地方紙社説(2007年5月)


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土曜授業 朝令暮改は混乱を招く

毎週土曜日、公立の学校が休みになったのは5年前のことだ。それを「土曜も学校で勉強」ができるように、教育再生会議が近く提言する。

土日に家にいられない親にとっては、ありがたいかもしれない。ただ、授業時間が増えれば学力が向上するといった単純な話ではない。学校週5日制とともに始まった「ゆとり教育」への評価が定まらないまま制度を変えるのでは、子どもたちを振り回すだけになる。

学校で土曜休みが始まったのは1992年だった。最初は月に1回。95年から2回になり、毎週休みになったのは、いまの小学6年生が入学した2002年からである。

教育再生会議は1月の第一次報告で、学力向上のため授業時間数の10%増を提言している。長期休みの短縮、7時間目授業の導入とともに、土曜日の活用を対策の一つとして論議してきた。

土曜日が休みになって、子どもの生活のリズムが乱れた、ゲームやテレビの時間が増えたといった批判はある。だからといって、時計の針を戻し、授業を再開することが正しい処方せんになるとは限らない。新たな問題も出てくる。

まず、スポーツなどで週末の活動の場をつくってきた地域の努力をそぐことになりかねない。土曜日が授業になれば、子どもは学校に任せればいいといった風潮が強まる心配がある。

教員の仕事も増える。手当てや人員増も考えなくてはならない。

それなのに、安倍政権の教育改革は、予算も教員の定員も増やさずに「もっと頑張れ」と教師の負担を増やそうとしている。免許は更新制になり休日減となれば、先生のなり手が減っていくのは目に見えている。

文部科学省の学力調査では、「ゆとり教育」で学んだ児童・生徒の成績が以前と大きな差はなかったという結果が出ている。小6、中3の全員を対象にした学力テストも4月に行ったばかりだ。

調査結果を踏まえず、土曜復活に走る−。これでは十分な説得力を持たない。ゆとり教育の功罪をきちんと評価することが先になる。

授業時間数はもともと、柔軟に決められるものだ。国が定めるのは「標準」の時間であり、学校が指導に必要な時間を確保する仕組みになっている。土曜日を復活せずとも、時間割や行事の見直しなど工夫しどころはまだある。

学力世界一といわれるフィンランドでは、日本より授業数が短い。学校に行く日を増やせば、学力がつくわけではない。

信濃毎日新聞 2007年5月31日

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教育再生2次報告 子供の未来は大丈夫か

政府の教育再生会議が、六月に安倍晋三首相に提出する第二次報告の最終案を大筋で了承した。

学校で土曜日の授業を可能にするほか、保護者や児童生徒が就学先を選べる学校選択制の導入、さらに徳育(道徳教育)を「新たな教科」に位置付けるよう提言している。

再生会議は一月の第一次報告で、学力向上のために「ゆとり教育」の転換を促し、授業時間数を10%増やすことなどを盛り込んでいた。

教育委員会や学校が春・夏休みを活用するなどして授業時間数の増加を図る。さらに、地域の実情に合わせて、土曜日の授業も可能にする。

二〇〇二年四月に完全実施された公立小中高校の「学校週五日制」を事実上、廃止する内容である。

急な方針転換が、教育現場を混乱させる恐れはないのだろうか。今後、学習面の効果はもちろん、導入の是非を含め、政府内で十分に論議を重ねる必要があるだろう。知識優先の詰め込み教育になってしまっては、子供のためにならない。

学校の選択制に関しては、教育委員会が地域の実情に留意し、児童生徒・保護者が希望や個性・能力に応じて学校を選択できるようにする。さらに、特色の発揮に積極的に取り組む学校に、実績などに応じて予算配分するとしている。

それぞれの学校が魅力的な特色を持ち、児童生徒のニーズに応えるのは大切なことだ。一方で、学校間に行き過ぎた競争をもたらすことも懸念される。各校が予算獲得をめぐって、しのぎを削るような事態は避けなければならない。

各地で問題化している学級崩壊などに直面している「教育困難校」に対する支援策も打ち出した。教育委員会が学校問題解決支援チーム(仮称)を設け、課題を抱える子供や保護者の問題解決に当たる。チームには、警察官(OBを含む)、弁護士、臨床心理士、精神科医らの参加を求めるという。

いじめによる児童生徒の自殺や不登校など教育現場が早急に対処すべき課題は多い。子供の心のケアを含め、教員や保護者の意向に十分配慮した支援体制づくりが必要だ。

再生会議の論議で、国民の高い関心を呼んだのは、道徳教育の在り方だった。報告案では、徳育を従来の教科とは異なる「新たな教科」と位置付け、点数では評価せずに、多様な教科書と副教材を使うなどとしている。

現行は、小中学校で「道徳の時間」が週一時間、年間で三十五時間設定されているが、「教科外活動」の位置付けで正規の教科書がない。

再生会議は、道徳教育を充実させるため、一度は正式な教科としての徳育新設を打ち出した。だが、数値による評価や検定教科書の使用などを見送るべきだとの意見もあり、正式な教科にすることは断念した。

人の心を一定の尺度で測り、点数化することには、多くの人が抵抗を覚えるはずだ。点数による評価をやめたのは当然だ。

安倍首相は教育再生を政権の最重要課題と位置付け、積極的に教育改革を進めてきた。再生会議は第一次報告で、不適格教員の排除を視野に入れた教員免許更新制の導入などを提言した。これを踏まえた教育改革関連三法案は衆院を通過し、参院で審議されている。

矢継ぎ早の改革が、教育現場や子供たちを戸惑わせることがあってはならない。政府、国会で十分に論議を尽くし、よりよい教育の在り方を探るべきだ。

徳島新聞 2007年5月30日

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土曜授業復活 議論尽くした提言なのか

学力向上につながる可能性があるものなら、とにかく何であろうが挙げてみようということなのか。

政府の教育再生会議が、公立学校の土曜授業を可能にする第二次報告最終案をまとめた。

二〇〇二年から完全実施されている学校週五日制を事実上廃止する内容である。週休二日は社会に定着してきており、土曜授業の復活は家庭の週末の過ごし方に大きな影響を与えずにはおかない。地域と子どもたちの関係をさらに疎遠にする恐れもある。

再生会議は一月の第一次報告で授業時間数の一割増を打ち出した。「ゆとり教育」と週五日制が学力低下を招いたとの批判を受けてのことだ。土曜日も授業に振り向けることで、一割増を確保しようという結論になった。

最終案づくりの議論の過程では教育現場の混乱を招いてはならないとの意見が出た。このため、土曜授業に向けての具体的な対応は野依良治座長らに一任されることになった。

土曜授業再開の影響は学校だけにとどまらない。もっと教育現場や地域の実情を踏まえた検討がなされてしかるべきだ。それもないまま、具体論も先送りしている。

提言は「ゆとり教育」を見直し、学力向上を重視する安倍晋三首相の意に沿ったものだ。しかし、再生会議で詰めるべきは授業時間数と学力との関係だろう。時間が増えれば問題がすべて解決するといった単純なものではないはずである。

文部科学省は四月、高校三年生を対象に実施した学力テストの結果を公表した。「ゆとり教育」の下でも学力改善がみられるというデータが出た。

教育改革に成功し、世界一の学力といわれるフィンランドでは授業時間数は短く宿題もない。子どもの読書量は世界一で、教師の質が高いとされる。

教師が過労に追い込まれたり、心を病んだりするケースが少なくない日本が、学ぶべきところは多い。

ゆとり教育は、受験戦争の過熱や知識偏重の詰め込み教育の反省から一九七〇年代から検討が始まった。

中教審が学校週五日制の導入を打ち出したのは九六年のことだ。知育偏重教育からの脱却を目指してきた経緯を十分に検証しないまま、時間確保に先走っている感は否めない。

再生会議は一次報告で授業の在り方にも細かく触れ、基礎の反復などを提唱した。お節介が過ぎる。これでは教師は窒息しかねない。教師にゆとりがあってこそ健全な教育が可能になる。

教育現場の現状をまずきちんと把握する必要がある。それを踏まえない議論は「教育時事放談」「井戸端会議」とやゆされるだけだ。

新潟日報 2007年5月29日

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教育再生報告  言いっ放しではすまぬ

土曜日の授業の復活。学校選択制の促進。徳育(道徳教育)の教科化−。今回も「教育再生」へあの手、この手の処方せんがズラリと並んだ。

政府の教育再生会議が第二次報告案をまとめた。だが言いっ放しの提言が目立つ。肝心の現状分析や検証が欠落したままでは、処方せんに説得力がない。

しかも第一次報告と同様、安倍晋三首相が重視する「学力向上」と「規範意識の育成」が大きな柱になっており、国民とともに教育を語る姿勢に欠けていると言わざるをえない。

今回の一番の目玉は、土曜日授業も実施可能としたことであろう。

教育再生会議は、第一次報告で公立学校のゆとり教育見直しの柱として「授業時間数の10%増」を打ち出した。土曜日授業はその具体策というわけだ。

問題なのは、再生会議の委員が子どもたちの学力低下の原因がどこにあり、授業時間の増加という処方せんが良いと、なぜ判断したかである。それが今も判然としないのだ。確かに学校五日制と相まって、学習内容を削減したゆとり教育が学力低下を招いたとする声は多い。

だが、授業時間数と学力との相関関係は実証されていない。そもそも学力は授業時間を増やせば自動的に上がるというものではないだろう。

再生会議がまずやるべきことは、授業時間を増やすことではなく、どうしたら子どもたちの学習意欲を引き出せるかではないのか。そこの論議が国民には見えてこないのだ。

学校週五日制はすでに定着している。これを元に戻すとなれば影響は大きい。教員は休日返上となる。土曜授業の回数は別として、いかにして国民に理解を得るのか。再生会議はその対応の道筋まで示すのが責務だろう。単なる思いつきではないか、と言われても仕方がない。

というのも、再生会議の提言内容が消えては復活し、その逆のケースも何度も見られたからである。
その最たる例が「子育て提言」だ。母乳育児や子守歌の励行などの必要性を打ち出したが「家庭の問題に立ち入りすぎ」との批判で、立ち消えとなった。

その逆が徳育だ。いったんは正式教科とする案が消えかけたが「新しい教科」との位置づけでよみがえった。「安倍カラー」を形にしたい官邸の意向が強く働いたとされる。

「美しい国」づくりを目指す首相の意向に沿うというだけなら、再生会議の意味がない。教育改革の実務を担う文部科学省の中央教育審議会とどう整合性をとるか。生煮えの提言だけなら屋上屋を架すことになろう。

安倍首相も教育再生を政権浮揚のテコにしようとの思惑が見え隠れする。

教育は政治の道具でない。まず子どもたちのためにあることを忘れてはならない。

京都新聞 2007年5月29日

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迷走の教育再生会議 無理がある道徳の教科化

安倍首相の強い思い入れがあって教育改革が与党ペースで着々と進んでいる。昨年末の改正教育基本法の成立。そして、教育改革関連3法案が18日に衆議院を通過した。今国会で成立の運びである。まるで判で押したように一気呵成な進み具合だ。更に政府の教育再生会議は諸々の提言案を検討している。

■「道徳」を教科に
教育再生会議で論議しているものに「道徳」の教科化がある。言わば格上げである。その背景には、児童生徒に高い社会規範意識を持たせたいとか、学校における道徳の授業が十分にその目標が達せられていないとか―の危機意識があってのことのようだ。

現在、中学校を例にとると、学校の授業は国語、数学等の「9教科」と道徳、特別活動、総合的な学習等の「時間」に類別されている。と言っても時間割上区別があるわけではなく、それぞれ正規の50分授業が展開されている。

では、なぜ「道徳科」なのか。これには学校への不信感がある。教科に昇格すれば教諭は片手間でなく、より専門的に身をもって指導するようになるのでは―という思いがあるからだ。評価を入れることにより教諭、生徒に緊張感を持たせたいということもある。評定評価のある「教科」と、それのない「時間」との差異が根底にある。

しかし、道徳の教科化には無理がある。数値による評価、検定教科書の使用、担当教諭への道徳科免許状の授与、等の問題があるからだ。それに最大な難点は道徳という個々の内面に関わることをどう評価するかということだ。

仮に評価するようになれば鋳型にはめた人間を育成することになりかねない。ここは形骸化しているとの批評がある現状をどう回復し実効あらしめるかに腐心すべきだ。

■こんな時代だからこそ
教諭は、教科指導に比して道徳指導は弱い―という印象を受ける。教科指導は大学において専門過程である程度の知識を習得して教職に就いたが、道徳指導は特別な専門的指導を受けてきたわけではない。それだけに現職研修の重要さがあるが、全体的に打ち込み方が低調のように見える。

各校種で各学校で道徳教育が行き届いておれば今回の教科化という問題も起こらなかっただろう。学校は己が身に降り掛かった火の粉を払わねばなるまい。そのためには教科以上に教材研究を深くし目の前にいる子に正対する必要が迫られている。

この道徳教科化の問題は何も今回初めて出てきたものではない。2000年、小渕ー森内閣時の教育改革国民会議も同様な提言を行っている。道徳に替わり中学校に「人間科」、高校に「人生科」という教科を設けようというものであった。

来月早々に発表される教育再生会議第2次報告では教科化については反対論もあって断念するとのことであるが、いつもこの問題が内包しているということを学校は知る必要があろう。

中教審山崎正和会長は先だっての講演の中で「現在の学校制度の下で倫理や修身をやるのは無理だ」と投げやりとも思える発言をしている。だが、こんな時代だからこそ学校が最後の砦(とりで)の思いで励まなければなるまい。

■保護者崩壊
「親学」という耳新しい言葉がある。子育てや家庭教育での「あるべき姿」を親として身に付けなければならないものだ。このことも教育再生会議で審議されている。それだけ社会が、親が脆弱(ぜいじゃく)、幼稚化したということだろう。

「保護者崩壊」という言葉もある。給食費未納、しつけ放棄、授業参観でのおしゃべり、教育観の押しつけ等々からきたようだ。親として最低限のルールを守り、子どもにも知らしめ登校させてほしい。そうでなければ学校は砦にはなりえない。

八重山毎日新聞 2007年5月26日

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教育3法案 成立急がず論議尽くせ

教員免許の更新制など教育関連の3法案の審議が参議院で始まった。中央教育審議会の論議を1カ月で終わらせ“突貫工事”でたたきあげた法案は、衆議院で11もの付帯決議が付いている。

学校現場を大きく変える法案なのに、内容は生煮えのままだ。参議院では踏み込んだ論議をすべきである。選挙目当てで成立を急ぐのでは、教育はよくならない。

3法案は全体として、教員や学校、教育委員会への国の管理を強める内容になっている。

教員免許は10年で更新とし、約30時間の講習後に試験を行う。合格できない教員は免許取り上げなどの処分対象になる。

子どもの教育を受ける権利や命が守られていない場合、国が教育委員会に是正を求めることができる。

義務教育の目標に「愛国心」などを盛り込む。学校に副校長、主幹といった役職を増やせる。

地方分権の流れに反するという批判も根強い。拙速な論議との声を押し切って、衆院では約60時間の特別委員会審議で可決した。

さまざまな懸念がある。一つは教員免許更新の費用を誰が負担するかだ。文部科学省の試算では講習費用は1人約3万円かかる。年間30億円余りの講習費用は個人負担か、国や都道府県が負担するのか決まっていない。現在の10年目研修との調整もこれからだ。

何よりも、いままで以上に教員の負担が増えることで、質を高めることになるのか疑問が残る。

学校に新たな役職を置くことにはマイナス面もある。上意下達が強まり、先生の優劣をつけるような組織化は、いい結果を生まないだろう。

最も気掛かりなのは、学校教育法の改正で、国が求める規範が子どもに押しつけられていくことだ。

21日の参院本会議で安倍晋三首相は義務教育の目標に盛り込まれる「わが国と郷土を愛する態度」について、「態度」を養う指導が一層行われるよう努めていくと述べた。学習指導要領の見直し、道徳教育の充実などを挙げている。

安倍首相の教育改革の持論は「子どもたちに高い規範意識と学力を身に付けさせる」である。だが、学校や家庭でルールを体得するのではなく、国が求める規範を押しつけられれば、子どもにとって学校は息の詰まる場所になる。

地方公聴会では「国がいつも正しいわけではない」という異論も出た。だめな学校や先生、教育委員会を国が厳しく指導する、といった姿勢では教育はよくならない。

信濃毎日新聞 2007年5月22日

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教育3法案 ビジョン見える論議を

教員免許更新制などを盛り込んだ教育改革関連三法案が二十一日、参院で審議入りした。

安倍晋三首相が「教育再生」を憲法改正とともに政策の二大看板として掲げていることから、与党は今国会の会期内(六月二十三日)成立を目指し、今月十八日に衆院を通過させた。

これに対し、野党は参院で徹底審議を主張するなど抵抗を強める構えだ。

与党にとっては、三法案が成立すれば七月の参院選で政権の実績としてアピールできるため、審議を加速させ一気に法案成立へ突き進むことが予想される。

だが、教育の根幹にかかわる法案を与党の「数の力」で押し切っては将来に禍根を残しかねない。三法案は、学校教育や地方教育行政に対する国の関与の道を大きく開いており、地方や教育現場の不安はなお払拭されていないからだ。

参院では、現場の意見などを広く反映させ丁寧な審議が望まれる。

三法案のうち、学校教育法改正案は義務教育の目標として「国を愛する態度」を明示。組織運営強化のため小中学校での「副校長」や「主幹教諭」ポストを新設したほか、学校評価を行うことなどを盛り込んだ。

しかし、国を愛する態度とは一体何なのか。昨年末の教育基本法改正審議から積み残されたこうした課題は十分に論じられたとはいえない。

地方教育行政法の改正案では、教育委員会への文部科学相の是正指示・要求権が盛り込まれた。

国を愛する態度とともに、これらの基調にあるのは教育に対する「国の統制強化」であり、教育委員会や教諭、児童・生徒らに大きな影響を及ぼす内容といえる。

教員免許法および教育公務員特例法改正案では、教員免許を二〇〇九年四月から有効期間十年の更新制とし、三十時間の更新講習を義務付けている。

果たして、三十時間の講習で時代の変化に応じた力を身に付けることができるのか。その講習の内容や修了判断の妥当性をどう担保するのかも文科省の検討に委ねられている状態だ。

安倍首相は、教育再生の狙いを「子どもたちに高い規範意識と学力を身に付けさせる」と繰り返したが、今の学校ではなぜ、できないのかは触れていない。

教育現場が今後どう変わっていくのか。今よりも本当に良くなるのか。首相や伊吹文明文科相らのこれまでの答弁からはまだビジョンは見えてこない。参院ではそこまで踏み込んだ論議をしてほしい。

沖縄タイムス 2007年5月22日

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「現場の声」は届いたのか/教育3法案参院へ

教員免許更新制などを盛り込んだ教育改革関連三法案が、衆院本会議で可決され参院へ送付された。安倍内閣が最重要法案と位置づけている三法案が今国会で成立する見通しとなった。

安倍晋三首相は、十七日の衆院教育再生特別委員会の締めくくり質疑で「教育改革に対する国民の要請は強く、私の内閣の使命は教育再生に取り組むこと」と、あらためて言明した。

首相は、三法案の成立を期すことは緊急の課題で、拙速ではないと強調した。

しかし、地方公聴会では、学校教育の現場がさまざまな問題を抱えながらも、重責を果たしているとの意見が出た。学校や教員が元気になれる方策を求める声も上がっている。

こうした声が政府に届いているのだろうか。もっと耳を傾ける必要があると思う。参院での審議が、おろそかにならないように願いたい。

五月九日に福岡市で開いた地方公聴会で、ある町の教育長が次のような趣旨の発言をしたという。

「現在の学校は再生しなければならないほどひどいものか。大部分の学校や教員は一生懸命頑張って成果を上げている。教育界は風評被害に遭っている」

いじめによる自殺問題などで、教育委員会や学校・教員が保護者への対応を含めて的確でない例があった。しかし、突出した事件を引き合いにして、全体に問題があるかのように論じるのはおかしい。

地方教育行政法改正案では、教委の法令違反や怠りにより、緊急に生徒らの生命、身体保護をする必要が生じた場合、教委に対する文科相の是正指示権を新たに規定した。

国が権限を振り回そうというのではない−と文科省はいうが、国が関与する前に現場で対処できることが多いはずだ。国が乗り出したからといって、いじめ問題などが解決するわけでもない。地方の警戒感が根強い。もっと説明すべきだ。

県内の公立小中高校などの教員の八割以上が、日常の勤務について「とても忙しい」「忙しい」と感じている。県教委が調査した数字だ。超過勤務が常態化して、子どもと触れ合う時間が足りない。そんな厳しい現実を映している。

「ゆっくり学級の子と過ごしたい」「同僚と教育について語り合う時間もなく何か満たされない」。学校教育に対する要求の多様化、事務作業の増加などで教員は忙しくなるばかりだ。

学校教育法改正案では、副校長や主幹教諭など管理的職種の新設をうたった。一般教員が教育に専念できるようにすることも目的のようだ。しかし、定員を増やさずに、多忙化解消につながるか疑問だ。

教員免許法改正案では教員免許に十年間の有効期間を設け、三十時間の更新講習を義務づけた。教員の資質向上を図るというが、免許を更新制にして優秀な人材を確保できるだろうか。

教員の定数や教育予算の拡充、免許更新制度に伴う講習費用の支援の検討などを政府に求める十一項目の付帯決議がついた。参院での審議は二十一日から始まる。議論すべきことが、いっぱいある。

東奥日報 2007年5月20日

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教育改革3法案 教育を政治的に扱うな

教育改革関連3法案が衆院を通過し、今国会で成立する見通しとなった。教育行政の根幹に触れる重要法案にもかかわらず、衆院での議論が低調だったことは、憂うべき事態である。

拙速審議のため、「改革」とか「再生」といった聞き心地の良い言葉は聞こえてきても、肝心のビジョンがさっぱり見えてこない。安倍内閣が夏の参院選をにらんで、目玉法案の成立へと突き進む姿勢だけが印象に残るのだ。

教育は百年の大計である。将来を見据えた幅広い議論が欠かせないはずだ。それを政治的思惑で扱えばどうなるか。教育現場が混乱し、取り返しがつかないことになりかねない。そのことを安倍晋三首相はもっと意識すべきである。

昨年暮れに成立した改正教育基本法を受けて提出された3法案で最も気になるのは、何と言っても国家統制色が強くにじむことである。

学校教育法改正案では義務教育の目標に「国を愛する態度」「公共の精神」を盛り込み、地方教育行政法改正案には教育委員会に対する文部科学相の是正指示・要求権を規定した。教員免許法改正案は、終身制だった教員免許を更新制へと切り替える大胆な内容だ。

なぜ今、学校教育や地方教育行政に国が大きく関与する道を開かなければならないのか。安倍首相らの答弁を聞いても理解できない。

何より問題なのは、政府がこれまでの教育の成果や問題点を明確にしないばかりか、展望も示していないことだ。

「子供のモラルや学ぶ意欲が低下した」との安倍首相の説明は分かるとしても、なぜ今の学校では駄目なのか。「現在の学校は再生しなければならないほど、ひどいものか」との地方公聴会での声は、教育関係者に共通した思いだろう。

教員免許更新制にしても、「時代の変化に応じられる力を身に付け、教師への信頼を取り戻す」といった説明では到底、納得できない。現在でも初任者研修、10年研修といった法定研修のほか、都道府県ごとにさまざまな研修がある。さらに必要だというなら、既存の研修を充実させればいい話だ。

要するに、種々の「改革」によって教育は今より良くなるのか、視界不良なのだ。

そもそも中央教育審議会の答申から、正常な姿ではなかった。通常ならば1年以上かかるところを、3月の法案提出に間に合わせるように1カ月足らずの審議で答申したのである。

中教審では、委員から「突貫工事は手抜きにつながる」との声が上がったが、まさに国会でも同様の状況だろう。

教育現場からは「多忙だ」という声が聞こえてくる。何かにつけて、計画書や報告書を作成し、提出しなければならない。県内のある教師は「雑務が多くて子供と触れ合う時間が少なくなった」と嘆いている。こうした現場の声にもっと耳を傾けなければなるまい。

教育とは詰まるところ、人間と人間の営みである。大切なのは、いかに現場をその気にさせるか、だ。参院では、そのような視点での審議を望む。

秋田魁新報 2007年5月20日

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教育改革3法案 国の統制より環境整備を

安倍晋三首相が「公教育の再生は待ったなし」として急がせた教育改革三法案が衆院を通過した。副校長や主幹教諭などの新たな職を設ける「学校教育法改正案」、現在は終身制の教員免許を十年ごとに更新する「教員免許法改正案」、文部科学相が教育委員会に是正・改善を指示できるようにする「地方教育行政法(地教行法)改正案」だ。

どれも教育現場に対する国の統制を強める内容である。富山市などで開かれた地方公聴会では、今でさえ多忙な学校がますます忙しくなると懸念する声が続出した。教委に対する国の関与が地方分権の流れに逆行するとの指摘も少なくなかった。こうした不安や疑問は解消しただろうか。学校教育のあり方を丁寧に論じるのではなく、参院選に向けた実績づくりを狙う首相の政治的思惑で突っ走った感が否めない。

教育改革論議は、いじめ自殺や必修科目の未履修問題などを契機に高まった。手をこまぬいていた学校や教委があったり、資質や能力に欠ける教員がいたことは事実である。しかし、福岡市の公聴会では「現在の学校は再生しなければらないほどひどいものか。大部分の学校や教員は一生懸命頑張って成果を挙げている。教育界は風評被害に遭っている」と指摘された。首相の掲げる教育再生に根本から疑問を投げかけるものだった。

「再生」というからには、現在の公教育がどんな状態で、どんな対策を講じるべきかを示さなければならないはずだ。しかし、首相らの国会答弁は「高い規範意識と学力」「道徳や公共の精神」など抽象的な文言だけで、現状認識も処方箋(しょほうせん)も具体的には語られなかった。

学校教育法改正案には「国と郷土を愛する態度を養う」などの義務教育の目標が明記された。昨年末に成立した改正教育基本法を踏まえたものだが、国が「態度」を一方的に押しつけることにならないか心配だ。

地教行法改正案では、教委に対する文科相の是正指示は「緊急に生徒などの生命・身体を保護する必要が生じた場合」が例示されたが、公聴会では首長らから「現行の地方自治法で十分に対応可能」との意見が多かった。地方分権一括法で一度は廃止された文科相の是正措置を復活させたのは、国の関与を強めようという意図だろう。

一方で、副校長や主幹教諭など新たな職制をつくるとなれば、それにふさわしい人を得なければならない。十年ごとの免許更新で三十時間の講習となると、その間現場を離れる教師のカバー体制も必要になる。しかし、行政改革推進法に盛り込まれた教員の給与や定数の削減はそのままだ。さすがに、与野党双方から教育予算の拡充を求める声が相次いだ。三法案の付帯決議には「教職員定数と教育予算の拡充に努める」との一項が盛られたが、このことこそ教育改革の最重要課題ではないのか。

国の統制強化で学校教育が良くなるとは思えない。教師が一人一人の子どもときちんと向き合える環境整備を、参院ではしっかり論議してもらいたい。

北日本新聞 2007年5月20日

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管理強化が改革なのか 教育三法改正案

安倍晋三首相が今国会の最重要法案と位置付ける教育改革関連三法案が、衆院本会議で可決され、参院に送付された。

首相は衆院の審議を通じて「私の内閣の使命は教育再生に取り組むことだ」と意気込み、三法案を成立させて「教育新時代を開きたい」と強調した。

しかし、この三法案が本当に教育の再生に結び付くのか。中央教育審議会(中教審)で法案の原案を審議していた段階から、私たちが繰り返し指摘してきた疑問は解消されていない。むしろ、深まった感さえある。

疑問の核心は「教育に対する国の統制を今以上に利かせ、現場の管理を強めることが、国民の望む教育改革になるのか」という点にある。

地方教育行政法の改正案は、教育委員会に対する文部科学相の是正指示・要求権を新たに規定した。

「地方の教育委員会に対する国の権限強化は地方分権に逆行するのではないか」という反対論は、「最終的な責任は国が負う必要がある」「伝家の宝刀であって、決して乱用はしない」といった論法で押し切られた。

改正の背景には、いじめを苦にした自殺や必修科目の未履修問題があった。一連の問題で「見て見ぬふりをする」ような教育委員会の体質が厳しく批判されたが、文科省は適切な指導・助言をしてきたのか。国の権限を強めれば、こうした問題を防止できるのだろうか。

教員免許法および教育公務員特例法の改正案は、終身制の教員免許を有効期間10年の更新制に改め、30時間の更新講習を義務付けた。

首相はその著書で「ダメ教師には辞めていただく」と宣言していたが、不適格教員の排除とともに教員の資質向上を目指すという。

指導力不足の教員は確かに問題だが、ほとんどの教員は学校現場で懸命に汗をかいている。ただでさえ忙しい教員の新たな負担となったり、現場が委縮したりする懸念はないのだろうか。

学校教育法の改正案は、教育基本法の改正を受けて、義務教育の目標に「国と郷土を愛する態度」や「公共の精神」を盛り込んだ。

しかし、例えば「国を愛する態度」とは教育の現場で具体的にどう教えられるのか。政府は「国が特定の価値観を押し付けることはない」としているが、憲法が保障する思想・良心の自由に抵触する恐れは本当にないのか。昨年の教育基本法改正でも論議された問題は依然、積み残されたままだと言っていい。

地方の教育行政に対する不信や学校現場への不満を背景に、国が「上から」管理を強化する。それが、教育の再生となり、引いては首相が唱える「美しい国」の礎となるのか。

論戦の舞台が移る「良識の府」で徹底的に論議を尽くしてもらいたい。

西日本新聞 2007年5月20日

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教育3法案 国の学校支配が強まる

教育改革関連三法案が衆院で可決され、今国会での成立が確実になった。

教員免許法を改正し、十年ごとに更新する。学校教育法を改正し、学校に副校長、主幹などの管理職を新設する。文部科学相に教育委員会への是正指示権を与える−。これが三法案の柱だ。

教師、学校、教育委員会を、国を頂点とするピラミッド型に再編することが狙いだ。教育基本法改正と合わせ、学校現場への国の管理を徹底する仕組みをつくろうということだろう。

安倍晋三首相は、今国会で法改正を実現し、「教育の再生」を夏の参院選でアピールする構えだ。だが、問題は法改正の内容と方向性だ。

三法案には問題点が多すぎる。

教員免許法改正案では、更新の可否を決める基準があいまいだ。教委の裁量一つで、特定の教員が排除される心配がある。評価を気にするあまり、教員が教委や校長の顔色をうかがうようにならないか。

校長、教頭に加え、副校長や主幹を置くことで、学校現場に上意下達システムが持ち込まれる。教員の創意工夫の努力や職員室で自由に発言する意欲が、そがれてしまうことが心配だ。

文科相が教委の活動に口出しすることで、教委が、国の意向を気にしながら仕事をする傾向が強まることは明らかだ。どのような場合に文科相の是正指導が発動されるのかも不明確だ。

法案の内実は、子どもと向き合いながら育てていく対策とはいえまい。子どもを視野の外に置くような法改正では、教育の再生にはつながらない。

衆院特別委が法案の問題点を十分に審議したともいえまい。対案を出した民主党は、教員免許の更新時講習を増やすことを主張しただけで、議論はかみ合わなかった。

私たちは、国が教委を支配し、教員の管理を強める法案には賛成できないと主張してきた。

参院では、法案の問題点を明らかにし、徹底的な審議が求められる。

教育再生の第一歩は、優秀で意欲ある教員を育て、教員や学校の力量を高めることだ。

ところが、全国の国公立大の教員養成学部の志願者は減少傾向が続いている。道内でも教員採用試験の志願者はここ三年間、毎年約五百人ずつ減っており、若者の「教職離れ」が顕著になっている。

文科省は、教員給与を一般公務員並みに抑制することや、教員数の削減を検討している。国の教育現場への支配を徹底を目指す安倍首相流の教育改革では、優秀な人材が「教育」に背を向けてしまうのは明らかだ。

若者が教職に魅力を感じるようになるためには、どのような教育改革が必要か。参院には、そうした観点を踏まえた深みのある議論を求めたい。

北海道新聞 2007年5月19日

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教育3法案可決 窮屈な学校にならないか

安倍晋三首相が今国会での最重要法案に掲げる教育改革関連三法案が十八日、衆院本会議で可決された。二十一日から参院の審議が始まるが、会期内に成立するのは確実な情勢だ。

趣旨説明が行われてから一カ月、衆院教育再生特別委員会での審議時間は六十時間を超えた。政府、与党は「教育基本法改正案より時間をかけた」と強調するが、教育現場がどう変わるかについては不明確なままだ。

安倍首相や文部科学省に求められるのは、改正によって学校や教育をめぐる状況が今より良くなるという見取り図の提示である。参院審議を「成立ありき」で進めてはならない。これまでの教育の成果や問題点を解明し尽くす深みのある議論を求めたい。

三法改正案には教員免許の更新制や教育委員会への国の是正指示・要求権、義務教育の目標に「国を愛する態度を養う」を掲げることなどが盛り込まれた。これによって教育への国の関与が強まり、教育現場の管理色がより濃くなるのは間違いない。

今でさえ、子どもや教師は学校に余裕がないと訴えている。うつ病の多発はその表れだ。これ以上、学校を窮屈な場所にすることは許されない。教育改革の本旨にもとる。

学校と家庭、地域との信頼関係が損なわれていることが、教育の危機の本質だろう。文科省の統制を強化したり、教員への指導を厳しくしたりすることで解決できるとは思えない。

地域の学校としての伸びやかさを取り戻す方策こそ重要だ。地方分権の流れにも沿う。地方公聴会では「学校や教員が元気を出せる施策を考えてほしい」との声が上がっている。法案にこうした意見は全く反映されていない。

実務上の問題点も多い。学校教育法改正案では、小学校に副校長や主幹教諭、指導教諭などを配置できるとしている。子どもと接する教師が減ってしまう恐れはないのか。

十年ごとの免許更新とは、一九四九年の教育職員免許法施行以降のデータを正確に管理、運用していくことにほかならない。教育委員会の事務量が大幅に増え、煩雑化するのは必至だ。

安倍首相は教育改革の狙いを「子どもたちに高い規範意識と学力を身に付けさせる」ことだと力説する。だが、現行法でそれができない理由は説明していない。規範意識の喪失を言うなら、その原因も明示してほしい。

首相の肝いりで設置された教育再生会議の迷走ぶりは、教育改革の難しさを示している。制度や枠組みより現場に即した実践的な施策が必要だ。

教育は国のためではなく子どものためにある。参院ではこの原点に返って審議を尽くすべきである。

新潟日報 2007年5月19日

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教育関連法案  生煮え、審議を尽くせ

「教育再生」をめざす安倍晋三首相が今国会の最重要法案と位置づける教育関連三法案が、衆院で可決された。

審議不十分とする野党の反対を自民・公明の与党が数で押し切った形だ。

法案は、文部科学相に教育委員会への是正指示権を与え、義務教育の目標に「愛国心」を盛り込むなど、国の関与を強める色彩が濃い。教育関係者から異論が出ているばかりでなく、詰め切れていない内容も多い。

政府・与党は参院選をにらみ、実績をアピールするため今国会での成立を図る構えだが、このままでは教育現場に混乱を招きかねない。

拙速を避け、参院で審議を尽くすとともに、国民的な議論を広げ、「百年の大計」を考えたい。

三法案は、改正教育基本法を具体化させるための改正だが、答申を受けた中央教育審議会での審議は、わずか一カ月にすぎない。そのせいもあって、衆院特別委や公聴会の議論では、「生煮え法案」との印象が否めなかった。

「地方分権に逆行する」と自治体から反対の強かった文科相の是正指示・要求権も、是正するのがどんなケースなのかいま一つはっきりしない。

政府の分権推進の立場との整合性については、首相からの説明がなかった。

教員免許の更新制もあいまいだ。十年間の期限付きとし、講習で修了認定されなければ更新しないと規定したが、十年に一度の講習で果たして教員の資質が向上するのか。はなはだ疑問だ。

さらに、「不適格教員」は免職などの処分がある一方で、勤務実績の優秀な教員は講習が免除されるという。判断基準は何か。恣意(しい)的にならないか、心配する声があがるのは当然だろう。

副校長や主幹ポストなどの新設規定についても、授業のない管理職より教員の数を増やすべきだ、とする学校現場の方に説得力があるようにみえる。

授業の指導案づくりや教材研究などに追われ、教員が子どもと向き合う時間が減っているのが現実なのに、これでは、いじめをはじめとする問題を解決するどころか、学校現場をがんじがらめにして活力を失わせる恐れさえある。

教育再生は憲法改正と並び、安倍首相が政権の柱に掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」の核といえよう。

確かに、教育が現状のままでよいと考える人は多くないだろう。だからといって、すべてがだめ、ということでもあるまい。

戦後教育のどこがよくて、何がまずかったのか。脱却というのなら、そこからスタートするべきではないか。

ましてや、選挙とからめる問題ではない。参院では、どんな子どもを育てようとするのかも含め、一から議論してもらいたい。今国会での成立にこだわる必要は、さらさらない。

京都新聞 2007年5月19日

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教育3法案 現場を追い込むだけでは

教員免許更新制や教育委員会に対する国の権限強化などを盛り込んだ、政府提出の教育改革関連三法案が、衆議院で可決された。安倍首相が、今国会の最重要課題と位置づける法案は、参院の審議を経て成立する見通しが強まった。

教員免許をめぐる政府案は、十年ごとに三十時間以上の講習を義務付け、更新するという大幅な変革を盛り込む。一方、民主党案は更新制をとらず、十年ごとに百時間の講習のみを実施する方式だった。

講習による教員の技量向上を目指すのはよいが、更新対象者は毎年十万人規模になる。免許更新を伴うと、多大な労力や予算など、国や教育現場にかかる負担を覚悟しなければならない。それができるのか。

いま教員は、いじめや学力低下などへの対処で、多忙で厳しい状況に置かれている。すでに教員志望者数は減少傾向にあり、団塊世代の大量定年も始まっている。給与の優遇を見直す動きに加え、免許更新まで導入されては、優秀な人材確保が難しくならないか、という懸念もある。

法案のもう一つの焦点は、教育委員会制度の見直しだった。これも、生煮えのままで終わった印象が強い。

昨年来、いじめや高校必修科目の未履修問題などが噴出し、教委の不手際が批判を浴びた。政府案は当初、国が教委に対し「是正を指示できる」権限を法案に盛り込む案だったが、地方分権に逆行するとの反対の声を受け、権限の範囲を、児童・生徒の生命保護など緊急事態に限定した。

これに対し、民主党案は教委を廃止して事務局を自治体の首長部局に移し、活動評価や監視機能は別途、新設する教育監査委員会が担う内容だった。対案として、短期間の議論で済むものではない。

衆院特別委員会の審議は、六十時間を超えた。たしかに時間はかけたが、政府が重要法案という割に論点が整理されず、白熱した論議とは程遠いものだった。

三法案は、昨年の教育基本法改正を受けて、大急ぎで作られた印象が強い。教育の現状をどこまでくみ取った内容といえるだろう。改正法案が施行されると、教育がどう改善されるのか。現場を追い込むだけになるのではないか。そんな疑問や懸念がぬぐえない。

教育改革は、子を持つ親にとって大きな関心事だ。安倍首相は「教員たたきでない」と国会で答弁しているが、まだまだ議論すべき問題点は残っている。

見直しには、まず教育現場を支える視点が欠かせない。参院の審議が重要だ。

神戸新聞 2007年5月19日

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教育3法案 現場の不安除く議論必要

教育改革関連三法案が衆院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決され、衆院を通過した。参院では週明けの二十一日から審議入りする。今国会での成立が強まった。

教育三法案は「教育再生」を掲げる安倍内閣が、今国会の最重要法案と位置付けている。昨年十二月に成立した改正教育基本法を踏まえ、一気に改革を進めようとする。

三法案は、義務教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことなどを明記した学校教育法改正案と、文部科学相の教育委員会に対する是正指示、要求権を新たに規定した地方教育行政法改正案、さらに現行の終身制教員免許を二〇〇九年四月から有効期間十年の更新制とし、三十時間の講習を義務付ける教員免許法および教育公務員特例法改正案である。教育行政の根幹を揺るがすような重要な内容が含まれている。

教育現場からは、教育三法には問題があり、成立すれば、混乱を招きかねないと不安視する声が出ていた。大きな不安は、地方教育行政法改正案が教委への文科相の是正指示などの権限を認めたことで「国の関与」が強化されないかだ。国会審議では、伊吹文明文科相が「国の関与は必要最小限だ」と強調し、指示権行使の例として「いじめで生命身体の保護が必要な子どもがいるのに、教委が加害生徒の出席停止などを命じない場合」を明示した。

しかし、国が関与を強めればいじめの解消につながるのか。野党は教委から国に報告が上がってこなければ全く無意味だと指摘する。地方公聴会でも、逸見啓山形市教育委員長が「大臣が出てくる前に(教委が)対処する」と述べたが、いじめを教委が認識しているなら、大臣に指示されるような事態にはなるまい。

斎藤弘山形県知事は、文科相の指示権について「地方分権に反する」と批判した。「教育分野では地方の自主性をより尊重すべきで、現行制度で十分だ」と主張した。

教員免許の更新制も、講習の内容がはっきりしない。国の押し付けであっては、型にはまった教員になってしまう恐れがあろう。

日本の教育界は、文科省を頂点とした中央集権的な構造が根強く、現場の主体性や創意工夫が生かされる環境に乏しかった。教育再生は、国が関与を強めるのではなく、分権を進め、教育現場の独創性を引き出す方向を探るべきであろう。

衆院は特別委員会を設置し、審議は六十時間に及んだが、与野党の論戦は低調だった。参院は、現場の不安を取り除く丁寧な議論が必要だ。

山陽新聞 2007年5月19日

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教育3法案 現場の懸念は解消されていない

現場の懸念を置き去りにして教育が良くなるのだろうか。

学校教育法、地方教育行政法、教員免許法の教育改革関連三法の改正案がきのう衆院本会議で可決され、今国会で成立する見通しが強まった。

義務教育の目標として公共の精神や国と郷土を愛する態度を養うと規定、副校長や指導教諭などのポストも新設する。教育委員会への文部科学相の是正指示・要求権を設ける。教員免許を十年ごとの更新制にする。

三法案それぞれの柱だが、国が内心を縛る事態がさらに現実へ近づきかねない。組織や人事を通じた教員の管理も強まるだろう。教育基本法改正の際、まさに心配された方向だ。

戦前の反省から教育行政は国家統制を抑制してきたが、大きな転換点でもある。だが、いじめ自殺への不適切な対応や必修科目の未履修では文科省の姿勢も問われた。反省を欠いた権限強化はやはり筋違いだ。

むしろ教育の向上は現場に負うところが大きいのに、事務処理などに忙殺される教員をこのうえ締めつければ子どもに向き合う時間をさらに奪う。優秀な人材が集まるかも気になる。

三法案をめぐっては、衆院特別委員会の地方公聴会が先ごろ松山市で開かれた。肯定的な意見も確かにあった半面、国の権限強化や免許更新時の新たな研修の義務化に伴う負担増には疑問や不安が相次いだ。

たとえば是正指示権の新設には「国がいつも正しいとは限らない。錦の御旗のもとに地方へおろされると混乱する」(中村時広松山市長)との意見があった。もっともな指摘だ。

政府の想定する子どもの生命にかかわる事態なら、ものをいうのは現場の機動的かつ迅速な対応だろう。懸念を押してまで導入する必然性はないはずだ。国の指導権限も地方自治法に規定されている。

免許制にしても、研修の時間的・金銭的負担以上に、不適格教員の排除手段とされている点は疑問だ。不適格者は懲戒や分限の制度で対応できる。免許更新をまつまでもない。

賛否両論は他の公聴会会場でも出された。議論が十分に煮詰まっていない証しだろう。

それもそのはずで、中央教育審議会にわずか一カ月あまりで答申させ、閣議決定したのが三法案だ。そのもとになった教育再生会議の第一次報告は、自民党内からでさえ専門的視点を欠くなどと批判されている。

教育改革は安倍晋三政権の最重要課題だ。改革そのものは国民的ニーズだが、性急な展開には夏の参院選へ向けた実績づくりの側面が見えてしまう。

首相の指導力を発揮するのであれば、まず国内総生産(GDP)比で先進国中、最低レベルにある教育費の公的支出を大胆に見直してはどうか。教員の増加もポストの新設よりはるかに切実な要請に違いない。

衆院の論戦は懸念の解消にほど遠く、地方公聴会も採決のおぜん立てだった印象を受ける。参院は十分に時間を費やして懸念にこたえてもらいたい。

愛媛新聞 2007年5月19日

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教育3法案 子どものためなのか

このまま突っ走って、本当に子どもたちのためになるのだろうか。衆院を通過した教育関連三法案への疑念は一向に消えない。

教育、とりわけ公教育の現場が、いじめや不登校など多くの問題を抱えていることはいうまでもない。保護者らの不安や不満が強まる中、改革が急務なのは確かだ。問題はその中身と手法だろう。

改革を進める場合、現状に対する十分な検証が出発点となる。子どもや教員という「人」が中心になり、時間をかけて形づくられていく教育では特に重要だ。

どこに問題があり、何が原因なのか。解決していくためにはどういう処方せんが必要で、それを実行した場合にはどういう影響があるのか。データなどに基づく多角的な分析と論議が欠かせない。

ところが、昨年の教育基本法改正に始まる安倍首相の「教育再生」路線では、そうした地道な作業はおざなりにされてきた。参院選に向けた「看板」にしようとする思惑が先行したといわざるを得ない。

首相肝いりの教育再生会議などが描いた処方せんの中身にも大きな問題がある。

学校教育法改正案では「国と郷土を愛する態度」などを義務教育の目標に加えた。教員免許法改正案は十年に一度、講習を修了しないと免許が更新されない仕組みを導入し、地方教育行政法改正案には教育委員会に対する文部科学相の是正指示、要求権を盛り込んでいる。

それらにうかがえるのは国による教育統制の強化だ。高まる保護者らの不安や不満に乗っかって、一気に関与を強めようとしているようにみえる。

国の権限強化によっていじめ問題などが解決すると考えているなら、早計にすぎよう。むしろ三法案に対する地方の不安が示すように、上意下達システムの強化が地方の教育行政や学校現場で新たな混乱を広げる恐れさえある。

免許更新制の導入などの締め付けによって教員の委縮や多忙が加速することになれば、しわ寄せを受けるのは子どもたちだ。改革とは逆の方向に進むように思えてならない。

安倍首相が本当に「教育重視」を考えているなら、教育予算の大幅拡充など学校現場への支援にまず取り組むべきだ。三法案をめぐる審議は参院に舞台を移すが、改革の名に値する丁寧な論議と説明をあらためて求める。

高知新聞 2007年5月19日

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教育改革3法案・国の関与強化でいいのか

教員免許更新制などを盛り込んだ教育改革3法案が衆院を通過した。参院に送付され、今国会で成立する見通しだ。昨年の教育基本法改正を受けて提出された3法案は、学校現場や地方教育行政に対する国の関与を大きく認めるものとなっている。さらに、教育目標に「愛国心」や「公共の精神」も明記されるなど、極めて保守色の強いのが特徴だ。

安倍晋三首相が憲法改正と並んで、最重要法案と位置付ける教育3法案。多くの疑問や不安、反発がありながら、与党の賛成多数での可決には拙速の感がぬぐえない。

3法案のうち、学校教育法改正案は教育目標に「国を愛する心」「規範意識」などを盛り込む。しかし、国を愛するとは、どういう態度なのか。それは、誰が決めて、どのように評価するのか。肝心の点があいまいなまま。国を愛する気持ちは人さまざまだ。決して他人から押し付けられるものではない。まして国からとなると、それこそ論外だろう。

さらに、教育目標には、わが国の歴史について「正しい理解に導き」ともある。だが、ここでも正しい歴史であると、誰が判断するのか。国の考える正しい歴史を押し付けるつもりなのだろうか。

「愛国心」にあおられて戦場に駆り出された、あの悲惨な過去を、県民は忘れていない。その「愛国心」は戦前の皇民化教育でたたき込まれたことも、また事実だ。「愛国心」と「非国民」は表裏一体、ということも、多くの県民は身をもって知っている。

そして、その「愛国心」が、集団自決という悲劇の背景の一つにあったということも、県民の認識だ。来年度から使用される高校教科書の検定で、集団自決について旧日本軍の命令や強制があったとの記述が変更された。「歴史の改ざん」と指摘されても、これが「正しい歴史」となって教科書に盛り込まれる。今回の3法案を見ると、国に都合のいいシナリオ作りが進むことが懸念される。

そのほか、同法案は至るところで国の公教育への関与がうたわれている。教員免許更新制を打ち出した教員免許法改正案もそうだ。法案では、10年の有効期間を定め、30時間の講習終了を更新の条件としている。だが、講習内容など、すべて文科省の検討に委ねられる。講習が国主導で行われ、自主性・自律性のない、国にとって都合のいい教師づくりにならないか。

国の未来を背負う子どもたちと、教師の関係をどう改善するのか。先進国では最悪の40人学級は据え置かれるのか。法案は多くの面で、国民が納得できる具体的なビジョンに欠ける。「教育は100年の計」という。法案は教育の根幹を揺るがしかねないだけに、参院ではしっかりとした審議が望まれる。

琉球新報 2007年5月19日

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教育3法案 管理への懸念拭えない

教育の行方を左右する教育三法案が衆院特別委員会で可決されたが、国による管理強化への懸念が拭(ぬぐ)えていない。これで教育現場を活性化させられるだろうか。さらなる議論が必要だ。

政府・与党は三法案を最重要法案と位置づけ、教育再生特別委で審議を行った。民主党も一部対案を出していたが、政府案が与党の賛成多数で可決された。審議には昨秋の教育基本法の五十五時間を上回る時間をかけたものの、教育への管理統制をめぐる疑問は解消されていない。

学校現場への影響が大きいのが、学校教育法の改正だ。教育基本法の改定を受けて、義務教育の目標に「規範意識」や「公共の精神」「我が国と郷土を愛する態度」などが盛り込まれる。

審議では憲法で保障する思想・良心の自由を侵さないかとの再三の追及に対して、政府側は「態度などを養うことは、国による特定の価値観の押しつけではない」との答弁を繰り返し平行線だった。

教育学者の中には内心の自由に踏み込まないと法案に明記するよう求める意見さえある。法改正されれば学習指導要領が修正され、授業での教え方や評価の仕方が変わろう。どのように変わるのか、親や教師の心配に対して具体的な答えを出すべきだろう。

また地方教育行政法の改正案では安倍晋三首相は「教育委員会が自浄能力を発揮せず、十分な責任が果たせない場合に国が関与を行う」との答弁に終始し、文部科学相による教育委員会への関与強化が教育の地方自治・地方分権に逆行するものではないかとの疑問は消えない。

生徒などの教育を受ける権利が侵害された場合に文科相が教委に是正要求を行うとしているが、これは文科省の都合で解釈される曖昧(あいまい)さがある。国の関与強化が現実の問題解決につながるのか明確ではない。

教育職員免許法の改正により教員免許は終身制から十年ごとの更新制へと大きく変わる。首相は「教師の知識や技術の刷新に必要」と説明したが、十年に一回だけの三十時間の講習で教師の資質向上につながるのかとの野党の指摘はもっともだ。

年平均約三十億円という莫大(ばくだい)な講習費用を教師本人も負担するのか。負担するとすればどこまでか。国や教委の負担も煮詰まっていない。

首相は答弁で「政府案は現状より十歩進んだ内容だ」と自負しているが、管理や統制により現場を委縮させるようなら、教育再生とは言いがたい。

中日新聞・東京新聞 2007年5月18日

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教育改革関連3法案 「現場重視」の論議尽くせ

教員免許更新制などを盛り込んだ教育改革関連三法案が衆院特別委員会で与党による賛成多数で可決され、今国会で成立する見通しとなった。

三法案は教育に対する文部科学省の権限や管理体制を強めている。地方分権推進が叫ばれる中、教育の根幹を国に任せたままでいいのか。審議は終始与党ペースで進められ、国民的議論がなされたとは思われない。参院で審議が始まるが、政治的な思惑を離れて、国民の立場でしっかり議論をしてほしい。

改正教育基本法を受けて提出された三法案は安倍晋三首相が先に成立した国民投票法とともに今国会の最重要法案の一つとして位置づけている。

三法案は学校教育や地方教育行政に対する国の関与の道を大きく開いている。国会でどれだけ歯止めがかかるか注目されたが、これまでの審議は文科省から「拍子抜け」という声が出るほど一方的な与党ペースだった。参院選に向けた政権の目玉法案という政治的な意図が絡んでいるとの印象は免れない。

三法案のうち、学校教育法改正案は、改正基本法を受けて教育目標に「公共の精神」「国を愛する態度」などを盛り込んだ。だが、何が国を愛する態度なのか、それをだれが決め、どう評価するのか。昨年末の基本法改正審議から積み残したはずのこうした課題がほとんど論じられていない。

同改正案には「教育課程に関する事項は文部科学相が決める」という条文も新たに盛り込まれた。現行法では「教科に関する事項」となっているのを広げ、道徳や学校行事などまで文科相の権限となる。国による教育内容のコントロールに道を開いた形だ。

地方教育行政法の改正案では、教育委員会に対する是正要求を盛り込んだ。「生徒の教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」などの要件を示しているが、侵害に当たるかどうかは国の判断一つだ。

免許更新制を打ち出した教育免許法改正案は、十年の有効期間を定め、三十時間の講習修了を更新の条件とした。講習で時代の変化に対応する力を身につけ教師への信頼を取り戻そうというものだ。しかし肝心の更新講習の内容や修了判断の妥当性をどう担保するかなどは文科省の検討に委ねられている。

審議の中で与党側の参考人が「講習が国主導で画一的になれば、自主性や自立性がおかしくなる」と指摘したように、設計次第では画一的な教師づくりにつながる恐れをはらんでいる。そうした点まで踏み込んだ議論が必要だろう。

論議が低調な裏には「基本法審議で政治的にはほぼ決着している」(文科省幹部)という事情があるようだ。教育を政治的に扱うと取り返しのつかないことになる。あくまでも現場をその気にさせる改革こそ必要だ。教育現場の立場に立って、将来を見据えた議論を望みたい。

福井新聞 2007年5月18日

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教育改革関連3法案 国の関与に歯止めが必要

改正教育基本法を受けた教育改革関連3法案は与党の一方的ペースで衆院特別委員会で可決された。会期内に成立する見通しがつき、国の公教育への関与が大幅に強まるだろう。

3法案は、学校教育や地方教育行政に対する国の関与の道を大きく開いている。国会でどれだけ歯止めがかかるか注目された審議は、文部科学省から「拍子抜け」という声が出るほど。

安倍晋三首相が「最重要法案」と位置づけ、参院選に向けた政権の目玉法案という政治的意図にからめとられているとの印象を免れない。

だが、教育の根幹を国に白紙委任するようなことになれば、現場と地方の活力が空洞化しかねない。教育の未来を見失うかどうか、国会の存在意義が問われている。

3法案のうち、学校教育法改正案は改正基本法を受けて教育目標に「公共の精神」「国を愛する態度」などを盛り込んでいる。しかし、何が国を愛する態度なのか。それをだれが決め、どう評価するのか。昨年末の基本法改正審議から積み残したはずのこうした課題が、ほとんど論じられていない。

目標には、わが国の歴史について「正しい理解に導き」という内容も盛り込まれた。正しい理解であるとだれが判断するのか。国の考える正しい歴史を押しつけるつもりだろうか。

また「教育課程に関する事項は、文部科学相が決める」という条文も新たに盛り込まれた。現行法では「教科に関する事項」となっているのを広げ、道徳や学校行事などまで文科相の権限となる。国による教育内容のコントロールに道を開いた形だ。

地方教育行政法の改正案では、教育委員会に対する是正要求を盛り込んだ。「生徒の教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」などの要件を示しているが、侵害に当たるかどうかは国の判断一つだ。

教員免許更新制を打ち出した教員免許法改正案は、10年の有効期間を定め、30時間の講習修了を更新の条件とした。講習で時代の変化に応じられる力を身につけ、教師への信頼を取り戻そうというものだ。だが、肝心の更新講習の内容や修了判断の妥当性をどう担保するかなどは文科省の検討に委ねられている。

審議の中で与党側の参考人が「講習が国主導で画一的となれば、自主性や自律性がおかしくなる」と指摘した。設計次第で画一的な教師づくりにつながる恐れをはらんでおり、そうした点まで踏み込んだ論議が必要だ。

論議が低調な裏には「基本法審議で政治的にはほぼ決着している」(文科省幹部)という事情があるようだが、教育を政治的に扱うと取り返しのつかないことになる。将来を見据えた論議を望みたい。

気掛かりなのは、教育3法を改正して、どんな教育をやろうとしているのか、先が見えないことだ。

国の関与を広げたところで、国ができることはたかがしれている。そのためのマンパワーの準備もないのだから、あれこれ法律や制度で現場を縛る以外に手はないはずだ。そんなことになれば、教育現場の活力など生まれてくるわけがない。

教育は人と人の営みである。法や規則で縛ったところで、人はその通り動かない。現場をその気にさせる改革こそ目指してほしい。

岐阜新聞 2007年5月18日

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教育改革関連3法案 国に白紙委任は活力そぐ

安倍晋三首相が「最重要法案」と位置づける教育改革関連三法案が、衆院教育再生特別委員会で、与党の賛成多数で可決、今国会中に成立する見通しとなった。

改正教育基本法を受けて提出された三法案は、学校教育や地方教育行政に対する国の関与の道を大きく開いている。国会でどれだけ歯止めがかかるか注目されたが、これまでの審議は、文部科学省から「拍子抜け」という声が出るほど一方的な与党ペース。参院選に向けた政権の目玉法案という政治的意図にからめとられているとの印象を免れない。

が、教育の根幹を国に白紙委任するようなことになれば、現場と地方の活力が空洞化しかねない。教育の未来を見失うかどうか、国会の存在意義が問われている。

三法案のうち、学校教育法改正案は、改正基本法を受けて教育目標に「公共の精神」「国を愛する態度」などを盛り込んでいる。だが、何が国を愛する態度で、誰が決め、どう評価するのか。昨年末の基本法改正審議から積み残したはずのこうした課題が、ほとんど論じられていない。目標には、わが国の歴史について「正しい理解に導き」という内容も盛り込まれた。正しい理解と誰が判断するのか。国の考える正しい歴史を押しつけるつもりだろうか。

また「教育課程に関する事項は、文部科学相が決める」という条文も新たに盛り込まれた。現行法では「教科に関する事項」となっているのを広げ、道徳や学校行事などまで文科相の権限となる。国による教育内容のコントロールに道を開いた形だ。

地方教育行政法の改正案では、教育委員会に対する是正要求を盛り込んだ。「生徒の教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」などの要件を示しているが、侵害に当たるかどうかは国の判断一つだ。

教員免許更新制を打ち出した教員免許法改正案は、十年の有効期間を定め、三十時間の講習修了を更新の条件とした。講習で時代の変化に応じられる力を身に付け、教師への信頼を取り戻そうというものだ。が、肝心の更新講習の内容や修了判断の妥当性をどう担保するかなどは文科省の検討に委ねられている。

審議で与党側の参考人が「講習が国主導で画一的となれば、自主性や自律性がおかしくなる」と指摘したように、設計次第で画一的な教師づくりにつながる恐れをはらんでいる。

論議低調の裏には「基本法審議で政治的にはほぼ決着している」(文科省幹部)という事情があるようだが、教育を政治的に扱うと取り返しのつかないことになる。将来を見据えた論議を望みたい。気掛かりなのは、教育三法を改正して、どんな教育をやろうとしているのか、先が見えないことだ。

国の関与を広げても国ができることはたかがしれている。そのためのマンパワーの準備もないのだから、あれこれ法律や制度で現場を縛る以外に手はないはず。そんなことになれば、教育現場の活力など生まれてくるわけがない。

教育は人と人の営みだ。法や規則で縛ったところで、人はその通り動かない。現場をその気にさせる改革こそ目指してほしい。

山陰中央新報 2007年5月18日

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教育改革3法案 管理強化に危うさ

安倍晋三首相が今国会の最重要課題に掲げる教育改革関連三法案が、衆院教育再生特別委員会で可決された。きょうの衆院本会議で可決、参院に送られる。

教育の憲法である教育基本法が改正された昨年十二月は、五十五時間の審議時間で採決された。今回は六十時間になり、与党は「審議は尽くされた」とし採決に踏み切った。

しかし、審議が尽くされたわけではない。きのうの総括質疑で、自民党議員から、個別的な議論がまだ足りないとの発言も聞かれた。

審議で、政府からは今の教育でなぜ解決できないのか、どこが問題点なのか、十分な説明はなかった。夏の参院選を控えて、安倍首相が掲げる「戦後体制からの脱却」の実績づくりを急いだとの指摘もある。

教育は、国家百年の大計である。子どもの人格や学力、能力を伸ばし、手助けしていくのが目的だ。そのための施策には、丁寧な議論が求められる。

特別委で可決された三法案は、学校教育法、地方教育行政法、教員免許法および教育公務員特例法のそれぞれ改正案だ。国の介入、管理色を強く打ち出したのが特徴となっている。

福島県での高校生の母親殺害、いじめによる自殺など、衝撃的な事件が後を絶たない。それらの原因は学校、家庭、地域社会の教育力の低下だと指摘される。こうした事件を防ぐために、子どもたちを取り巻く環境を見直す必要があると、多くの国民が感じている。

だが、国の統制を強めることで、解決しようとするのには危うさがある。改革三法は教育委員会や教員、児童・生徒たち、保護者に大きな影響を与えるからだ。

学校教育法の改正では「副校長、主幹教諭、指導教諭」を置くことができると定めている。「学校における組織運営、指導体制の確立を図るため」としているが、管理職員を増やせば学校現場がよくなるとはかぎらない。管理強化が進めば、かえって風通しが悪くなり、現場教員の不安が増す一面も否定できない。

地教行法改正では「教育委員会に法令違反や怠りがあった場合、文部科学大臣が改善の指示、是正の要求ができる」とした。いじめによる自殺、全国の高校で必修科目の未履修が相次いで明らかになったことなどから、国の関与を盛り込んだ。

これまで地方教育は、都道府県教委の運営に任せてきた。問題が起きた際に国が乗り出すより、地教委がきちんとした仕事ができるように一層の権限を持たせ、仕組みを強化すべきだ。国の管理強化は、地方分権に逆行することにならないか。

教員免許法などの改正は、終身制の教員免許を二〇〇九年度から十年間の更新制とし、更新の前に三十時間以上の講習を義務付けた。講習終了が確認できなければ免許は失効し、教職資格を失う。

学習・生活指導力を疑問視される教員も一部にはいる。しかし、ほとんどの教員は学校現場で懸命に取り組んでいる。少子化で教員が削減され、各種研修などの担当が増えているのも事実だ。学校現場からは「多忙になり、子どもと向き合う時間が減っている。人を増やしてほしい」という声が大きい。こうした現実の上に、三十時間の研修を加えることで、教員の資質、指導力の向上が保障されるのか、疑問が残る。

今後、参院審議や学習指導要領への反映など、議論の余地は残っている。最善の制度を目指すべきだ。

徳島新聞 2007年5月18日

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教育関連3法案 国の押しつけ許さずに議論を

わが国の歴史について「正しい理解をしているか」、これを私たち国民が国から評価されるとしたら―。

政府の学校教育法改正案の教育目標にこんなくだりがあるが、何が正しい歴史理解か。これほど歴史観が多様な日本で、正しいか否かはだれも判断できないはずなのだが。

国のそのときの指導者が押しつける「正しい」考え方に同調すれば合格、ということになるのだろうか。

衆院教育再生特別委は17日、同法案を含む教育改革関連三法案を与党の賛成多数で可決。今国会で成立の見通しとなったが、教育という人の心にかかわる問題を十分な審議も尽くさず、法や規則で縛るとしたら恐ろしい。

■政治的意図見え隠れ■
改正教育基本法を受けて提出されていた3法案は、学校教育の現場や教育委員会などの地方教育行政に対する国の関与の道を大きく開くもので慎重な姿勢と十分な論議が求められていた。

しかし、将来の教育の根幹とも言える大切な法案審議は、安倍晋三首相が今国会の「最重要法案」と位置付けることを背景に一方的な与党ペースで進められた。

これまで自民、公明の与党は首相の掲げる「教育再生」の意向を受け、審議を集中的に行える特別委を設置して法案の早期成立を目指してきた。

一方、政府案に反対する野党は当初、徹底抗戦の構えを見せ、民主党が対案を提出するなど激しい攻防が予想されていた。

地方、現場への国の権限強化に国会でどれだけ歯止めがかかるか注目されていたが、これまでの審議は文部科学省からも「拍子抜け」との声が出るほど論議は低調だった。

夏に控える参院選に向けた政権の目玉法案という政治的な意図も見え隠れし、教育の在り方を国に「白紙委任」するとしたら危険極まりない。

■見えない目指す方向■
3法案のうち、学校教育法改正案は、教育目標に「公共の精神」「国を愛する態度」など盛り込んだ。さらにわが国の歴史について「正しい理解に導き」との内容も盛り込まれた。

何が国を愛する態度で、歴史の正しい理解であるとだれが判断するのか。昨年末の教育基本法改正審議から積み残された課題はほとんど論じられていないまま、政府案を認めてしまえば国の考える正しい精神、歴史観を押しつけられる危険性をはらんでいる。

地方教育行政法の改正案では、教育委員会に対し「生徒の教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」などの要件で国が是正要求を行うとしているが、侵害に当たるか、ここでも国の判断一つになっている。

教員免許更新制を打ち出した教員免許法改正案は、講習を受けることで教師自らが自信を持ち、さらに教師への信頼を得ようというもの。だが、ここでも修了との判断の妥当性など文科省の検討に委ねられている。

国主導の講習を、すべての教師が受け、文科省がその修了を判断すれば、教師の自主性が削そがれ、画一的な人材づくりにつながる恐れもある。現場は到底受け入れられないだろう。

今回の改正で国はどんな教育を目指しているのか。まったく見えない。一律に法の網にかけるだけではなく、現場に活力が生まれる制度づくりが必要だ。政治日程を優先し、議論を怠ることだけはあってはならない。

宮ア日日新聞 2007年5月18日

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教育3法改正 国の関与強化では困る

「教育再生は待ったなし」の安倍晋三首相の意気込みに異論はない。いじめ自殺や未履修問題、不適格教員、学力低下など急を要する課題が教育現場には山積している。

問題は再生への方向性とプロセスだろう。改正教育基本法を受けて提出された教育改革関連3法案が衆院教育再生特別委員会で与党の賛成多数で可決された。これまでの審議は与党ペースで進み、今国会で成立する見通しとなった。

3法案は、先に成立した国民投票法(憲法改正手続き法)とともに、安倍首相が掲げる「戦後レジーム(体制)からの脱却」の象徴だ。夏の参院選へ向けて安倍カラーを打ち出す格好の材料だろうが、地方教育行政に対する国の関与強化に大きく道を開く内容には疑問が残る。

教育委員会に対する文科相の是正指示権の創設は、3法案のうち地方教育行政法の改正案に盛り込まれた。昨年相次いだいじめ自殺や必修科目の未履修問題で浮上した教委批判を受けて設けられた。

是正指示権は特別委の公聴会でも地方の自主性を損ない、分権に逆行すると批判が強かった。たとえ国が関与しても、いじめ問題の解決に直結するとは考えにくい。また「生徒らの教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合」などの要件を示しているが、侵害に当たるかどうかは国の判断一つといえる。

教員免許法改正案に定められた教員免許更新制も焦点の一つだった。免許の有効期間は10年で、30時間の講習修了を更新の条件とした。更新講習の内容や修了判断の妥当性をどう担保するかなどは文科省の検討に委ねられている。

免許更新制は3法案の中では学校現場に最も影響のある改正だろう。制度設計次第では画一的な教師像が求められる恐れもあり、踏み込んだ論議が必要だ。

学校教育法改正案は義務教育の目標に「国と郷土を愛する態度」「公共の精神に基づき社会参画する態度」など定めている。だが、国を愛する態度とは何かを誰が決め、どう評価するのか。こうした課題は積み残されたままになっている。

教育3法を改正して、国はどんな教育をやろうとしているのか、見えてこない。首相の掲げる教育再生の方向性は、国の関与を強める「中央統制」型の教育を推し進めることだろうか。

あれこれ法律や制度で教職員を縛ることになれば、教育現場に活力など生まれてくるはずもない。教育の未来をどう描くのか。国会の存在意義が問われる。

南日本新聞 2007年5月18日

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現状とどう違うか説明を 道徳教育の教科化

政府の教育再生会議が、今月末に予定している第二次報告に盛り込むことにしていた小中学校の道徳教育(徳育)の「正式教科化」を断念したようだ。

徳育の充実が必要との立場には変わりなく、徳育を既存の教科とは異なる「新しい教科」に位置づけるという。

だとしたら、現に小中学校で実施している「道徳の時間」のどこに問題があるのか、どう変えていこうとしているのか、具体的に国民に十分説明すべきだ。「教科にすることで、しっかりとした徳育の授業が実施される」と言うだけでは、分かりにくい。

徳育の正式教科化を断念するのは、数値による評価、検定教科書の使用などについて、既存の教科と同様に扱うことが困難だとする意見が多数だったからだという。

子どもたちに規範を教え、社会人として守るべき基本を徹底することは当然のことだ。社会環境が大きく変化する中で、家庭や地域、学校などでそのことが不十分だったため、教育改革が叫ばれるたびに、道徳教育の重要性が指摘されてきた。

中央教育審議会は一九九八年に「幼児期からの心の教育の在り方について」答申している。大人たちの危機感が伝わってくる内容になっている。

「心の教育」は、道徳教育を含んだ包括的な概念という。答申の中で、子どもたちが身につけるべき「生きる力」の核となる豊かな人間性について、具体的に示している。

正義感や公正さを重んじる心、生命を大切にし人権を尊重する心などの基本的な倫理観、他人を思いやる心や社会貢献の精神−などだ。

「社会全体のモラルの低下を問い直そう」と呼び掛け、「一見ごく当たり前のことと受けとられるかもしれないが、実行するには相当の努力が必要」と付け加えている。家庭教育、地域社会や学校の役割の大切さを強調している。

現在、小中学校で行われている教科外活動の「道徳の時間」は、年間で三十五時間設定されている。道徳教育は、学校の教育活動全体を通じて行うものとも位置づけられている。

小学校学習指導要領には道徳教育の内容について、具体的に教えるべきことを学年ごとに示している。

例えば一、二年生だと「よいことと悪いことの区別をし、よいと思うことを進んで行う」「友達と仲よくし、助け合う」「生きることを喜び、生命を大切にする心を持つ」「みんなが使うものを大切にし、約束や決まりを守る」−などだ。

少年事件の多発などを背景に、文科省は二〇〇二年度から全国のすべての小中学生に道徳の副教材「心のノート」を配布している。

中教審が約十年前に相当の危機感を持って答申した「心の教育」、学習指導要領に盛り込まれた道徳教育の内容などに問題があるから、徳育として教科にすると考えたのだろうか。

再生会議が道徳教育の現状を分析・検証した上で提言しようとしているとは、思えない。課題を問いかけるのはいいとしても、説明が足りなすぎる。

東奥日報 2007年5月17日

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価値観押し付けは無用だ

政府の教育再生会議が先ごろ、子育てや家庭教育の「あるべき姿」を示し、親に自覚を求める提言案の取りまとめを図った。しかし、家庭の問題に立ち入り過ぎとの批判や、提言の効果を疑問視する声が相次いだのを受け、公表を急きょ取りやめる”迷走”ぶりを見せた。朝令暮改の対応は再生会議の存在意義が問われる。

提言では、母乳育児や子守歌の励行、テレビ視聴の制限、子供の発達段階に応じた道徳教育の必要性などを打ち出した。乳幼児の親に「子守歌を歌い、おっぱいをあげ、赤ちゃんの瞳をのぞいてください」「授乳中や食事中はテレビをつけないように」と具体的に要請。さらに「乳幼児期には一緒に歌を歌ったり、本の読み聞かせを行い、小学生時代には今日の出来事を話しましょう」と親子の触れ合いも推奨している。

男性が仕事をして女性は家庭を守る、という「家庭像」の価値観の押し付けが提言から透けてみえる。これがことに主婦層の反発を買った一因だろう。しかも、公表を中止した理由の一つは「参院選を前に主婦層が離反するのは得策でない」との意向が与党側から伝わったからだという。政治的な意向に配慮して提言を見送ったのが事実とするならば、今後の会議運営に大きな課題を残した。

女性の労働力率は年々高まっており、子育てしながら仕事の継続を希望する人は増えている。だが働きたいと思いながらも、出産により退職を余儀なくされる女性はまだまだ多い。仕事と子育ての二者択一からの脱却が、活力ある社会の実現には欠かせない。

少子化の進行は、日本にとどまらず、国の将来を左右する重要課題となっている。だからこそ、自治体の多くが子育て支援を重点施策に掲げて取り組んでおり、政府も二〇〇三年に次世代育成支援対策推進法を制定し、従業員三百一人以上の事業主に対して、仕事と育児を両立するための行動計画の策定を義務付けた。

子育て支援は行政ばかりではない。民間企業も優秀な人材確保のためには、育児休業の期限延長や短時間勤務制度の充実などが欠かせない。女性が活躍するなど、働きやすい職場づくりを通じた企業イメージの向上という側面もあるだろうが、「右肩上がり」の経済成長が望めない中では、人口減社会にあっても持続的な成長を確保していく戦略ともなる。

今回の子育て提言は、仕事と育児の両立に追われる女性や、これから社会へ出ていく若い世代に、働くことへの迷いや疑問を深めさせることにならないか。ライフスタイルの違いを認め、安心して子育てができる施策を速やかに実行に移すことが政府の果たすべき役割だ。「言いっ放し」のままでは、再生会議が提言案で指摘した無責任な親と何ら変わらない。

神奈川新聞 2007年5月17日

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「教科」にする必要はない 道徳教育

政府の教育再生会議は、今月末に公表する第2次報告で予定していた道徳教育(徳育)の正式な教科への格上げを断念する方針を固めた。

当然の判断だ。そもそも、道徳を国語や算数などの教科と同列に扱い、検定教科書で画一的に教え、将来的には三段階や五段階で絶対評価の対象にしよう‐という発想に無理があった。

現行の学習指導要領は、小中学校で週1時間の「道徳の時間」を設けている。ただし、正式教科ではなく、「教科外活動」という位置付けだ。

他の教科のように文部科学省が検定した教科書はない。同省が作成した「心のノート」や教育委員会がつくった副読本などを教材としている。試験はなく、成績評価の対象ともされていない。

そこで「先生が熱心に教えようとしない」「道徳教育がないがしろにされている」として教育再生会議で持ち上がったのが、道徳の教科化だった。

児童や生徒の成長段階に応じて、正邪・善悪を判断する力を身に付け、社会の常識に通じる規範意識を高める。そうした道徳教育の重要性は否定しない。

しかし、すぐれて個人の内面にかかわる問題だ。算数や数学のように絶対的な「正解」がいつも用意されているものでもない。家庭教育のしつけに委ねるべきテーマもあり、学校教育で一元的に取り扱う筋合いではなかろう。

政府の会議が「国民に道徳をしっかり学ばせよ」と声高に叫ぶありさまは、戦前の教育勅語に基づく修身教育の復活を連想させ、違和感を覚えた人も少なくないのではないか。

この問題で伊吹文明文科相は「突き詰めていくと、価値観というか、個人の思いのようなものになる」と疑問を投げかけた。中央教育審議会の山崎正和会長は「人の物を盗んではいけない‐くらいは教えられても、本当に倫理の根底に届くような事柄は学校制度になじまない」と指摘した。その通りだと思う。

教育再生会議の第一分科会(学校教育)は道徳教育の正式な教科化は見送るものの、「新しい教科」と位置付け、徳育の充実を目指すという。

だが、数値による評価をせず、検定教科書は使わず、専門の教員免許も設けずに、名目的な「教科」とすることにどれほどの意味があるのか。大いに疑問だ。

教育再生会議は先週、子育てや家庭教育のあり方をめぐる提言の公表を急きょ取りやめた。母乳育児の励行やテレビ視聴の制限など、その内容が「家庭の問題に立ち入りすぎる」「提言の効果が疑わしい」と政府内からも批判が相次いだためだという。

打ち上げ花火のように派手に構想をアピールするが、批判を浴びると軌道修正したり、引っ込めたりする。これでは国民の信頼が得られるはずもない。地に足の着いた教育論議をしてもらいたい。

西日本新聞 2007年5月17日

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教育再生会議 付け焼き刃では無理だ

政府の教育再生会議が、いったんまとめた提言の発表を、直前に取りやめるという失態を演じた。

提言は、子育てや家庭教育の「あるべき姿」を示す内容で、既に原案ができあがり、合同分科会でとりまとめて発表する段取りだった。ところが合同分科会の前日に、発表の取りやめが急きょ決まった。

提言案は、乳幼児の親に「子守歌を歌い、おっぱいをあげ、赤ちゃんの瞳をのぞいてください」「授乳中や食事中はテレビをつけないように」などと要請。子どもの発達段階に応じた道徳教育の必要性も、事細かに説いている。

しかし、その内容が判明すると、有識者委員の間に「家庭の問題に政府が立ち入りすぎだ」との批判が強まった。政府内でも、政策的裏付けのない提言の効果を疑問視する意見が相次いだ。

再生会議の議事録(要旨)によると、提言に盛られた内容は、四月中旬の第二分科会で議論された。山谷えり子首相補佐官(教育再生担当)が、委員の意見を緊急提言にまとめることを提案している。

わずか一回の会合に基づく提言とはいかにも性急だが、議事録を見る限り、各委員がそれぞれ持論を言っているだけで、突っ込んだ意見交換が行われた形跡はない。「母乳の出ない人への配慮に欠ける」と批判された項目も、一人の委員の発言をそのまま提言案に盛り込んでいる。委員の感想や意見を羅列しただけでは、「提言」に値しまい。

再生会議については、自民党の河野太郎、後藤田正純両氏ら若手衆院議員六人が、月刊誌「世界」に厳しく批判する論文を寄稿している。その中でも議論の在り方には、「言いっ放し」「教育時事放談になっている」と特に手厳しい。

この論文ではほかにも、「データに基づいて積み上げていく緻密(ちみつ)な論議」の不足、「因果関係が明確にされることなく、議論が進んでいる」といった、議論の根本的な欠陥が指摘されている。

また、再生会議が教科化を検討している道徳教育(徳育)について、中教審の山崎正和会長は「教科としてやることは無理がある」と発言した。再生会議の根幹部分への反対論で、教育論議の迷走を思わせる。

教育改革は、多角的に掘り下げた検証や論議抜きにはできない。それはこの欄でも再三指摘してきた。いまの再生会議のような、付け焼き刃的手法では到底無理であろう。

高知新聞 2007年5月14日

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子育て提言の迷走 何のための会議なのか

少々見苦しい。子育て提言をめぐる政府の教育再生会議の“ドタバタ劇”である。家庭でのあるべき姿として、母乳や子守歌を勧め、食事中のテレビ視聴を制限するなど、押しつけがましい「助言」をまとめながら、周囲から批判を受けて一転、発表を急きょ取りやめた。しかし、世の親たちにメッセージを発信する必要があるとの「意欲」はなお強いという。

俗にいう「はしの上げ下ろしにまで口を出す」ような提言がすんなり受け入れられると見込んでいたとすれば、教育再生会議のメンバーの感覚を疑う。担当する山谷えり子首相補佐官や事務方の責任は重い。

安倍晋三首相は「もっと物議を醸していいのではないか」と述べ「偏見やアレルギーを恐れず、どんどん議論してほしい」と励ましたと伝えられる。これでは「話題づくり」を狙っているように受け取られかねない。

当初の提言案にあきれたのは、そこに何ら新味がなく、育児の常識をあらためて列挙したにすぎなかったからでもある。多くの親たちはできることから、すでに実践している。育児が難しいのはむしろ、良いことと分かっていても、なかなか実践できないからではないのか。

母乳の勧めでも、母乳が出ない人がいるだけではない。母乳が出ても母体の事情から授乳できない場合がある。こうした事実を知っていれば、「母乳が十分出なくても抱きしめるだけでいい」とおざなりの一文を添えるだけで事足れりとは思わないだろう。

育児の常識が普及しない理由を掘り下げ、問題解決の方向を制度や施策まで視野に入れて見解を述べる。そんな提言こそ期待したいが、これまでの再生会議の経緯をみる限り、望めそうにない。

個々のメンバーの資質や意識を問題にしているわけではない。教育現場はもとより企業経営や文化、スポーツなどそれぞれの分野で頂点を極めた人たちの一家言には耳を傾けるべきだろう。しかし、それを討論で練り上げ、集約する会議になっているのか。まとめられた議事録や報道の内容からは、「教育時事放談」になっているとする自民党有志議員の批判に共感を覚えざるを得ない。

放談なら正面から論議する必要もないのだが、報告は法案などに直結する可能性もあり、黙過はできない。今月末に予定される第二次報告を見極めたい。

沖縄タイムス 2007年5月14日

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教育再生会議 無責任な提言はだめだ

政府の教育再生会議の迷走ぶりが目立つ。

11日に公表する予定だった子育てへの提言は、配慮不足だとの批判を受けて撤回した。道徳を教科化する提案でも、内面に立ち入ることへの批判から評価はしないと方向転換している。

教育改革は安倍晋三首相肝いりの重要課題だが、会議から出てくるのは思い付きのような提案が多い。具体的な政策や財源の裏付けがないまま、教育の責任を家庭や学校に押しつける姿勢は問題である。

予定されていた提言案にはこんな項目が含まれていた。

食事中はテレビをつけない。

子守歌を歌い、おっぱいをあげ、赤ちゃんの瞳をのぞく。

PTAには父親も参加。

1つひとつの内容は間違っていない。これらが育児雑誌や子育ての本に書かれているのなら、問題はない。教育政策に影響を与える教育再生会議が主張しようとしたことが、政府内外の批判となった。

さまざまな理由で母乳を与えられない母親がいる。経済的な事情などから、子どもを預けて働く母親も増えている。PTAに参加するため仕事を休むのも大変だ。

こうした事情に無策なまま、家庭に「もっと頑張れ」と求めるような提言は無責任すぎる。親に「あるべき姿」を求めても、余計に子育てを息苦しくさせる。教育をよくしようと思うなら、同会議は父母への説教はやめて、文部科学省の教育政策や国の教育予算の配分に辛口の注文を付けていくべきだ。

同会議に対して与党内からも批判が出ている。自民党の議員でつくる研究会が「教育改革の改革を」と題した論文を月刊誌で公表した。

教育学の専門的知見を軽視し、各委員の提案が総花的に羅列されている。学力低下など論議の前提となる問題の分析と原因追求が甘い−。

いずれもうなずける指摘だ。専門家以外を委員に選ぶことは大事だが、現状分析が不十分な提言が続くようでは、あり方が問われる。

同会議は今月下旬にも第2次報告を公表する。ここでは、大学・大学院改革、徳育(道徳教育)の教科化を含む学校教育の再生、社会総がかりの教育再生などが柱になる。

心配なのは、総花的な提案の中から、政府が都合のいい部分をつまみ食いしかねないことだ。現に第1次報告で提案した教員免許の更新制は、中央教育審議会での異例のスピード審議を経て、今国会に法案が出されている。

参院選を意識した慌てた論議は、教育の問題にふさわしくない。

信濃毎日新聞 2007年5月12日

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連休明け国会 参院選を控えせめぎ合え

連休明けの国会は、夏の参院選を控え与野党の攻防が激化しよう。国の将来に大きな影響を与える国民投票法案や教育改革関連三法案など重要法案がめじろ押しだ。与野党は、国会論戦が参院選での有権者の投票行動を左右すると肝に銘じ、大いにせめぎ合ってもらいたい。

安倍晋三首相は、四月末から就任後初めて米国と中東五カ国を歴訪し、三日に帰国した。八日間で六カ国の訪問をこなした首相は、山梨県・河口湖近くの別荘で休暇をとり、英気を養っている。

今回の歴訪を締めくくるカイロでの記者会見で首相は、ブッシュ米大統領とは北朝鮮の拉致問題に関して現在の北朝鮮の姿勢は許し難いとの認識で完全一致したと強調した。中東各国歴訪でも、中東和平の進展に向け、連携を深めていくことで各国首脳と一致したと述べた。

中東歴訪の狙いは、原油輸入量の約九割を依存する湾岸諸国の安定のための対話強化だった。首相には日本経団連の御手洗冨士夫会長を団長とする中東訪問団も同行し、資源・エネルギーの安定供給の確保だけでなく、中東諸国の産業多角化、高度化への協力の可能性について対話を深めた。中東諸国も関心を示したとされ、今後は官民一体で具体化させていく。

精力的な歴訪で一定の成果を挙げた首相は、連休明け国会では「重要法案はすべて成立を期したい」と意気込む。特に教育改革関連三法案を重視すると述べている。五万円以上の事務所費や光熱水費などに領収書の添付を義務付ける政治資金規正法改正問題でも、自民党の反対が根強いものの「最後の段階で私の判断が必要なら、自民党総裁として判断したい」と、指導力に自信を示す。

首相の強気の姿勢に、野党がどう挑むのかが問われる。教員免許更新制や教育委員会に対する文部科学相の是正指示権などを盛り込んだ教育改革関連三法案は衆院で審議中だが、昨年の改正教育基本法と比べると盛り上がりに欠け、政府、与党ペースで進んでいる。このまま与党にずるずると押し切られるようでは、野党の存在感が薄れよう。

国民の関心が高い安倍首相と民主党の小沢一郎代表との党首討論が今国会で一度も開かれていないのも問題だ。小沢代表が参院選対策として地方回りを優先しているからだ。国会軽視といわれても仕方なかろう。党内からも「代表の顔が見えない」と批判が出る。連休明けには党首討論に臨み、安倍首相と真正面から論戦しなければ、民主党への理解は広がるまい。

山陽新聞 2007年5月6日

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道徳教育  教科への格上げ必要か

社会が複雑になり、価値観も多様化する中、小中学校で「道徳」の授業をどう進めるか、迷い、悩んでいる教師は多いだろう。

だからといって、道徳を正式な教科にすれば解決するわけではあるまい。

それどころか、戦前の修身復活とまで言わないにしても、児童・生徒に一元化した価値観を押し付けることにならないか、懸念される。ここはしっかり、見極めたい。

現行の道徳教育は週一時間、年間三十五時間行われ、「教科外活動」の位置づけだ。教科書はない。

政府の教育再生会議は、これを「徳育」として、国語や算数・数学と同じような教科に格上げしようというのだ。今月に提言する予定の第二次報告に盛り込む方針という。

教科になれば成績評価を伴うが、「人の心を対象とすべきではない」との声が多数を占め、少なくとも三段階、五段階評価は見送られることになった。

だが、問題は残る。授業では教科書を使うことが義務付けられるのだ。

今、学校現場では、教師らが工夫した教材を用いているケースもあるが、文部科学省が全校配布した副教材「心のノート」を使っているところが多いという。

「画一的な価値の押し付け」「愛国心への誘導」など、「心のノート」への批判が絶えないのに、教科書検定を通った教科書を使うとなれば、その懸念が増すのは間違いない。

文部科学相の諮問機関である中央教育審議会の山崎正和会長や、公明党の太田昭宏代表が「教科として道徳教育をやることは無理がある」「現時点では反対」との意向を表明したのも、このためだろう。

さらに山崎会長は、個人的見解としたうえで、「道徳は教科で教えるべきでなく教師や親が身をもって教えるべきだ」とも指摘した。

教育再生会議で、こうした道徳教育の在り方にかかわるような議論があったのだろうか。

「教育基本法改正を踏まえ、世界に開かれた豊かな情操と道徳心を培うのが狙い」と説明するが、安倍晋三首相がこだわる「規範意識の向上」に応えようとする姿勢が目立つ、といえば言い過ぎか。

教科化に反対した委員も一人いたという。この委員の意見は反映されたのか。学校現場の意見は聞いたのか。

教科にする必然性、さらには価値観の押し付けはないのか。会議は後日、ホームページで公開されているものの、そのあたりがよく分からない。会議を非公開としているのも納得できない。

そもそも道徳は、学校で教えるべきことなのか、という見方さえあるのだ。

会議を公開するのはもちろん、広く意見を求め、丁寧に説明するべきだ。そうでないと国民の理解は得られまい。

京都新聞 2006年5月4日

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「徳育教科」新設 正義の押し付けは疑問だ

政府の教育再生会議が打ち出した、道徳教育(徳育)を正式な教科に格上げするという案が波紋を広げている。教育学者や学校関係者が疑問を呈しているだけでなく、中教審会長まで「その必要はない」と明言したのだ。

再生会議は、今月に予定される第二次報告で徳育科目の新設を提起する方向だが、考え直した方がいい。文部科学省の正規審議会トップが首をかしげるような案が、国民に受け入れられるとは到底思えないからだ。

そもそも道徳教育は、一九五八年に教科外の「特設時間」として誕生したときから、地方教育委員会などの批判を浴びている。教育課程審議会の答申を無視し、文部次官通達で強行したためである。今回も同じような経過をたどる可能性がある。

徳育の教科化には、子どもたちに規範意識を植え付け、いじめ問題の解決に役立てる狙いがあるという。学校教育で規範を重視する安倍晋三首相の考え方と軌を一にするものだ。

人として何をなすべきか。何が正義で何が悪か。生きるとはどういうことなのか。道徳はこれらを包摂した原理であり、生きていく上で欠くべからざるものであるのは間違いない。

だが、これが学校の教科としてふさわしいかとなると別問題である。人生観や道徳観の形成には、私たちを取り巻くすべてがかかわる。家庭、地域、社会、学校はもとより、政治や経済などの在り方も密接な関連を持つ。

広範な内容を含む徳育は、学校の教科で身に付くようなものでないことは明らかだ。それどころか、かえって偏った授業内容になる恐れすらある。

二〇〇二年、文科省は小中学生全員に「心のノート」という道徳の副読本を配布した。百三十ページもある中学生用は、心の持ち方から始まり、他人を思いやる心や社会の一員としてなすべきことを説き、ふるさととわが国を愛そうと結んでいる。

こうした考え方があるのは分かる。だが、それは一つの価値観にすぎない。自然科学などとは異なり、道徳の正解は一つとは限らない。成長の過程で葛藤(かっとう)を繰り返し、悩み抜くことこそ自己形成につながる。教科として教えて身に付くというものではあるまい。

現行の学習指導要領では年間三十五時限前後を道徳の時間に充てるよう求めている。文科省の〇二年調査によると小中学校の90%が三十時限以上の授業を行っている。成果と問題点の総括はどうなっているのか。

徳育の教科化は世界観や正義の押し付けになる危険性をはらむ。規範意識が欠けていると嘆く前に、上に立つ者がまず襟を正すことだ。タイは頭から腐っていくというではないか。

新潟日報 2007年5月1日

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規律を押しつけるな

犯罪を犯した少年の処分や捜査を厳しくする、少年法改正案が国会で審議されている。成立すれば、少年院に送る年齢を現在の14歳から、「おおむね12歳以上」に引き下げることになる。

小学生でも少年院に収容される可能性がある。安倍晋三首相は「少年犯罪が非常に凶悪化する中、被害者の気持ちを考えれば、やむを得ない」とコメントしている。

安倍首相らは、いまの子どもたちの状況をどれだけ理解しているのだろうか。

被害者の立場では、厳罰をという気持ちは理解できる。だが、そもそも少年犯罪が急増、凶悪化している統計はない。佐世保市で起きた小6女児の同級生殺害事件など特異なケースをもとに、凶悪な少年犯罪が増えているといった「おびえ」をきっかけにした法改正である。

「おおむね12歳」は、11歳の5年生も含まれる可能性がある。思春期の入り口の子どもを、厳しい集団生活を送る少年院に送っても、いい結果が出るとは思えない。子どもの更生を願うなら、家庭的な雰囲気の中でやり直す方がふさわしい。それこそが「教育」の持つ力だろう。

<問題行動の裏側>
落ち着きがない。友達とうまく遊ぶことができない。こだわりが強い。そんな子どもたちが増えている−。県内の総合病院に勤務するある小児科医の実感である。

LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)など軽度発達障害が知られるようになって、病院を訪れる親子が多くなった。加えて、虐待など家庭の問題を背景に、トラブルを起こしがちな子どもたちも増えているようだ。食べることを拒否する摂食障害は、いまや小学生でも珍しくない。

病院を訪れる親子を通して見えてくるのは、家庭も学校も、忙しすぎて子どもと話をする余裕がないことだ。親の育て方の問題というよりは、子どもの心の発達に必要な環境が十分にないことが、問題行動の裏側にあるという。

「教育改革の前に、子どもが子どもらしくいられるように、教師や親が子どもと向き合う時間をつくることが必要では」とこの医師は痛感している。

豊かな社会に生まれてきた子どもたちは、我慢をしたりルールを守ることが不得手になりがちだ。核家族化が進んで母子密着が強まり、安全面の不安から、外で伸び伸びと遊べる場も少なくなった。家の中でゲームで過ごす時間も増えている。子どもたちが集団生活で学ぶべきルールを身に着ける機会が奪われている。

子ども受難の時代にもかかわらず、厳しい規律を教え込み、問題のある子には厳罰を−。昨今の子どもを取り巻く環境は、そんな方向に進んでいく心配がある。

<道徳が教科に?>
政府の教育再生会議は、道徳を正式の教科にする提案を検討している。実現すれば、国語や算数などと同様、文部科学省検定の教科書を作ることになる。

当初は成績を評価する方向も検討されたが、「人の心を評価すべきではないとの意見が多かった」と方針を変えている。

ただ、教育基本法の見直しで「国を愛する態度」や「伝統の文化の尊重」などの徳目が、教育の目標に加わった。それに伴う学校教育法の改正で、義務教育の目標に“愛国心”が盛り込まれようとしている。

そんな中での道徳の教科化であれば、いずれ心の内面が何らかの形で評価される心配はある。自らの意見を出すことや、感情の表現を我慢するような教育では、子どもたちの輝く目を守れない。

社会のルールを教えるのは大事なことだ。ただ、社会に役立つ人になれ、国のために奉仕せよと、子どもに強要するのは逆効果だ。いじめや少年犯罪が増えたと、厳しい態度で臨むだけでは子どもの心を解きほぐせない。育ちの環境や抱えている悩みにていねいにつきあうことが大切だ。そういった方向に、学校や地域が変わっていくべきだろう。

むしろ目を向けるべきは、小泉政権で拡大した経済格差だ。親の経済力の差が、教育格差につながりやすいことは多くの専門家が指摘する。経済格差を放置したままでは、教育の機会を平等にするのは難しい。

<多様な価値観大切に>

子どもが夢を描いたり、一つのことに熱中することが難しい社会では、教育の成果も上がらない。点数で測れる学力だけでなく、教育の場には多様な価値観があっていいはずだ。規律、規律と繰り返して、周囲の顔色をうかがう子どもを増やす教育では困る。

東京大学大学院の苅谷剛彦教授は本紙掲載の「憲法の焦点」で、「民主主義社会では、必要な情報を使いこなし、考える力が必要であり、しかも多様な考え方があった方がよい」と指摘している。

教育は民主主義の形成に深く関与する、という苅谷さんの指摘を、教育を考える上での指標としたい。

信濃毎日新聞 2007年5月1日

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