術文化振興会を通じた芸術支援の予算は、「圧倒的縮減」と判定された。

 バレエやオペラ、演劇の制作で国際的評価も高い新国立劇場の運営費や、優れた文化芸術活動の支援費用を中心とした予算だが、国庫負担を将来はゼロにするよう求める仕分け人もいた。

 だが、商業ベースに委ねていたのでは文化・芸術は育たない。欧米諸国も国が積極的に支援をしたり、寄付税制を整備し民間による支援を促進したりしている。

 文化振興は地方に委ねるべきだとの主張もあるが、自治体の文化予算は厳しい財政事情により削減される傾向にある。国が筋道を示し支援に取り組む必要がある。

 教育予算では、英語教育改革総合プランが「廃止」とされた。

 11年度から小学校5、6年生で必修化される英語の補助教材の予算が否定され、現場は困惑している。混乱が拡大しないよう、政府は早急に事業継続の方針を明確にすべきだ。

讀賣新聞 2009年12月6日

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キレる子ども―目を向ける大人をもっと

 教師や同級生に暴力をふるったり、モノに当たって壊したり。児童生徒の暴力行為が増え続けていることが、文部科学省の昨年度の集計でわかった。特に小中学生の変化が著しい。

 廊下で肩が触れただけで、胸ぐらをつかみあう。授業中に騒いだことを注意され、すぐ何かを投げつける。相手に病院に行くほどのケガをさせた例は、1万件を超えた。

 感情を、言葉で表す力が未熟なまま、爆発させる。学校から報告されるのは、驚くほど簡単にキレてしまう子どもの姿だ。子どもがここまで変わってしまったのは、どんな要因があるのか。文科省は本格的な調査・分析に乗り出し、対策を考えるべきだろう。

 教育現場で「暴力は絶対だめ」と教え、厳しく対処すべきなのは言うまでもない。同時に、子どもが爆発前に発しているはずのサインを読み取り、暴力を未然に防ぐ努力が、大人たちに求められているのではないか。

 東京で中学校のスクールカウンセラーを務めてきた臨床心理士の植山起佐子(うえやま・きさこ)さんが痛感するのは、家庭環境のつらさを背負った子の多さだという。共働きだと親子が接する時間は少なくなる。一人親家庭も増えた。不況下での不安定な収入も影響を及ぼす。

 親に気持ちを十分受け止めてもらえないまま成長し、家庭でのストレスを引きずって学校に来る子どもがいる。

 ところが、そうした子ども一人ひとりに向き合い、一緒に解決策を考える余裕は、いまの学校にはない。増えるばかりの事務作業に教師が忙殺される実態は、行政刷新会議の事業仕分けでも指摘された。

 一つの対策は、教師や親以外の様々な人が支援態勢を組み、学校の内外で子どもに目を向けるようにすることだ。植山さんは、学生ボランティアに入ってもらったのを契機に、荒れかけた中学を落ち着かせた経験がある。

 上下関係にある先生とは別の大人になら、違った形で接する子がいる。図書ボランティアの主婦が世間話をしてくれる図書室は、教室とは別の居場所になるかもしれない。放課後の補習を手伝う大学生は、兄、姉のような近さで子どもらのモデルになれる。

 そうした支援者が小さな異変に気づけば、スクールカウンセラーなどの専門家につなぐこともできる。

 校門の外でも同じだ。「○○中の生徒だね」「文化祭よかったよ」と大人が声をかけるだけでも、子どもは自分の価値が認められたと感じるだろう。児童館といった子らの「たまり場」にも、目を配る大人がいてほしい。

 「子どもの危機」の深刻さは、いまや家庭や学校のレベルを超えているのではないか。地域や社会全体で、子どもを見守り、教育を支える覚悟が必要なときである。

朝日新聞 2009年12月5日

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子どもの暴力最多 規範意識を育てなければ

 全国の小中高校で2008年度に児童生徒が起こした暴力行為は3年連続で増加し、過去最多の5万9618件になったことが文部科学省の調査で分かった。

 高校は減少したが、小学校は前年度より24%、中学校では16%も増え、低年齢化している。

 徳島県内でも前年の29件から474件と大幅に増加した。前年までは調査対象としなかった軽微な事案も含めたためとはいえ、何ともショッキングな数字である。

 学校や教育委員会は原因などをしっかりと分析し、保護者や地域との連携を強めて、問題行動の早期発見や防止に全力で取り組んでもらいたい。

 発生の内訳は生徒間が半数を占め、次いで対教師などが多かった。

 暴力増加の背景について文科省は、子どもの規範意識やコミュニケーション能力の低下を挙げている。

 ごく普通の子が突然キレて級友に暴力を振るったり、集団での暴行がエスカレートして死に至らしめたりするケースも目立つという。

 子どもの感情をどうコントロールしていくか。教育現場での指導態勢が問われる。

 一方、いじめの把握件数は8万4648件で前年度より16%減少した。県内は395件で32%減った。

 だが、全国の小学校の33%、中学校の57%、高校の40%でいじめが把握され、深刻な状況だ。ネットに隠語で悪口を書き込むなど、数字に表れにくい陰湿ないじめも増加している。一層の対応を求めたい。

 文科省は問題行動に対し、警察などと連携して毅然(きぜん)とした対応を取るよう都道府県教委などに通知した。

 しかし、子どもたちは競争社会の中でストレスをため、孤立感を深めている。教師は子どもを押さえつけるだけではなく、悩みを引き出すような指導も重視してもらいたい。

徳島新聞 2009年12月4日

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子供の暴力 学校に風穴を開けよう

 子供の暴力の増加に歯止めがかからない。

 全国の小中高校を対象にした文部科学省の問題行動調査によると、2008年度に発生した児童・生徒の暴力行為は約6万件に及んでいる。

 前年度より13%増加した。3年連続で増え、過去最多を更新している。被害者が病院で治療を受けた事例は約1万件にもなる。

 いま、この時にも、どこかで子供たちが暴力行為の加害者、被害者になっているかと思うと、胸が痛む。対策は急務だ。

 加害者は、小学校は6年生、中学校では2、3年生が多い。心身の変化や対人関係の悩みに、受験の重圧などが加わる難しい年ごろだ。

 普段はおとなしい子供が、ささいなきっかけで、キレて暴力を振るうのが近年の傾向という。教師への暴力も増えている。

 国連児童基金(ユニセフ)が07年に発表した子供の幸福度調査で、「学校で孤独を感じる」という子供の割合は約3割に上り、先進国の中で突出している。

 日本の子供は「自分は役に立たない人間だ」と思いがちで、自己肯定感に乏しいとの指摘もある。

 多くの人に愛されているという確信や自分に対する自信があれば、他者とのあつれきで怒りが生じても、暴力に頼るのを踏みとどまることができるはずだ。

 成績の良しあしで人間の価値が決まるような息苦しさが学校を覆い、子供を孤独や自己否定に陥らせてはいないか。

 現場の教員からは、管理強化が進み、職員室で自由闊達(かったつ)な議論ができないとの声も聞こえる。教える側が生き生きしていなければ、子供に生きる喜びは伝えられないだろう。

 文科省調査では、いじめは減少傾向を示しているが、実態を反映していないという見方が根強い。

 学校裏サイトなどネット上のいじめは把握が難しい。見えない所に陰湿ないじめの網が張られている可能性を常に考慮しなければならない。

 学校の閉塞(へいそく)感に風穴を開けたい。保護者、地域住民が連携して学校にもっとかかわることが、その一歩になるのではないか。

 調査では、いじめを認知した学校がPTAや地域の関係団体と協議する機会を設けたケースは2割に満たない。学校、家庭、地域が協力して問題解決に当たる仕組みが必要だ。

 民主党はマニフェスト(政権公約)で、保護者や地域住民などでつくる「学校理事会」が公立小中学校を運営する方針を掲げたが、中身について議論は深まっていない。

 教育政策に対する新政権の本気度が問われている。

北海道新聞 2009年12月3日

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問題行動調査「子供への配慮忘れないで」

 文部科学省が30日、児童生徒の問題行動調査結果を発表した。全国では小中高生の暴力行為が約6万件で、過去最多となったことが分かった。心がすさむデータである。

 暴力行為は5万9618件で前年度より13・0%増えた。小学生は24・4%増の6484件、中学生が16・2%増の4万2754件、高校生が3・3%減の1万380件。低年齢化が進んでいることがよく分かる。

 暴力行為が増えたことに関し、文科省は「子供の規範意識、コミュニケーション能力が低下したようだ」と分析している。その通りだと思う。

 一つの例として、子供の言葉の幅が近年、極端に狭くなっていることが挙げられる。子供らしいさまざまな表現や言葉があるはずなのに、最近は「マジ」「スゲ」などですべてが表現される傾向が強い。

 言葉の幅が狭いからどうしてもコミュニケーションが難しくなる。それがストレスになり、感情が激化した時に暴力を振るう―という結果になっているのではないか。

 児童生徒間の暴力は3万2445件で過半数を占めた。教職員への暴力は8120件、器物損壊が1万7329件だった。この結果からは、感情をコントロールできずにかっとなって学校の壁を踏んで壊すなど、いわゆる「キレる子供」の姿が浮かんでくる。

 暴力行為の増加傾向はなぜなのだろう。学校に問題があるのか、家庭にあるのか。それとも個人の問題なのだろうか。現時点では明確な原因を挙げることができない。

 ただ、最も考えなければならないのは子供に対する配慮である。規範意識が低いとか、コミュニケーション不足とかであるならば、そうした子供をいかに指導していくか、指導方法も慎重に考えなければならない。

 同じ調査では、生徒が自殺した原因として学校が「教職員との関係での悩み」と報告したケースが2件あった。裁判でも教員の行き過ぎた指導が子供の自殺につながったという判決が示されてもいる。教員の指導がこうした悲劇を生むこともあるのだ。

 本県の暴力行為は463件、いじめは870件だった。全国平均以下であり、全国とは違って減少傾向のようだ。県教委は「きめ細やかな指導、家庭や地域との連携で早期対応できた成果」としている。

 いじめや暴力行為の件数が減っているのは結構なことだ。これからも学校と家庭、地域が連携を深め、子供たちを温かく見守っていきたい。

 ただ、本県で減少傾向がこれからも続くのかどうかは分からない。子供たちが置かれた状況に常に目配りし、学校が子供たちにとって明るく楽しい場所であるように心掛けたい。それが大人たちの責任である。

陸奥新報 2009年12月2日

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